インフルエンザワクチンは打たないで!
著者 母里啓子(もりひろこ)
より
一部引用
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…・医師も、研究者も、マスコミ も、
しっかりしてほしい
それほどまでして
インフルエンザーワクチンの
製造量を増やしたいわけ
前章では、小中学生という「お客さん」を失って、壊滅的な状況に追い込まれたインフルエンザ・ワクチン産業が、高齢者や乳幼児という新たなターゲットを獲得し、再び製造量を上げてきた過程について述べてきました
なぜ、それほどまでして、ワクチンメーカーはインフルエンザ・ワクチンの製 じつは、小中学生への集団接種全盛期には、国内のワクチン全体の製造量のおよそ半分をインフルエンザ・ワクチンが占めていました。
ワクチンメーカーにとって、インフルエンザ・ワクチンはドル箱だったのです。
なにしろ義務接種ですから、売り損ねることもありません。
当時、ワクチンメーカーは、少子化によって接種の対象である子どもが年々減っていくことを危惧していました。
ところが少子化どころか、小中学生への集団接種が廃止されてしまい、結果、2つのワクチンメーカーはインフルエンザ・ワクチンから撤退することになりました。
苦境のワクチンメーカーを放っておかなかったのが厚生省でした。
ワクチンメーカーの生産力が落ちてしまうと、万が一、新型インフルエンザが発生し、大量に新型ワクチンが必要になったときに対応できない、また、欧米のワクチンメーカーは、ほとんどが世界市場に向けて生産する大手の製薬会社ですが、それほどの規模を持たない日本のワクチンメーカーを守るためにも、国としては手をこまぬいているわけにはいかない ー そのような大義名分をかかげ、厚生省は、ワクチンの推進学者やワクチン業界の団体などから構成された 「インフ ルエンザワクチン需要検討会」を発足させ、ワクチン需要を増やすためのさまざ まな策を講じていきます。
101ページでご紹介したインフルエンザ・ワクチン製造量の推移のグラフをご覧 いただくと、あらかじめ前年度を上回る製造量が設定されているのがわかります。
もともとワクチンメーカーは集団接種だけで十分な利益を上げていたため、さし たる企業努力もしていませんでした。
しかし、現在では必要な分を製造するだけ ではなく、大規模なキャンペーンを張り、できるだけ多くワクチンを製造しよう という企業努力がされている様子が伺えます。
これらすべてが厚労省がらみでおこなわれているのです。
こうしてインフルエンザ・ワクチンの製造量は、小中学生に集団接種をしたこ ろと同じレベルにまでに回復してきました。
2005年度以降は2000万本を 越える製造量です。
本来ワクチンは、儲けを考えずに作らなければいけないはずのものです。
とこ ろが、最近では、ワクチンメーカーのみならず、ワクチンを中心とした事業体系なくては立ち行かなくなっている現状があります。
インフルエンザ・ワクチンの標準小売価格は1本3000円です。
卸値(おろしね)は約1 000円。
1000円の卸値のうちいくらが原価か、私は知りません。
しかし、 原価が安いことは確かです。
集団接種時代はバイアルと呼ばれるワクチンのびん に50人分人っていました。
現在では二人分の1ミリリッートルに小分けされており、 普と比べてますます原価が低いわりに単価の高い商品になっていると言えます。
ワクチンでインフルエンザ・ウイルスを撲滅させることは不可能です。
幸か不 幸か、インフルエンザ・ワクチンは効かない、そしてインフルエンザ・ウイルス はこの世から永遠になくなりません。
ですから、永遠にインフルエンザの商売は やっていられます。
インフルエンザは怖いよ、怖いよ、とおどし続ければ、永遠 にワクチンを売り続けることができるのです。
小中学生に集団接種をやっていたころ、2000万人分の子どもたちのワクチ ンは公費負担でした。
しかし、現代のワクチン産業は完全に自由競争の世界です。
返品もきくので、一部の大きな医療機関による買い占めが起こったりもします。
利潤追及のための自由競争ビジネスという点が、今のインフルエンザ・ワクチンをめぐる状況をいっそうおかしくしているようです。
インフル工ンザ・ワクチンは接種する医師にはいい商売になります ワクチン産業が息を吹き返してくる過程で、現場の医師たちはどうしていたのでしょうか。
もちろん、インフルエンザ・ワクチンが効かないということを公言し、自分は打たないという立場をつらぬいている医師もたくさんいます。
でも、どうして多くの医師たちはインフルエンザ・ワクチンを奨(すす)めているのでしょうか。
はっきり言ってしまうと、インフルエンザ・ワクチンを扱うと、医師は儲かるから、なのです。
ワクチンの値段は、各医療機関によってかなりのバラつきがありますが、相場は1本3000円、子どもなら2回打てるから6000円です。
しかも、はしかなどの予防接種とは違い、毎年毎年、あらゆる年代に打てるのですから、こんな シーズンになれば、大きな病院にほ1日に100人くらいがインフルエンザ・ワクチンを打ちに来たりするわけです。
ワクチンを打つのには5分とかかりません。
1人分のインフルエンザ・ワクチンの仕入れ値は約1000円だから利益は2000円。
100人が病院へ打ちに来てくれれば、たったの1自で20万円の利益です。
インフルエンザ・ワクチンのおかげで、職員のボーナスを出せた、と喜んでいる話をよく聞きます。
「これはやめられません」ということになるでしょう。
ところで、医師たちは、インフルエンザ・ワクチンの問題点を知りながら、ワクチンがいい収入になるから、口をぬぐって打ち続けているのでしょうか? もちろん、そういう人もいるかもしれませんが、じつは、インフルエンザ・ワクチンを奨める医師たちの多くは、実際のインフルエンザ・ワクチンの効果をよく知らないことが多いのです。
厚労省発表の研究結果やガイドラインはもちろん読んでいるはずです。
けれど、それ以上の勉強はしていないでしょう。
