先回のつづきです。
【喜びから人生を生きる!】
~ 臨死体験が教えてくれたこと ~
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電子書籍版発行日 2016年8月30日
著者/アニータ・ムアジャーニ
訳者/奥野節子
発行所/株式会社ナチュラルスピリット【喜びから人生を生きる!】
~ 臨死体験が教えてくれたこと ~
座右の銘として枕元に置いてください。
あ、オマエなあ~~~ 誰が枕にしろと言った! (ボクちゃん)
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
私は常に他人を喜ばせたいと思い、また、その理由が何であれ、非難されるのを恐れていました。人から悪く思われないように懸命に努力しているうちに、やがて自分自身を見失ってしまいました。本当の自分や自分の望むこととのつながりを完全に断ってしまったのです。私がすることはすべて、自分以外のみんなの賛同を勝ち取るためでした。私が癌になる前、誰かに「人生で望むものは何か?」と尋ねられたら、まったく見当がつかなかったでしょう。私は、文化的な期待にがんじがらめになり、他人に望まれる人間になろうと努力し、もはや自分にとって何が重要なのかわからなくなっていました。
親友のソニとダニーの義弟が癌と診断されてからは、癌という病気に対する恐れがだんだん大きくなっていきました。彼らが癌になったのだから、自分もなる可能性があると信じ込み、癌にならないためにあらゆることを始めたのです。けれど、予防策についての本を読めば読むほど、すべてのものが癌を引き起こすように思えてきて、ますます恐ろしさが募りました。環境や食物に存在する発がん性物質に気づき、電子レンジ、プラスチック容器、防腐剤入り食品、携帯電話など、周囲にあるすべてのものが癌を引き起こすように思えたのです。そのリストはどんどん長くなっていきました。
私は病気そのものだけでなく、その治療法も恐れていました。つまり、抗がん剤治療のことです。親友ソニは、抗がん剤治療を受けている最中に亡くなったので、このことが私の恐怖心をあおりました。
私は、生きることも死ぬことも怖がっていたのです。まるで、自分の恐怖感という檻に入れられたように、私の人生はだんだん狭まっていきました。私にとって、世の中は脅威を与える場所に他なりませんでした。やがて、私は癌であるという宣告を受けました。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
最近ベストセラーになったというアドルフ・ヒトラーじゃない、アドラー心理学を紹介した本「嫌われる勇気」とか言う本。
あれと同じですね。
他人の顔色をうかがう。 それは常につきまとう意識でして。
子どもの頃は親の顔色や学校の先生、友達・・・そして、大人になって会社を中心に仕事以外にもすべての他人の顔をうかがう。
言えでも妻の顔をうかがい・・・うかがわないオヤジも居るかも知れませんが・・
ほとんど、他人様の顔色をうかがう・・という、「承認欲求」という言葉のとおりです。
病気は内側の状態が外側に写し出されるというようです。
そんな事がいろんな病気を外側に見だして、その心の状態が病気を持続させる・・・とすれば、西洋医学に限らず民間療法でもよい結果が出ないことになります。
自然療法がよい、自然治癒がよいと言ってもそれは「万能では無い」ところに気づきます。どんな素晴らしい治療家でも万能でもないし、治療法にしてもそうです。
その根本には内面の方に原因がある・・・とすれば、薬だろうが無医薬だろうが自然療法だろうが・・・・解決する急所が置き去りにされていれば、外側(肉体)も解決しないということになります。
しかし、著者は「病気自体が主でない」と言っています。治ったのが勝利で治らないのが敗北では無いと。
そこんとこ間違えないように。
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
外見上、私は癌と闘っているように見えたに違いありません。でも、内心では癌は死の宣告だと信じていました。治るためなら何でもするという素振りをしながら、心の奥では自分は治らないと思っていたのです。そして、死ぬことが怖くてたまりませんでした。
研究者たちが、「癌の治療法を見つける努力をしている」と常に言っているのはつまり、解決法がまだ見つかっていないということだと思っていました。このことは、少なくとも西洋医学では公然の事実でした。それにもかかわらず、自分には西洋医学による治療法しか選択肢がないと言われたのは、骨の髄まで恐怖感を抱かせるに十分でした。〝癌〟という言葉を聞いただけで恐れの気持ちがわき上がってきました。現代医学では治せないと知ったことが、自分は死ぬんだという確信の裏づけとなったのです。
