あかりの備忘録

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競う、賭ける。

2024-10-18 20:00:00 | 散文
競馬とか、競艇とか。
いわゆる公設ギャンブルの話である。
私は個人的にこの類のものに嫌悪感はなく、むしろ節度を守って存分に楽しんで欲しいとさえ思う。
ちなみにこういった事業の収益は健診車の助成など、社会福祉に活用されるという側面もある。

私が住んでいたまちには、競輪場があった。
幼い頃は祖父に連れられて、週末になるたびにそこへ行っていた。
子どもをそんなところへ連れて行くなんて、と思われそうだが、本人は割と楽しく過ごしていたのだ。

祖父の友達は、車券が当たれば気前よくお小遣いをくれるし、フランクフルトやアメリカンドックのようなお祭りの屋台でしかし食べられないものをお昼ご飯に買ってもらえた。
温泉地の近くの競輪場に遠征し、勝ちが続けばそのまま泊まって帰る、なんてこともあった。

よく行く競輪場には小さいながらも公園があって、いつの間にか友達もできた。
当時発売されたばかりのゲームボーイのカセットを貸し借りしたり、遊具で遊んだりというのは、ここでしかできない遊びだった。

当時は窓口で番号を伝えて車券を買う方式から、マークシートへの過渡期だった。
その時点で60歳を超えていた祖父に対応できるのかと思ったが、好きこそものの上手なれとでもいうのか、いつの間にか順応していて驚いた。
大きく勝つでもなく、負けるでもなく。
祖父が節度を持って楽しんでいたからこそ、私にとっての競輪が悪いものにならなかったのだと思う。

その頃祖父は自営で働いていたが、仕事を辞め、体調が優れない日が増えてからもたびたび競輪場に通った。
私ももう大人になり、ついて行くことはなくなったが顔を合わせると、「当たった」だの「外れた」だのという話を聞いた。

祖父の競輪仲間の多くは鬼籍に入ってしまったけれど、通っていれば新しい友達ができる。
そこへ行って誰かに会うことが楽しみだったに違いない。
いよいよ動けなくなる少し前まで、「元気になったら競輪に行きたい」と言っていた。


祖父が亡くなってしばらくして、連れが競艇場に行ってみたいと言い出した。
ボートレースである。
競輪と競艇では多少勝手が違うので、初心者向けの説明を聞いて、マークシートを睨む。

競輪は1レース9人だが、競艇は6人。
人数が少ないので、比較的当たりやすいと言われている。
場内に多数あるディスプレイには、オッズと呼ばれる払戻金の倍率が表示されていて、この数字が少ないほど人気があり、払戻金が少なくなる。
これは競輪と同じなので知っていた。
とりあえず、人気のあるところをいくつか選ぶ。
1着だけを当てるもの、1着2着を順不同で当てるもの、1〜3着を順番通りに当てるものと様々な賭け方がある。
もちろんそれによって払戻金の倍率も変わり、当てるのが難しくなれば、それだけ払戻金も多くなる。

私は祖父がよくやっていたように、1着2着を順番通りに当てることにした。
ただレースを見るのと、舟券を買った時では心持ちが全然違う。
当たりますように、と祈りながらレースの行く末を見守る。

昔行っていた競輪場では、レースの終盤になるとおそらく大金を賭けているであろうおじさまたちの野太い声援(場合によっては怒号)が飛び交っていたが、今回訪れた競艇場は静かなものだった。

結果としてはジュース一本分の儲け。

本気で稼ぎにきたわけではないので、軽食を食べて2レースほどで帰ることにした。
競艇場にも魅力的な食べ物は多いのだ。

おじいちゃん。
楽しいけど、ほどほどが一番だよね。


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