それどころか、インフルエンザ・ワクチンに限らず、ワクチンはいいものと信じている医師が多いのです。
人間の歴史は病気との闘いの歴史でもあります。
だから天然痘ワクチン (種痘) を開発したジエンナーなどは、わが子に種痘をして効果のほどを確かめたという美談とあいまって (実際に実験台にしたのは、ほんとうは他人の農夫の子だったのですが)、医学界のヒーローの一人になり、近代免疫学の父と呼ばれています.ー. 西洋医学を学んだ医師たちがワクチンを善き物と考えるのは当然のことでしょう。
けれども、ワクチンは万能薬ではありません。
近代になって人間によって作られたものであり、当然ながら欠陥も限界もあるものなのです。
そうしたことを若い医師たちが医学教育の中で学ぶ時間は、残念ながらあまりありません。
4年間で全部の科を一通り学ぶわけですが、その立て込んだカリキュラムの中で、ちゃんとワクチンの問題に触れることができているのかなという気はします。
ワクチン信仰というか、ワクチンはいいものだ、というプラス面しかインプットされていない医師もけっこう多いように思えます。
なにより、医師というものは忙しすぎます。
ほとんどの医師は日々の診療に追われており、勉強する時間もあまりありません。
一度医師免許をとったら一生そ ですから、自分の病院に「インフルエンザ・ワクチンを打ちましょう」というポスターを貼ることに多くの医者はためらいがないのです。
インフル工ンザ・ワクチンに否定的な医師は 冬は憂鬱なのです もちろん中には、ある程度ワクチンに対する知識はあるし、どうなのかなと疑問を持っている医師もいます。
もっと否定的な人もいます。
しかし、こういう医師たちでも「インフルエンザ・ワクチンを打つ必要はありません」とか「当院ではインフルエンザ・ワクチンは打ちません」という態度を取れる人はなかなかいません。
自分や自分の家族には打たないとしても、です。
インフルエンザ・ワクチンなんて必要ないと思うけど、うちはやらないよと患者さんを拒むことはできない、そんなことをしたら、ほかの医者に患者を取られてしまうし、積極的にお奨めはしないけど、一応ワクチンは置いておかないと ー という感じでしょう。
ある医師は「インフルエンザ・ワクチンは打ちません」と宣言すると、どうしてインフルエンザ・ワクチンを打たないのか、その理由を一から説明するのが大変だし、変わり者の医者と思われてしまっても困るから、と言っていました。
また、ある小児科の医師は、インフルエンザ・ワクチンはもちろん、いくつかのワクチンをいらないと明言しています。。
その医師のことを信頼して子どもを連れて通っているお母さんたちが、ことインフルエンザ・ワクチンについては、「先生のところじやインフルエンザ・ワクチン打ってくれないから、別なところで打ってきたわ」と言うのだそうです。
彼は「全然わかってないんだ夏」と嘆いていました。
研究者とメーカーが手を組まないと やっていけない現実がありますでは、一般的な医師ではなく、専門の研究者はどうなのでしょうか?
かつては、インフルエンザ・ワクチンが効かないことを公言してはばからない学者がたくさんいました。
小中学生へのインフルエンザ・ワクチンの集団接種が始まったころの話です。
京都に、ウイルス研究所というウイルス研究のメッカかあります。
その近くの小学校には、親がウイルス研究所に勤めている子どもが多かったため、「うちの子はインフルエンザ・ワクチンは打ちません」と拒否する保護者が続出し、学校側が大変困ったそうです。
前述したように、26年前のインフルエンザ・ワクチンについてのシンポジウムで、ウイルス学会長が「この会場に来ているウイルス学者のなかで、インフルエンザのワクチンが効いていると思っている学者は一人もいないだろう」と言ったことからもわかるように、ウイルス学者にとって、インフルエンザ・ワクチンの無効性はわかりきったことだったのです。
にもかかわらず、今の世の中がこうなってしまうのは、なぜなのでしょうか。
今の学者たちは、どうして口を閉ざしているのでしょうか。
ある著名な、公衆衛生をちゃんと研究している人が、私に言ったものです。
「インフルエンザ・ワクチンなんて、誰も迷惑してないのだから、いいじゃない、儲けたい人には儲けさせておけば。
被害者が出ないのがいい。
風物詩の中にインフルエンザ・ワクチンも入れておけばいいじゃない」 と。
私はかんかんになったのですが、そのような意識が今や関係者に蔓延(まんえん)しているのです。
現に、副作用の被害者は出ています。
そして、何よりの問題は、これほど国民の健康に対して効果がなく、かっ大きな利益を産むインフルエンザ・ワクチンというものが、政府公認のお墨(すみ)つきの商品だということです。
だから、なおさらおかしいと私は思うのです。
こうした事態に対して、どうして学者たちは何も言わなくなってしまったのか。
ここには、現代の社会のさまざまな問題が絡み合っていると思われます。
本来、研究者には、ワクチンメーカーが作ったワクチンを評価するという仕事があります。
これは社会的に考えても重要な仕事です。
現在のワクチンがどのくらい効果があるかの検証、流行したウイルスと合っていたかどうかの事後検証、が、研究者というものは新しいことに興味があり、市販後の薬の調査などしたがりません。
しかも、市販されているワクチンへの評価を厳しくすべき研究者の研究費が、当のメーカーから出ている、その資金援助なしには研究が成り立たないというのが現状なのです。
企業と研究者が、よく言えば手を結び、悪く言えば癒着するようになったのは、産学協同体制が進んできたからだと思います。
産学協同というのは、産業にとって必要な研究を、スポンサーとなって学者や研究者たちにやらせるということです。
企業は思い通りの研究をさせられるし、研究者は潤沢な研究資金が得られるという、双方にとって好都合なシステムです。
けれどもこのシステムでは、研究者は、企業側にとって不利益なことは追究しにくいし、不都合なことをあえて発表することばしないでしょう。