それでも私は、可能なことはすべてしようと努力しましたが、病気は容赦なくどんどん進行していきました。西洋医学では初めから自分の運命が決まっているような気がしたので、周囲の人の反対を退けてでも、私は代替療法を選択しました。結局、仕事を辞めてからの四年間、ありとあらゆる治療法に取り組みました。
そのいくつかを挙げれば、信仰療法、祈り、瞑想、エネルギー療法などです。手に入るかぎりの癌に関するさまざまな本を読み、この病気が持つありとあらゆる意味について学びました。許しのワークに取り組み、すべての人を許しました。インドや中国へと旅し、仏教の僧侶、インドのヨギ、覚醒したマスターたちと会い、病気の治癒へと導く答えを見つけられるよう助けてほしいとお願いしました。菜食主義になり、山頂で瞑想をし、ヨガやアーユルヴェーダを試み、チャクラのバランスを取り、中国の漢方薬を飲み、気功もやりました。
それにもかかわらず、癌はどんどん悪化していったのです。さまざまなヒーリング方法のどれもこれも効果がなく、ますます健康が衰えていく現実に、私はうろたえていました。そして、とうとう私の身体は栄養吸収さえできなくなり、筋肉が衰え、車椅子が唯一の移動手段になってしまいました。頭はまるで、特大のボーリングボールが首からぶら下がっているように感じられ、携帯用酸素ボンベなしには呼吸もできませんでした。寝る時には、私が呼吸しているのを確かめるために、一晩中夫が寝ずについていてくれました。身の回りのことも自分でできなかったので、母が世話をしてくれました。それは、家族全員にとってとてもつらい状況だったのです。私は、自分だけでなく、彼らのつらさも痛感していました。
身体が弱っていくにつれて恐れがどれほど強烈になっていったか、ここで表現するのは到底不可能です。私は、ギリギリのところで必死に生命にしがみついていました。スピリチュアル・ヒーリングの集まりに参加した時には、これは私が選択したことであり、さらには、この世で起きていることはすべて幻想だと教えられました。
それを聞いた私はとても失望し、ますますおびえるようになりました。「どうして私はこれを選んだのだろう? どうやったら違う選択ができるんだろうか? これが幻想だというなら、なぜこんなに現実味があるんだろう? もし神様がすべての祈りを聞いているなら、なぜ私の祈りに応えてくれないの?」私は、許しや、浄化や、祈りや、瞑想など、自分ができることは何でも一生懸命していたのです。それなのに、どうして何も起こらないのか理解できませんでした。
やがて、とうとう生命にしがみつくことさえできなくなり、私はすべてを手放しました。完全な内なる解放感がありました。四年以上にわたり、癌に身体をむしばまれ続け、もはや私は限界に達し、降伏したのです。私はへとへとでした。次にやってくるのは死だとわかっていました。とうとう死を迎え入れられるところまでたどり着いたのです。何がやってこようと、今の状態よりはましに違いありません。
そして、昏睡状態に陥り、私の臓器は機能の停止を始めました。私や家族が体験していることよりも、悪い状態は存在しないとわかっていました。ですから、迷わずに死の中へと飛び込んで行ったのです。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
著者の葛藤は日本でも同じなんでしょうね。
ちょっとした自然派だったら同じように考え、現代医療の癌治療は受けたくない、あらゆる自然療法に飛びついて行く・・というように。
しかし、その自然療法による自然治癒力が働いてくれない・・・・時、
最後に
私はすべてを手放しました。完全な内なる解放感がありました。四年以上にわたり、癌に身体をむしばまれ続け、もはや私は限界に達し、降伏したのです。
この意識になったことがミソなんでしょうか?
手放す・・・・あらゆる恐怖感から解放される
降伏した というのです 。 何から?
おそらく、臨死体験でもそのまま死後の世界入りするにしても、この「手放し感=解放、降伏」という「気づき」がないと、著者のようなあの世での気づきはなかったのでしょう ね。
誰でも死んで(臨死体験でも同じことだが)から、覚りの境地に入るなら、皆が死ねば悟る(覚る)ことになりますから、お釈迦様やイエス様の教えも要らず、だって「死ねば悟る」のですから。
そうでなく、やはり肉体の状態で「悟る(覚醒)」ことが重要なのかと・・・
その後、著者はあの世の体験を書いています。
そして、肉体に戻ってきて蘇生します。
さらに医者達(西洋医学の信者)はとうぜんのこと、残りの治療を行います。
癌治療、すなわり抗ガン剤当の反自然療法で、普通なら身体を痛めつけるはずです。
が、蘇生後の彼女(著者)は猛毒抗ガン剤など屁ともせず、悪影響を排除してしまうのです。
それほど、心は肉体を制御する力を持ち合わせていたのです。
現代医学から見たらあり得ない奇蹟です。
そして、そこから始まるシンクロニシティが連鎖のように拡がり、この本が出版され世界中に翻訳され、そしてボクも読むというシンクロニシティが起こったのであります。
え?オマエのシンクロニシティはどうでもイイって?
