漫画家の中尊寺ゆつこさんがお亡くなりになった。
yahooとか他の検索サイト横の記事で気づいた。
特に好きな漫画家ではなかったけど、気になったので
クリックしてみると、丁度まぴとちきぐらいの
お子さんがいらっしゃることが分かった。
せつないな・・・
子どもを遺してこの世から去っていく気持ち。
普段は、ちょっとでも1人になりたいな・・・とか
思うように動きたいな・・・なんて思う母だけど
子どもを遺して逝かなくてはならないなんて、悲しすぎる。
ご冥福をお祈りするとともに、お子さんが健やかに
成長されることを心から願って止みません。
yahooとか他の検索サイト横の記事で気づいた。
特に好きな漫画家ではなかったけど、気になったので
クリックしてみると、丁度まぴとちきぐらいの
お子さんがいらっしゃることが分かった。
せつないな・・・
子どもを遺してこの世から去っていく気持ち。
普段は、ちょっとでも1人になりたいな・・・とか
思うように動きたいな・・・なんて思う母だけど
子どもを遺して逝かなくてはならないなんて、悲しすぎる。
ご冥福をお祈りするとともに、お子さんが健やかに
成長されることを心から願って止みません。
私もきのう訃報を知って、人ごとではない感じがしました。
中尊寺さんは女性のいろいろな生き方を見せてくれた方ですよね。
お子様ともっと一緒にいたかったでしょう。もっと生きたかったでしょう。
私もご冥福を祈りたいと思います。
人はいつかこの世からいなくなるということをじわりと実感しました。
ではまた。
中尊寺さんはのご活躍は、バブル期の
華やかな時代の象徴のような、それが
終わっても、女性としての何か
筋の1本通った感のあったものでしたよね。
今日を生き、また明日を生きるはずの私達。
それが終わったからと言って、悲しんで
いるだけではいけませんが、
確かに、今日だけは足を止めて
考えずには居られませんでした。
いつかこの世を去る日をほんの少し
念頭において、今を生きる。
上手く言えませんが、それが
私にとって、今日の宿題かも知れません。
初期の思いが果たせず、時々になってしまいました。
私のブログへの書き込みも毎日の目標が月1回程度に
なってします。
私は残念ながら中尊寺さんを存知あげませんが、
「生きる」を考えた時その裏側には当たり前のごとく
「死」があるわけです。
しかし、目の前に「死」が差し迫ってない限り
それを考えることは中々難しいぃことですよね。
そんなわけで我々は常々「どう生きるか」は考えますが、
中々「どう死ぬか」は考えません。
逆論ですが、「どう死ぬか」が「どう生きるか」に通じ、
常に「死」を頭において生きることは、
「今をどう生きなければならないか」をより具体的に
導き出してくれるのではないのか、と考えています。
ごめんなさい、ちょっと、固い話になってしまいましたね。
私のchiikoさんへの返信コメント
最後が自分でも、どう締めようと
わけが分からないものになっていましたが、
kokoroさんのお陰で、すっきり
しました。
どう死ぬか・・・
身近な人や、自分が気になる(なっていた)
有名人の死などに接すると
より一層、考える機会を与えられて
いるのですよね。
生きること、死ぬことを両方
考える良い機会に恵まれました。
kokoroさんありがとう!