抗ウイルス薬のタミフルの研究を厚労省から委託されてやっていた研究者が、タミフルの製薬会社から寄付を受け取り、研究費に充(あ)てていたことが発覚し、告発された事件がありました。
メーカーの薬品を厳しくチェックすべき立場の研究者が、メーカーから研究費をもらうなどとんでもない、と世論でも厳しく非難されました。
それは確かにもっともです。
けれど、実際には、厚労省の研究費だけでは十分な調査や研究はできない現状があります。
アンケート一つ取ることもできません。
アンケート用紙を刷って郵送し、送り返してもらい、そうやって何千人もの人からデータを作るには、莫大(ばくだい)なお金がかかります。
往復の郵便代だけだって一人何百円とかかるわけでしょう。
そんなお金は、国のどこからも出ないのです。
今はワクチンや薬品の研究者で製薬会社から研究費を一切受け取っていない人などいないのではないでしょうか。
厚労省直属では 研究者たちは何も言えません国立感染症研究所は、厚労省直属の機関で、もとは「予研」と呼ばれていましたが、1997年に名称が変わりました。
「予研」は国立予防衛生研究所の略です。
国立感染症研究所は、インフルエンザ・ワクチンの元にするウイルスの選定や、ワクチンを市場に出してよいかどうかの検定などを行っています。
中でも、国民の体に打つワクチンについて厳しく検定し、安全を図り、監視を徹底することは、国の機関として国立感染症研究所が果たすべき最も重要な任務だと思います。
ワクチンが実際にどう打たれているのか、効果はどうか、副作用がなかったかなどを集約し、必要とあればワクチンメーカーや厚労省に物言いをすべき機関なのです。
また、それが国立感染症研究所の職員の社会的責任でしょう。
けれど、そうしたことが十分行われているかというと、はなはだ疑問です。
おそらく、現行のワクチンの問題点などに関心のある人は、研究所にはいないのでしょう。
現在実施されている予防接種について評価することば、政治的な意味が出てくるから、口を出さない、関与しない、という傾向にあるように思います。
国立感染症研究所のホームページを見ると、インフルエンザ・ワクチンは効果がないことを露呈しているようなデータであっても、隠蔽(いんペい)するわけでもなく、きちんと公開しています(実際には、専門家でもなければ、それらのデータの意味を読み取れないとは思うのですが)。
ですが、厚労省直属の研究所の研究者は、それらのデータをもって、インフルエンザ・ワクチンは効きませんとすることば立場上できないのです
国として現状では使用し続けるべきものとなっているワクチンであるかぎり、多少なりとも効果があるという方向で評価は出さざるをえません。
かつて私も国家公務員だったときは、「あなたも厚生省の一員であることをお忘れなく」と常に釘を刺されていたものです。
また、新型インフルエンザとか、新しいワクチンの研究であれば、研究としても面白いし、政治的な問題に触れる心配もないので研究者は熱心にするでしょうが、30年以上前から同じやり方で作っているインフルエンザ・ワクチンの効果判定なんて、やりたがる人はいないでしょう。
それにワクチンの検定という仕事は、研究職の人間にとってはなんの面白味もないものなのです。
かつてこんなことが問題になったことがありました。
-ーー、)検定をさせていたことが発覚したのです。
とんでもないことですが、彼らにしてみれば、デパートで大売出しする時に、人手が足りないから、その大売出しする商品のメーカーから派遣のアルバイトをよこしてもらうくらいの感覚だったの今は、(でしょう。
)インフルエンザ・ワクチンの製造量も過去最高に迫るほど増えてきていますから、ワクチンの検定業務は大変な仕事量になっているはずです。
しかもインフルエンザ・ワクチンは季節ものです。
まさかこのような不祥事はもうないでしようが、国立感染症研究所の正規の職員だけで、ちゃんと検定業務をやれているのでしょうか。
薬害エイズ事件では、厚生省が非加熱血液製剤を認可し続けたことで責任を問われましたが、実際に厚生省の委託で検定業務をやっていたのは当時の国立予防衛生研究所です。
名称は国立感染症研究所に変わりましたが、こうした事実も、忘れてはならないと思います。
意味のない検便をさせたり国がやることは建て前ばかり 1997年、香港で鳥インフルエンザが子どもに感染し、香港中の鶏が一斉に処分されたというニュースは衝撃的でした。
WHO(世界保健機関)を始めとして、世界中が香港当局の大英断とほめたたえました。
そのために烏インフルエンザがおさまったように報道されました。
でも、もともと、人間にとって、鶏や豚は、生き物というより「作物」です。
田んぼにいもち病が出たら、その田んぼに薬をまき、他にうつさないように全滅させるわけです。
鶏も豚も、それと同じです。
同一種類のものを、閉鎖空間で何万羽と飼っているわけですから、1羽に感染症が発症すればあっという間に広がります。
感染症の病気でなくとも、養鶏場では、1週間に何個か以上の卵を産めない鶏が出たら、卵を産む時期は終わったと見なし、他の鶏も一斉に殺すものです。
だから、インフルエンザにかかった鶏が逆に、インフルエンザに勝った強い鶏を殺してしまった可能性もあるといえます。
いずれにせよ、この事件のために、感染症が発症した場合は、一切外に出さずに封じ込めてしまうやり方が最善であるとの考えが強化されてしまったように思います。
日本では感染症は隔離政策が取られています。
コレラ、ペストもそうです。
SARS(重症急性呼吸器症候群 サーズ)のときも国内に入れないよう厳重に注意されました。
さらに最近では、新型インフルエンザの患者が発生した場合、即入院させ、隔離する法律を作る動きがあります。
2006年には介護施設においてインフルエンザにかかった高齢者まで隔離しようという対策が、マニュアル化されて配布されました。
しかし、鶏を皆殺しにしたように人間に対して隔離政策や封じ込め政策ができるものでしょうか。
インフルエンザの患者が数人出たからといって、隔離する病室など、高齢者の施設には余裕がないので、ありません。