ちょっと続きます
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
身体の機能が止まった時、私がいた向こう側の世界は、恐れでゆがんでいない私自身のすばらしさを見せてくれました。私は、自分が利用できる偉大なパワーに気づくようになったのです。
私が身体にしがみつくのをやめた時、向こう側の世界に行くために何もする必要はないのだと感じました。祈りも、詠唱も、マントラも、許しも、何もいらなかったのです。その移行は、まったく何もしないことに等しいものでした。特に誰に対してというわけではありませんが、「私には与えられるものがもうありません。もうお手上げです。どうぞ連れて行ってください。もうどうにでもしてください。あなたのお好きなように」と言った気がしました。
向こう側の世界で私は明晰でした。そして、自分が抱いていた恐れのために死んでいくのだと、直感的に理解しました。私は、いつも心配ばかりして、本当の自分を表現できずに生きてきました。癌は決して罰のようなものではなく、自分自身のエネルギーが癌として現れたのだとわかったのです。そうなったのは、私の恐れのせいで、本来の姿であるすばらしい存在としての自分を表現できなかったからでした。
そのような拡大した意識の状態で、私は、いかに自分自身につらくあたり、批判ばかりしていたかを理解しました。そこでは、私を罰する人は誰もいませんでした。私が許さなかったのは他人ではなく、自分だったのだと、やっとわかりました。私を非難したのも、私が見捨てたのも、私が十分愛さなかったのも私自身だったのです。ほかの誰でもありませんでした。私はその時、宇宙の美しい子どもとして自分のことを見ていました。私は存在するだけで、無条件の愛を受ける価値があったのです。そのために何もする必要はないとわかりました。祈ることも、お願いすることも、何一ついらないのです。これまで、自分自身を愛したことも、尊重したことも、自分の魂の美しさを目にしたこともなかったと悟りました。絶対的なすばらしさが私のためにいつも存在していたのに、まるで、物質的な生活がそれを奪って、少しずつ破壊してしまったような感じがしました。
このことを理解した時、もう自分には恐れるものがないとわかったのです。私は、誰もが手に入れられるパワーについて知り、この世に戻るという大きな選択をしました。その覚醒した状態での選択は、私がこの世に戻るための非常に強い原動力でした。再び自分の身体で目覚めた時、この世に戻ってくるという私の決断に、身体のすべての細胞が応じるだろうと知っていました。ですから、自分の病気は必ず良くなるとわかっていたのです。
病院にいる身体に戻ると、そのあとの検査や薬の投与などはすべて、周囲の人たちを満足させるためになされるのだとわかりました。その多くがひどい苦痛を伴うものでしたが、自分は大丈夫だと知っていました。私のすばらしい無限の自己は生き続け、この身体で表現すると決めたので、この世のいかなるものも、その決断に影響を及ぼすことはできないでしょう。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
「自分を愛して」という本とも共通している話ですね。
心の状態が病気という形で現れるというか・・
すれば、心の状態で病気が治る というか・・・
もっとも最後は死にますけど・・・阿茶
アチャと思うか、そうでなく幸せと思うかは貴女しだい。
真実は「ひとは死なない」(死ねない)そうです。
だって、幻想、夢の中で体験しているんだから、「死」といえども【体験中】だそうです。 アチャチャア~ニッポンン!
とってもそうは思えないほどリアルですから、知ってはいても腹に落ちないのですよ、マッタク。
癌で苦しんでいる人にこの本を贈りましょう。
さらにこの著者が次に出した本を付け加えましょう。
ワシ、まだよく読んでないけど・・・・(オマエはいいんじゃ)
本を紹介していて、とっても感心した、ボクもいつも自分を愛していこう と、
おもわず、ギュッと自分を抱きしめてシマッタ!
「あっふ~ん♪」 ← 一番あんたが分かっていないんじゃないの? (実際にトモダチから言われたセリフです)
ところてんですが
これ大事ですね。
私が身体にしがみつくのをやめた時、向こう側の世界に行くために何もする必要はないのだと感じました。祈りも、詠唱も、マントラも、許しも、何もいらなかったのです。
と。
宗教の出番ないんじゃないの~~
神の裁きなんてのも作り話だったんだ・・・
お坊さんのお経も要らない 「天国へいきますように」祈りも不要
ナンジャコラ!!
でも、真理を知るとじつにシンプル。安心そのもの。
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