ああこういう世界になるんだなあ。
なんだあ、みんな底のところで共通意識が繋がっているんだなあ。
なんのことかというと、昨今の世界金融恐慌で、物の大量生産、大量販売、大量消費、大量廃棄という循環は既に終わりを迎えていたという事が分かったということか。
トヨタの没落が脚光?を浴びているし、電機その他、物の大量消費時代はもう終わった。そのきっかけが金融恐慌というものだ。その点、アメリカは世界の縮図というか現実の頂点を見せて演じてくれたわけだ。
このニッポンもそろそろその影響がモロに出始める頃だろう。
景気回復などと言うのはありもしない幻想なのだが、それをまだ忘れられずにいるという、まあ、パチンコで大勝ちした経験が忘れられないたぐいなんだな、きっと。
脳内何とかが一挙に放出されて恍惚感を味わったあの感覚が忘れられずに、せっせと「夢よもう一度」という想いも無理もないことだが、もうそれは夢なんだよ。
世界は物作りの頂点に達しているんだ。その生産力は偉大なるかな、人がいらないんだね、もう。
ごく少数の人間だけで、後は機械がやってくれる。資材さえ投入すればどんどん造ってくれる。後はそれをさばく(売る)だけのこと。
だから、人員整理が起きて当然なんだ。
造りすぎたらどうなる。余って売れなくなる。売れない物を造る会社は社員の給料を減らすか人員を減らす。
こんな事がすべての業種で起こり始めているというわけだ。
あの金融恐慌がそれを実にハッキリと分からせてくれただけのこと。
では、ほとんどの人は仕事が無くなるということか?
ハッキリとしているのは製造はもうこれ以上人員は要らないということだろう。
そして、それを大量販売する人員も必要なくなるということになるだろう。
いま起こっているスーパーの安売り競争も、そこに到達するための早道促進ということになるだろう。
行き着くところまで行くと、人は働き場所がすごく減ってしまう。
そこなんだ。
人類の未来は明るい。
ここなんだ。
なにか矛盾していると感じるかも知れないが、人類の未来は明るいという、これは決まっている未来なんだから変えようがない。
では、その明るい未来と仕事が無いということにどういう矛盾を考えるんだろうか。
仕事がない=お金が得られない=生活が出来ない。
こんな事を反射的に考えてしまうだろう。
仕事をしなければお金が得られないーーーーーーー20世紀まではずっとこの方程式で決まりだった。
ところが、
21世紀からは、
仕事をしなくともお金が得られる=生活ができるという安心社会。
そこでは仕事は生活の糧を得ることから、自分の好みのことをする事が社会に自動的に貢献している社会ということになる。
これを可能のしたのが、20世紀までの機械文明の発達だった。
しかし、ほとんどの人はそうならなかった。
ごく一部の人だけが仕事をしなくても生活が出来たのだが。
それは富の偏在だったからだ。
物はもう有り余るほど作れる。食料も循環がスムーズになれば十分足りるし、これ以上の増産の可能だ。
さらに無駄が8割以上もあるこの文明をちょっと正すだけで、貧困も飢餓も無くなる。
ほんのちょっと頭の切り替えをやるだけなのだ。
高速ATCだの、定額給付金などというような姑息な手段じゃ駄目なんだ。金回りをよくすると言ってもそれは上空だけであるからだ。
それに景気回復などという幻想はもう時代錯誤なのだから。
景気と言ってきたのは、大量生産、大量消費の世界だからだ。
それはもう終焉した。
あとは皆が気づくだけなのだ。
条件は揃っている。出来る条件は揃っているのに、それに気づかないだけのことなのだ。
働くことで収入を得るという条件の世界は、世界に上下関係を産むだけだ。貧富の差を広げるだけだ。
同じ時間で稼いでもお金になる仕事とならない仕事がある。
どの仕事に付加価値をつけるのだ。
どの仕事も誰かがやらなければ、自分でやるしかない。それを他人がやってくれているだけのこと。
ゴミ拾い、掃除、そんなちんけな仕事をやっていられるか!と言って、金儲けの仕事だけをやって、得られた報酬だけでえばってしまう。
じゃあ、そんなのやってられるかい!と言ってだれもやらなかったらそれは自分でやらなければならない。
同じ時間をかけて、どれが重要だの、そうでないだのと言えるのか。
お金をどれだけ得られるかで仕事を決めている社会がいま崩壊しているのだ。
世界金融恐慌とは100年に一度なんてちんけなものじゃないのだ。
これは人類史上、かつて無かったような大変革の兆しなのだ。
そしてこの先の未来は暗くて貧しい世界ではないのだ。
明るくて、ひとが本来この世界に生まれ出てきた喜びを誰もが味わえるという、今の人類が記憶していない世界が始まるのだ。
これは共産主義とは似て非なる世界だ。
自由が基盤となっているからだ。
誰もが人生を楽しく創造できる基本となる、生存の基本が浮かび上がって来たのだ。
とまあ、興奮気味になっているわけだが、こういう考え方は以前からずっとあったのだ。また、誰しも一度は考えたことがあるかも知れない。
しかし、「そんな事は不可能だ」という自らの否定感がそれを実現させなかった。
その実現を許すーーーという自縛を解くことだけで、それはどんどん実現してくる。
なにしろ、その実現化の材料は既に揃っている、準備万端のお膳立てが今までの苦しい世界の歴史だったようだ。
直ぐにでも出来る準備は完了している。
後はみんながそれを「認める」ことだけだ。
理想世界の現実化。
古今東西の宗教、思想家が説いていた世界のことだ。
その実現化には、どうしても現代医学の革命が必要なようだが。
経済的生活には自由を得られても、現代医学の呪縛から解放された自由でないと、本当の自由にはならないからだ。
これは人類全体の土壌に関係してくるからだ。
土壌を清浄にしなければ、心身の自由は得られない。
現代の人類は過去の清算をしつつ、未来の人類の土壌を創造しているのだから。
それは人体のガン細胞のごとく、人類の誰かがそのガン細胞的役割を引き受けて、全体の清浄化に貢献しているのだ。
人類を救うという役割の人が現れるというが、既にそれを行っている多くの人たちに感謝申し上げなければならない。
「救われる役目をしている人」こそ「人類全体を救う役割をしている」と気づくことが肝要ではないだろうか!?