仮に部屋があっても、病人を集めて、そこから出るな、などということは言えないでしょう。
トイレにだって行くでしょうし、見舞いの家族もいるのですから。
でも、厚労省からのお達しだけは、介護施設には出されているのです。
『インフルエンザ施設内感染予防の手引き』なるものを作って、可能なかぎり隔離し、行動を制限すべしという通達が出されています。
そのため施設では、一応、「インフルエンザの方、かぜをひいている方のお見舞いはご遠慮ください」と貼り紙だけはすることになります。
厚労省は通達一つ出しておけば、自分たちがやるべきことはやっている、足りているとするのです。
それに対しては、言われた側も一応ポーズであれ応えなくてはいけない。
貼り紙をしてインフルエンザの感染が防げるわけではないのに、ばかばかしいことです。
けれど、このパターンは日本ではよくあることなのです。
このようにばかげたことが、まかり通っているのです。
1996年に大阪堺市で0(オー)ー157という大腸菌による食中毒が起こったときのことを覚えていらっしやるでしょうか。
そのときから、全国の学校給食の調理師されました。
あの騒ぎ以来だいぶたちますが、この決まり事は、いまだに続いているのです。
ちょうど01157騒ぎの最中、私は横浜市の戸塚保健所の所長をしていました。
ある日、私のところに学校の先生が相談に見えて 「高校の学園祭で生徒が焼きそばを作るから、調理を受け持つ生徒の検便をやってくれないか」 と言うのです。
私はばかばかしくて、こう答えました。
「今日の便には0ー157はいない。
でも明日の便にはいるかもしれない。
そういう証明書でよければお書きしますよ」「今日の便には0ー157はいなかった」という検査結果がいったい何の免罪符になるのですか。
検便なんてやったって、なんの意味もありません。
考えてみてください。
検便で0ー157が出たからといって、それがどうだというのでしょう。
「調理してはいけません」 ということは、その人がトイレに入ったとき、おしりを手で拭いて、それを洗わないで出てきて、そのあと、人の食べ物を作るのではないかと疑われている、ということです。
そんな調理師がいるわけありません。
だいたい、食中毒を防ぐのには、食材の管理と手洗いの励行だけで十分なのです。
それなのに、みんな検便はしかたがないと思っている。
拒否もできないでしよう。 0-157騒ぎのとき、外国の友人はみんな言っていました。
どうして日本人は検便するのか、と。
検便というものは、ある人が下痢をして具合が悪い場合に、なんでその人は下痢をしているのか、その原因を究明するためにとる方法なのです。
健康な人が検便をしている国なんてありません。
私は「健康な人が、衛生という名目のために検便をする必要なんてない」と、現役時代からずっと言っていたのですが、いまだになくなりません。
製菓会社の不二家で、消費期限切れの食材を使って洋菓子を作っていたという騒ぎがありました。
そういうときに、問題のある工場を調べると、やっばり検便をしていなかった、という情報が出てきて、非難の対象になってしまったりするのです。
検便なんて何の関係もないのに。
おかげで、なかなか「検便はいらない」ということになりません。
無意味だし、いらないと思っても、個人では逆らいにくいⅠこれは、インフ ルエンザ・ワクチンとまったく同じ構図だと思います。
マスコミも もっとしっかりしてほしい
かつて、小中学生へのインフルエンザ・ワクチンの集団接種をやめたときは、マスコミの報道が追い風となりました。
そのころは、このワクチンの問題点をわかっている記者の方が何人かいて、いい記事を書いてくださいました。
けれど、その方たちはもうすでに、現場からいなくなってしまいました。
今は、新聞も雑誌も、読めば誰もが「インフルエンザ・ワクチンを打たなければ」と思ってしまうような、過剰に不安をあおる記事ばかりです。
まるで、インフルエンザ・ワクチンの宣伝のように読める記事もあります。
いったいどうして記者たちが(なのでしょう。
)サラリーマン化してしまい、厚労省の記者クラブ発表の情報を、そのまま記事にしているから、そういうことになるのでしょうか。
それとも、発表…………‥人間とウイルスの闘い現代日本にとってのワクチンインフル工ンザ・ワクチンをめぐる苦からのドタバタ劇「インフルエンザ」という言葉が歴史に登場するのは、はるか中世のイタリアですが、それを指すと思われる記述は紀元前からあります。
でも、インフルエンザという病気の実態がわかってきたのは、ほんとうにごく最近のことです。
歴史上、もっとも猛威をふるった「スペインかぜ」 のときに、初めて科学的に認知されたと言えます。
ほどでしたから、インフルエンザに対するワクチンを作りたいという願いはそのときから研究者の悲願でした。
このころ、まだインフルエンザ・ウイルスは発見されていませんでした。
インフルエンザは細菌が原因だと思われていたのです。
インフルエンザにかかった患者は、診察してみるとみんなのどで炎症をおこしています。
のどを調べると、ある細菌が急激に増えています。
この事実をドイツの学者が発見し、この菌こそがインフルエンザの原因に違いないと考え、のどで増えていた菌をインフルエンザ菌とし、この病気にへモスフィルス・インフルエンザという名前までつけてしまいました。
ところが、インフルエンザのときには、そのへモスフィルス・インフルエンザの菌とともに、肺炎双球菌という肺炎を起こす菌も、のどでよく増えていることがわかってきました。
じっは、その両方とも特別な菌ではなく、どこにでもいるめずらしくもない菌なのです。
健康な人ののどにもいるものです。
たまたまインフルエンザ・ウイルスに感染し、弱っている患者の場合には急激に増えて病状を悪くするわけです。
しかし、当時はインフルエンザ・ウイルスの存在が発見されていないため、へモスフィルス・インフルエンザと肺炎双球菌がインフルエンザの原因だと思われてしまったのです。
