長男は高3で大学受験はもうすぐなのに、自分でも不思議なくらい熱が入らない
中学受験の時は、毎週末ごとにいろんな学校に行き、合計30校以上、延べ100回位行ったかも。
目新しいのもあり、関西人で関東の学校に先入観がないのもあり、都心在住で埼玉・神奈川・千葉も通学範囲なこともあり、
いろんな学校の説明会、文化祭、体育祭、受験問題研究会など、一人でいろいろ行った。
それを文章やデータ―にまとめて、本出せるんちゃう?っていうくらい
秋以降は各学校の受験問題を自分で解いてみて、傾向と対策もまとめたり
それなのに大学受験は、学校や予備校で渡された資料すら、開く気にならないのはなぜだろうかね
思えば自分の大学受験の時も、「どうしてもここに行きたい」なんてのは全くなかった。
私は全く理数系ができなかったけど、そうかと言って語学や英文学に興味なんて全然なかった。
勉強したかったのは、社会学や政治経済だったけど、親からは短大しかダメだと言われていたから(当時は最後の短大>四年制大の時代だったー女子は)
短大にそんな学部はなく
でも家政科なんて絶対嫌だし、国文科よりは英文科の方がまだ面白そうって言う理由だけ。
だから受験勉強なんて全くやる気もなかったし、予備校も塾も行かなかった。
なんとなく合格した関西外短は、嫌ではなかったけど、学業面で面白いと思ったことなんて皆無だった。
ひたすらバイトして、お金をためてはアメリカに行ったり、甲子園行ったり、バレ―ボール見に行くことに情熱燃やしてた。
そんな学生でも時代はバブルだったので、就職は大企業からよりどりみどり
一流企業に就職して、やっぱり短大で就職は得したなあと思ったけど、女性社員はみな男性社員のアシスタントで、社内結婚で寿退職が推奨されてた。
それが2年後転職した外資系では全く違った
男女は平等。 でも大学卒は専門職だけど、短大・高卒はアシスタント。
同じ関西外大で同じ歳の女の子がいたけど、当時は4年制より2年制の方が偏差値だって高かったのに、お給料も待遇も全く違った
大卒の人は家賃だって会社持ちだった。
その時、絶対私は大学卒業する!と思った。
それでずっとやりたかったのにやらせてもらえなかった、社会学系を勉強したいと思ったけど、
どうせならアメリカの大学で勉強したら、英語も専門の学問も両方マスターできて、一石二鳥やん?と思って留学することにして、
全米の3-4千の大学の中から、自分にあった大学を探した。
それは今のキャリアにもつながっていて、一生の財産になっているけれど、日本の4年制大学に行ってみたかったなあと思う気持ちは今でもしつこくある
息子が取り寄せた大学のパンフレットを見ていたら、今では一部の(一流大だけだろうけど)大学の一部の学部では、英語で全部授業するっていうのがあるんだね
まさに私が望んでた、「語学ではなく、社会学とか他の学問を英語で勉強する」っていうことが、留学しなくても日本でできるなんて、すごい
私の時代は(自宅通学の範囲で)そんなの聞いたことなかったな。
いいなあ~、大学!
高校とかと違って、理数系とかキライな科目はしなくていいし、自分の好きな勉強だけとことん勉強できるし、何か羨ましいな
まあ、合格できればの話やけどな