3年生が引退しついに自分達の代になった。
思えば1年前、ようやくただ走らされるだけの地獄から解放された夏休み。
自分自身も少し心に変化があった。
うまくなりたい。誰よりも。
その気持ちに変わりはなかったが、新たに1年生も練習に加わるとやはり経験者はそれなりにみんな出来るしみんなうまい。
もちろんほとんどの同級生は小学生から一緒にやっていたため1年生の実力もよく知っていた。
当然それに負けじと2年生も頑張っている。
自分自身も負けるつもりはなかったし今度こそスタメンに選ばれるつもりでいた。
でも考えてみたら1年前の同じ時期はみんなのうまさにただ焦り、そして一番下手くそだった自分が悔しくて歯痒くて仕方なかった。
それを思えばこの1年で一番成長しているのは僕ではないか?
同級生の中では先輩がいた時にAチームで試合に出たメンバーは数人しかいない。
その内の一人に自分がいた。
確かに最後は外されてしまったが、そこまで登っていたことも事実。
みんなに内緒でやってきた自主練、常に考えながらやってきたサッカー。
これはきっと間違いではなかった。
そうプラスに考えることが出来るようになってきていた。
痛みの低下と共にプラス思考になり、そしてまた上昇思考へと変化していく。
これが2年の夏休みにあった心の変化だった。
2年の夏休み以降から3年の夏までの引退するまでの間、主要な大会では全てスタメンでフル出場をした。
ポジションは左MF。
たまに真ん中のMFのポジションもやることもあったが、主に左でのポジションがほとんどだった。
チームの基本フォーメーションは4-3-3。
当時のフォーメーションとしてはごく一般的だった。
この左MFのポジションには1年の時からうまかった3人の内の1人が先輩達がいた時からやっていたポジションだったが、自分が押しのけた形でそこに定着することとなった。
膝の痛みはたまにあったが、前のような痛みはもうなくテスト週間などで部活が出来ない期間にいつのまにか落ち着いたりもしていたため引退までその繰り返しをすることにはなったが、春のような苦しみはもうなかった。
骨の成長がある程度体の成長に追いついたからだろうか?
今年のチームとしての目標はまずは地区大会を勝ち上がり県大会に出場すること。
そしてそこから先は1つでも多く勝つこと。
チームの目標としてはそれほど高い目標ではなかったが、県内にはサッカー部は数多くあり実際簡単に勝ち上がれるほど甘くはなかった。
ただこの年は飛び抜けて強いチームもなく、どこのチームにもチャンスはある。
僕達の代はそんな代だった。
だからこそ1つの試合を大事にし、1戦1戦勝ち上がる。
チームとしての目標は僕の中ではしっくりきていた。
あっさりとした引退だった。
最後の大会も地区大会を勝ち上がることが出来ずに負けた。
いくつかの大会の中でだいたい1回戦は勝ち上がるが2回戦であっさり負ける。
最後の大会に至っては練習試合では1度も負けたことがなかったチームが相手だったが、結果として1点も取れることなく負けてしまった。
この1年間大会等はそんなになかったが、数多くの練習試合をこなし、実践の場での経験はそれなりに積んできた。
自分自身も考えながら試合に臨み、こういった形を作るために自分がこう動き空いたスペースに味方を走らせてチャンスを作ろう。
考えるプレーを心がけてはいたが、なかなか簡単にはいかない時も多くあった。
時には負けた試合が自分自身のミスからの失点で1-0で負けた。
そんな試合もあった。
ピッチにいる以上1人の責任なんてことはサッカーではあり得ないが、それでも自分のミスのせいでという苦い記憶はなかなか消え去ることはない。
数多くの練習試合を経験し、数多くの勝ち負けを経験し、数多くのプレーをこなしてきた。
それでも目標にすら届かなかった。
分かったことがある。
練習試合はあくまでも練習試合。
試合経験は積めても公式戦とは緊張感や相手のプレッシャーがまるで違う。
この悔しさは高校サッカーで必ず晴らす。
そう誓った中学3年の夏だった。