この学者たちの誤解のおかげで、大正時代の日本においても学界を二分して大論議が巻き起こりました。
こっちこそインフルエンザの原因菌だと言い張る二つの派の学者たちの間で大論争が起こり、なんとそれぞれのワクチンが作られたのです。
伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)はインフルエンザ菌と肺炎双球菌の両方の二次感染がインフルエンザの原因だとして、その混合ワクチンを作りました。
一方、北里研究所(現社団法人北里研究所、現在もインフルエンザ・ワクチンを作っているワクチンメーカー)ではインフルエンザ菌自体がインフルエンザの原因だとして、インフルエンザ菌のワクチンを作りました。
それで、いったいどちらのワクチンが効くか効かないか、当時の政界やら学閥やらを巻き込んでの大論争が始まりました。
やれ、どちらが肺炎をいくらか抑え記録もちゃんと残っています。
ところが、当時の医学書を見ると、「いずれにしてもその効果を明らかに証明する途(みち)はない」と書いてあります。
どちらのワクチンにしても、確実に効果があることは証明されてはいないわけなのです。
こんなワクチンでも、当時の内務省は、インフルエンザの予防接種をするように、と訓令まで出しているのだから、まったくおかしなものです。
当然ながら、その後のウイルス学の発展により、この論争はいつの間にか消えてしまいました。
それにしてもこの騒ぎは、今のインフルエンザを巡る状況にとても似ていると思いませんか。
ワクチンの歴史は 種痘から始まりましたワクチンの歴史は種痘(しゅとう)から始まりました。
種痘は、1796年にイギリスのジュンナ一によって開発されました。
種痘は、天然痘のワクチンです。
天然痘という病気は現在すでに地球上からなくなり、WHO (世界保健機関) は根絶宣言を出しています。
ワクチンが発見される以前、天然痘は致死率が高く、世界中で恐れられていた病気でした。
牛の天然痘である牛痘(ぎゅうとう)にかかった経験があると、人間の天然痘への免疫もつくことから、あらかじめ軽く牛痘にかかっておくという考えに基づいてできたのが、種痘です。
世界初のワクチンの登場です。
「ワクチン」 の名は、ラテン語の「雌(め)牛(うし)」から来ています。
初期のころは牛痘にかかった人の天然痘の膿(うみ)をとり、別の人の皮膚に傷をつけて入れ、その人が牛痘にかかったら、その人の膿をまた別の人へと、人から人へと受け渡していくというものでした。
日本に種痘が入ってきたのは江戸末期です。
長崎に着いた種痘(膿)を、江戸まで持っていくとします。
その場合は、天然痘にかかっていない子供を何人か連れて、キャラバンを組み、道中、種痘が絶えないように、キャラバンの子どもたちに次々と種痘を植え継ぎながら、目的地まで運んでいったのです。
明治の初め、種痘を牛に植え継いでおくことができるようになり、いつでも必「お種(たね)どころ」という種痘の継ぎ場所を作って、すべての子どもに種痘を徹底させる政策をとりました。
国が「種痘法」という法律を制定したのです。
法律では、種痘をすませた子どもは、その証明を戸籍に記録することになっていました。
やっていない子は罰金です。
なんと、この罰金制は、1977年に予防接種法が大きく変わるまで、法律に記されていました。
「感染症、伝染病はなんとしてでも防がなければならない」という国の姿勢は、いっそう硬直化して、今日にまで引き継がれています。
天然痘で死ぬ人はいないのに ワクチンの副作用で 亡くなる人が出続けました 日本では1955年に患者が出たのが最後で、天然痘という病は完全に姿を消しました。
ところが、日本から天然痘がなくなって、天然痘で命を落とす人がゼロになってからも、種痘の義務接種は続けられ、種痘の副作用による健康被害で亡くなる子どもが出続けたのです。
イギリスでは、種痘は1948年に義務接種をやめています。
日本では1976年まで、最後の患者が出てから20年以上も子どもたちに打ち続けました。
その結果、種痘の副作用のために亡くなった子どもは1年でおよそ10人にものぼっていたのです。
1970年代に日本各地で起こったワクチンによる健康被害者の集団訴訟では、146件のうち81件が種痘による事故でした。
種痘後の脳炎による死亡や重い後遺症を残す被害ばかりで、犠牲者のほとんどが0歳児、1歳児なのが痛ましい限りです。
結局、種痘が中止される1976年までに、認定されただけでも1586人の被害者を出してしまいました。
たしかに、天然痘は恐ろしい病気です。
だからこそ、天然痘で多くの死亡者が出ていたころは、天然痘の被害を防ぐために、その中でまれに種痘による事故が起こっても、しかたのないことと許容されていたのです。
けれど、すでに天然痘が国からなくなって20年もたっているのに種痘を打ち続う国なのでしょうか。
これほ完全に国の過失です。
いったん決まったことばなかなか変えられない日本の国家の体質にも問題があります。
種痘の副作用でお子さんをなくしたある方は、種痘の前に主治医の先生に相談しています。
「もう日本に天然痘はないからやらなくていいよ」 と言われ、いったんは打つのをやめているのです。
ところが、保健所から「まだすんでいませんね」とお知らせが来た、それで結局ワクチンを受けに行ってしまった。
保健所から催促の知らせが来たら、親はなかなか無視することはできません。
義務接種のワクチンというのは、それほど強制力のあるものなのです。
1980年、予防接種法から種痘ははずれました。
けれども、種痘での教訓を、日本は生かすことはできませんでした。
集団接種には高度成長という時代の背景がありました1932年(昭和7年)、ロンドンの学者が、インフルエンザの原因がウイルスであることを明らかにしました。
数年後には、A型、B型などの新しいタイプのウイルスが発見されて、変異をとげるインフルエンザ・ウイルスの性質がしだいに明らかになっていきました。
1940年代の初めには、鶏卵でウイルスを増殖させ、ウイルスを殺して作る、不活化ワクチンが作られ、実用化されるようになりました。
日本では、1957年には「アジアかぜ」といわれるインフルエンザの大流行があり、ワクチンの必要性が叫ばれるようになります。
そうして、1962年には、小中学生へのインフルエンザ・ワクチンの集団接種が始まることになるのです。
スタートした当時は予防接種医が足りず、人を駆(か)り出して予防接種をやってい当時
の予防接種のやり方はひどいものでした。
それより前ですが、大学院の医学生だった私も、予防接種に駆り出されて出かけていったことがあります。
インフルエンザ・ワクチンではありませんが、医師免許取りたてだった私が日まくった学生たちをズラリとならべて、看護婦さんが学生たちの腕を消毒していきます。
リバノールという、拭くと黄色くなるアルコール消毒綿で消毒しますので、学生たちの腕が黄色くなります。
その黄色くなった場所をめがけて、3時間に500人、3人がかりで1500人に、次々に注射を打ちまくるわけです。
70年代になってから、小学校でのインフルエンザの予防接種の状況は、もう少しましになったと聞いています。
それでも、子どもたちを2列に並ばせ、2人に1本の針で打っていたようです。
そのころは、バイアルというワクチンのびんに、50人分のワクチンが入っているような時代です。
1番目のほうがきれいだけど、2番目のほうが痛くないとか言いながら、子どもたちが並んでいたそうです。
当時は、日本の高度成長期でした。
経済成長の影でたくさんの公害病が発生しました。
環境や福祉は二の次の時代だったのです。
この時代のワクチンによる副作用の事件は、公害病とも言える一面があります。
ワクチンのあり方というのは、そのときの国の状態をほんとうによく表していると思います。
ポリオの流行を止めたのは お母さんたち、そして厚生大臣の決断でした
ポリオは「小児麻痔(まひ)」と呼ばれ、かつては日本でも流行がありました。
現在は 自然感染での患者は出ていません。
1977年に日本でポリオの流行が起こりました。
その当時、海外で使われ始 め、効果絶大といわれていたポリオの生ワクチンは、まだ日本では輸入が許可さ れていませんでした。
日本製では間に合わず、輸入するしかなかったのですが、国の研究機関である 国立予防衛生研究所の研究者たちは、外国のワクチンではどうだこうだ、日本に 合うかわからない、などとあれこれ理由をつけ、ワクチンを輸入することを渋り 続けました。
そのため、業を煮やした東京都杉並区のお母さんたちが国立予防衛生研究所に 十紡‰斬濠背負小、大挙して押し寄せるという事件がありました。
ソ連へ当時)やカナダからワクチンを取り寄せることを決定したのです。
ソ連、カナダから入ってきたワクチンが、1300万人の子どもに一斉に投与されました。
ポリオ・ワクチンの効果は劇的でした。
流行が見事に止まったのです。
ポリオの流行を止め、子どもたちを救ったのは、お母さんたちと、その気持ちを受け止め、断固とした決断を下した厚生大臣でした。
ワクチンにはこのような側面があります。
指導者の決断がものを言うのです。
1980年を最後にして、もう祁年以上、日本ではポリオの患者は出ていません。
ところがポリオ・ワクチンの副作用による患者は毎年出ている状態です。
ですから、現在ではポリオはお奨めできるワクチンとは言えません。
けれど、入ってきた当時のポリオ・ワクチンの劇的な効果というのは、すごいものでした。
これはワクチンならではの効果と言えるでしょう。
このように、ワクチンには両面性があるのです。
使うべきとき、使う必要のないときがあります。
その判断をすることが、指導者にとっても、私たちにとっても一番難しいことなのです。
日本脳炎ワクチンはネズミの脳で作られます 日本脳炎のワクチンは、ネズミの赤ん坊の脳を使って作ります。
生まれて2、3日目のネズミの赤ん坊の脳に、日本脳炎のウイルスを注射します。
2日くらいすると、ネズミの脳いっぱいにウイルスが増えています。
脳をやられてよたよたになった状態のネズミを殺し、ネズミの脳だけを取り出して、すりっぶし、乳剤にします。
その乳剤を精製して、できるだけネズミの脳物質を取り除き、日本脳炎のウイルスだけにしていきます。
そのままホルマリンに入れて不活化し、日本脳炎のワクチンができます。
この乳剤をいかにして精製し、日本脳炎ウイルスだけにするか。
それが、伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)にいた1960年当時、私がいた研究室のテーマでした。
そのころの日本脳炎ワクチンには、不純物であるネズミの脳物質もけっこう入した。
文字どおり汚れたワクチンでした。
日本脳炎ワクチンに、ネズミの脳物質が入っていると、どうなるのでしょう。
ワクチンを接種すると、日本脳炎のウイルスに対抗して日本脳炎の抗体ができます。
ところが、ワクチンの中にネズミの脳物質が残っていると、その脳物質に対する抗体もできます。
その抗体が人間の脳神経を攻撃してしまうことがあるのです。
その結果、自分の脳を自分で攻撃するような副作用が起きてしまう。
それで視神経をやられて目が見えなくなったりする障害などを起こす、急性散在性脳脊髄(のうせきずい)炎(えん)(ADEM アデム)を発症する人が出てきたのです。
そのころの日本では、毎年1500~4500人もの日本脳炎の患者が出ていたのです。
日本脳炎は蚊が媒介(ばいかい)します。
そのため、蚊の多い地方では、毎年毎年、日本脳炎のワクチンを打つような人もいました。
副作用のことを考えるとこれはほんとうに危険なことでした。
狂犬に噛まれたらワクチンで脳神経障害を起こすか死ぬか、助かるかの三つに一つ 日本脳炎ワクチンの副作用は予見されていました。
少し前のことです。
現代の日本では野良犬(のらいぬ)をほとんど見かけませんが、終戦後 は、今ではおしゃれな街の代表のような東京青山あたりにもうろちょろしていま した。
当然、狂犬病が多かったのです。
狂犬に噛(カ)まれたら、その毒は神経を伝ってゆっくり脳に到達します。
ですから、 怪しい犬に噛まれたら、すぐに狂犬病のワクチンを注射しなければなりません。
そして、毒が脳に到達する前に狂犬病のワクチンが効果を発揮するようにするの です。
当時、狂犬病のワクチンも動物の脳で作られていたため、ワクチンの中にその 脳物質が残っていました。
もし狂犬に噛まれたら、ワクチンが効いて狂犬病になもし■にで狂犬病で死ぬか、の三つに一つといわれていました。
ワクチンを打っても30パーセントは危険といわれるほどだったんです。
職場の伝染病研究所には、狂犬病のワクチンで重篤な副作用が出てしまった人のリストがありました。
終戦後の混乱期で、補償も何もあったものではない時代です。
ある一人の先輩研究者は、副作用被害のリストに載っている犠牲者を一人一人訪ね、贖罪(しょくざい)に歩いておられました。
その先輩が、あるとき私に言いました。
日本脳炎のワクチンも狂犬病のワクチンと同じように脳物質が入っている。
今に必ず狂犬病ワクチンと同じような副作用が出るよ、と。
日本脳炎ワクチンは回数も制限せず、無節制に打ってはいけない、と。
きれいな日本脳炎ワクチンができた それなのに国のしたことは-ー 1954年に、政府は日本脳炎ワクチンの打ち方の基準を決めました。
これで無節制に打つような人はいなくなりました。
けれど、日本脳炎の不純物の問題は相変わらずだったため、ウイルス学界では、日本脳炎のワクチンを、不純物の少ない、きれいなものにすることが緊急の課題でした。
当時私は伝染病研究所に籍を置いていました。
そこで研究者の一人として、日本脳炎ワクチンをきれいにする方法を探り始めたのです。
何度も遠心分離機にかけたり、渡(こ)したり、ほんとうにいろいろなことをやりました。
そしてようやくみんなの努力が実り、格段にきれいなワクチンが作れるよぅになりました。
きれいなワクチンを作る目途が立ち、研究室から、厚生省へ報告されました。
ところが声。
その当時、国のワクチンの審議会に入っていた私の恩師が、審議会の会議から、かんかんに怒って研究室に帰って来ました。
ワクチンメーカーが、「前の基準で作った日本脳炎のワクチンの在庫がまだ残っている」と言い出したというのです。
そして、今新しいきれいなワクチンに切だ、とメーカーが国に詰め寄ったというのです。
それで、国はどういう方針をとったかというと最悪の結論でした。
1年、新しいワクチンに切り替えるのを延ばしたのです。
その決定が審議会で通ってしまったのだと言うのです。
一刻も早く、副作用の少ないきれいなワクチンを、と苦労を重ねたというのに、なんということでしょうか。
ちょうどそのころ、赤ちゃんを産んだ友人がいました。
日本脳炎ワクチンの話が出たとき、私はアドバイスしました。
「今年はやめておきなさい。
来年にしなさい。
来年ならきれいなワクチンができるから」 そして1年後。
「こんなにきれいなワクチンができました」という見出しの新聞記事が出ました。
向こう側が見えるほどきれいです、と、国の研究機関の立派な先生がにこやかな顔をして、透明なワクチンのびんを高々と上げて見せている写真が載っていました。
出すと今でも涙が出ます。
この体験が「為政者(いせいしや)の視点からでなく、民のために役立てる公衆衛生を」、という私の原点になりました。
お国は平気でこういうことをやるのだと、ほんとうに悔しく思いました。
思い在庫のワクチンを使い切る1年あまりのうちに、いったい何人が副作用の被害にあってしまったのでしょうか。
ほんとうに市 今また 日本脳炎ワクチンが 復活しようとしています日本脳炎ワクチンは、それから二度、三度とさらに精製されて、きれいなワクチンになっています。
それでも脳物質が完全に取りきれるかどうか。
100パーセントとは言えないでしょう。
その証拠に、急性散在性脳脊髄炎駐仏淫Mアデム)の副作用はなくなっていません。
ー現在ではよりれているかど
のうせきずいえん)症の届け出があるのは60歳以下では毎年1人とか2人とか、その程度です。
だから私は、日本脳炎ワクチンは打たないほうがいい、打つのなら回数を減らそう、と言っているのです。
栄養状態がよくなっているし、休に基本的な免疫力があれば十分撃退できる病気なのです。
日本脳炎という病気は、九州や、本州なら近畿以南がほとんどで、東北や北海道ではまず出ません。
そのような地域差があるため、日本脳炎ワクチンは臨時予防接種とされていました。
全国一律ではなく、ワクチン接種をやるかやらないかは、各都道府県の知事が決定していたのです。
ところが、1994年に臨時予防接種自体がなくなり、日本脳炎ワクチンは全国一律の定期予防接種とされたのです。
そのために地方自治体では手続きが変わりました。
臨時予防接種のときは各都道府県知事が「やることを選択する」方法だったのが、定期予防接種になったら 「やらないことを選択できる」方式に変わってしまったのです。
定期予防接種というのは、そのワクチンを接種するよう努力をすべきということで、こうなると、「わが県はやりません」とはなかなか言いにくいものです。
案の定、知事たちはやらないリスクを負うのが嫌なものだから、北海道以外の 都府県すべて、今までやっていなかった東北6県までもが日本脳炎のワクチンを 打つことになってしまいました。
ところが、定期予防接種になってから、13例もの副作用が認定され、2004 年には、日本脳炎ワクチンを打った山梨県の中学生に急性散在性脳脊髄炎(AD EM アデム)の副作用が出て重体となりました。
このとき、急性散在性脳脊髄 炎は日本脳炎ワクチンの使用と関係があるということが、厚労省により認められ ました。
そのため、厚労省は翌年、「日本脳炎ワクチン接種の積極的勧奨を差し控え る」という方針を出し、中学生になったら行うことになっていた3回目の定期予 防接種を中止したのです。
しかし、今また日本脳炎ワクチン復活の動きがあります。
このごろ「日本脳炎ワクチンを全然打っていない年代があるから、大流行が心 配だ」という新聞記事をちらちら見かけるようになりました。
ワクチンをやっておかないと危ないと思わせるのが狙いだと思います。
どうしてこんな記事を頻繁に見かけるようになったのでしょう。
それは、まもなく新しい日本脳炎ワクチンができそうだからでしょう。
マウスの脳を使わずに培養細胞で作る日本脳炎ワクチンの開発が、現在着々と進んでいるのです。
そのうち「きれいなワクチンができました、今度は脳物質が入っていないから安心です」 という、日本脳炎ワクチンを奨める記事が新聞に出ることでしょう。
繰り返して言っておきます。
近年、日本脳炎の患者が激減したのは、ワクチンのおかげではありません。
ワクチンを打たなくても、蚊のいる関東以南の人々であれば、みんな抗体を持っています。
しかも普のように農作業をするかたわらに赤ん坊を寝かせておくなど、免疫のない乳幼児が蚊に刺され放題になるような環境はもうありません。
生活環境の変化があり、栄養状態がよくなり、発症する人が少なくなってきているのです。
犠牲者を出しながら打ち続けられたMMRワクチン 1989年、ちょうど、インフルエンザ・ワクチンの接種量が急激に落ち込み始めたころのことです。
厚生省は新しいワクチン接種をスタートさせました。
1970年代から日本の官民共同で研究開発された、MMR (はしか、おたふくかぜ、風疹(ふうしん))ワクチンです。
はしか、おたふくかぜ、風疹のワクチンを合わせた混合ワクチンで、「欧米では実績がある」 「3回の痛い思いが1回ですむ」と大々的に宣伝されました。
ところが、このMMRワクチンが4月に導入されてすぐ、無菌性髄膜炎(ずいまくえん)を起こす症例が多発したのです。
髄膜炎とは、かつては脳膜炎(のうまくえん)ともいわれた病気で、無菌性の場合は、重症になると脳症や脳炎を引き起こし、難聴などの後遺症を残すこともあります。
おたふくかぜをこじらせるとかかる場合がある病気ですが、自然感染の場合、おたふくかぜにかかるのは4歳以上の幼児ですから、2歳未満の
(た。
前出の『前橋レポート』をまとめた群馬県・前橋市医師会は、この間題に早くから気づいていました。
1987年に『前橋レポート』でインフルエンザ・ワクチンの無効性を証明したばかりの彼らは、MMR導入に際して、副作用について慎重に調査しようと申し合わせていたのです。
果たして、MMRワクチン接種後、無菌性髄膜炎が多く発生していることが明らかになり、あまりにその率が高いことに驚いた医師たちは、調査結果を厚生省へいち早く報告しました。
当初は、無菌性髄膜炎が多いのは前橋だけだ、と相手にしなかった厚生省も、他県からも無菌性髄膜炎の璽口が届くようになるとようやく重い腰を上げ、予防接種委員会を 作り、対策を講じることにしました。
ところが、厚生省の出した結論は、「今後ともMMRワクチンを慎重に続ける ように」という方針だったのです。
1990年、公衆衛生院にいた私は、カナダのモントリオールで開かれた国際感染症学会へ出かけました。
そこで知り合い、副作用について情報交換したカナダ政府の人から、ほどなく連絡が入りました。
日本でのMMRの副作用にっいての論文を送ってほしいという要請でした。
そこで私は、前橋市医師会が発表していた無菌性髄膜炎にっいての論文を送ったのです。
カナダは日本と同じウイルスで作られているMMRワクチンを使っていましたが、副作用による被害者が3名出たというのです。
その2カ月後、カナダの子どもにこのMMRはふさわしくないと、カナダ政府はMMR販売中止に踏み切ります。
同じころ、ベルギー、フランス、イギリスでも日本と同じウイルスを使ったMMRの接種をさっさと中止しています。
ところが、世界中がNOと言って拒否したワクチンを、日本は依然として自国の子どもに打ち続けたのです。
翌年、再びカナダ政府から連絡があり、WHO(世界保健機関)とカナダ政府で開くワクチンの副作用についての会議に出てほしい、と依頼がありました。
厚生省からは「厚生省が頼んであなたに行っていただくわけではない」などと言われ、十分な協力も得られないながらも出席しました。
カナダの会議では、世界中のワクチン副作用について、真剣な議論が行われてRを続けている日本の状況が恥ずかしく、どうして自分は公衆衛生院という国の試験研究機関にいながら、何もできないのかとつくづく無力さを感じていました。
MMRというワクチンは、いろいろな問題をはらんでいる、とんでもないワクチンでした。
おたふくかぜワクチンと風疹ワクチンというあまり人気のないワクチンを、効果も高く、ワクチン必要度も高いはしかのワクチンに乗っけて、一緒に打ってもらおうという魂胆でできたものでした。
そして一刻も早く市場に出したいと、きちんと安全であるか否かの検査、調査もされないまま、世に出てしまったワクチンだったのです。
同じころ、ワクチンに含まれるウイルスを調べる画期的な検査法も、国立感染症研究所で研究が進められていました。
けれどMMRの発売開始までには間に合わなかったのです。
発売3カ月後に、遅ればせながらその検査法でMMRを検査したところ、3種のワクチンの中のおたふくかぜワクチンの毒性が強いことが判明するのです。
それだけではありません。
ワクチンメーカーの1社は途中で勝手に製造方法を変え、国立予防衛生研究所(現国立感染症研究所) の検定も受けずに出荷していたことが、明らかになりました。
発売から5年すぎ、MMRは、やっと、事実上中止されました。
結果、日本では5名の死亡を含む1700人以上の副作用被害を出すという最悪の結果を残すことになってしまいました。
どうして日本は、副作用被害が出てもすぐにワクチンを中止しようとしないのでしょうか。
明らかに疑わしいものを、副作用と認めようとしないのでしょうか。
子どもたちの命と健康をどう考えているのでしょうか。
病気がなくなっても種痘を続け、たくさんの犠牲を出した日本という国は、何も改めないまま同じ過(あやま)ちを繰り返したのです。
その2に続きます。
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