またまた、前書きがあちこちに飛んで飛んでイスタンブールだった。
ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー
バウの道中記】2009年4月8日 武蔵野 月笑庵
【ベーシックインカム】
より。
文章は上記にて、
この動画を参考に。
http://dotsub.com/view/1689fc6f-bade-4482-8829-04c0635f4731
-----------------------以上引用終わり--------------------------------
なんだあ、みんな底のところで共通意識が繋がっているんだなあ。
なんのことかというと、昨今の世界金融恐慌で、物の大量生産、大量販売、大量消費、大量廃棄という循環は既に終わりを迎えていたという事が分かったということか。
トヨタの没落が脚光?を浴びているし、電機その他、物の大量消費時代はもう終わった。そのきっかけが金融恐慌というものだ。その点、アメリカは世界の縮図というか現実の頂点を見せて演じてくれたわけだ。
このニッポンもそろそろその影響がモロに出始める頃だろう。
景気回復などと言うのはありもしない幻想なのだが、それをまだ忘れられずにいるという、まあ、パチンコで大勝ちした経験が忘れられないたぐいなんだな、きっと。
脳内何とかが一挙に放出されて恍惚感を味わったあの感覚が忘れられずに、せっせと「夢よもう一度」という想いも無理もないことだが、もうそれは夢なんだよ。
世界は物作りの頂点に達しているんだ。その生産力は偉大なるかな、人がいらないんだね、もう。
ごく少数の人間だけで、後は機械がやってくれる。資材さえ投入すればどんどん造ってくれる。後はそれをさばく(売る)だけのこと。
だから、人員整理が起きて当然なんだ。
造りすぎたらどうなる。余って売れなくなる。売れない物を造る会社は社員の給料を減らすか人員を減らす。
こんな事がすべての業種で起こり始めているというわけだ。
あの金融恐慌がそれを実にハッキリと分からせてくれただけのこと。
では、ほとんどの人は仕事が無くなるということか?
ハッキリとしているのは製造はもうこれ以上人員は要らないということだろう。
そして、それを大量販売する人員も必要なくなるということになるだろう。
いま起こっているスーパーの安売り競争も、そこに到達するための早道促進ということになるだろう。
行き着くところまで行くと、人は働き場所がすごく減ってしまう。
そこなんだ。
人類の未来は明るい。
ここなんだ。
なにか矛盾していると感じるかも知れないが、人類の未来は明るいという、これは決まっている未来なんだから変えようがない。
では、その明るい未来と仕事が無いということにどういう矛盾を考えるんだろうか。
仕事がない=お金が得られない=生活が出来ない。
こんな事を反射的に考えてしまうだろう。
仕事をしなければお金が得られないーーーーーーー20世紀まではずっとこの方程式で決まりだった。
ところが、
21世紀からは、
仕事をしなくともお金が得られる=生活ができるという安心社会。
そこでは仕事は生活の糧を得ることから、自分の好みのことをする事が社会に自動的に貢献している社会ということになる。
これを可能のしたのが、20世紀までの機械文明の発達だった。
しかし、ほとんどの人はそうならなかった。
ごく一部の人だけが仕事をしなくても生活が出来たのだが。
それは富の偏在だったからだ。
物はもう有り余るほど作れる。食料も循環がスムーズになれば十分足りるし、これ以上の増産の可能だ。
さらに無駄が8割以上もあるこの文明をちょっと正すだけで、貧困も飢餓も無くなる。
ほんのちょっと頭の切り替えをやるだけなのだ。
高速ATCだの、定額給付金などというような姑息な手段じゃ駄目なんだ。金回りをよくすると言ってもそれは上空だけであるからだ。
それに景気回復などという幻想はもう時代錯誤なのだから。
景気と言ってきたのは、大量生産、大量消費の世界だからだ。
それはもう終焉した。
あとは皆が気づくだけなのだ。
条件は揃っている。出来る条件は揃っているのに、それに気づかないだけのことなのだ。
働くことで収入を得るという条件の世界は、世界に上下関係を産むだけだ。貧富の差を広げるだけだ。
同じ時間で稼いでもお金になる仕事とならない仕事がある。
どの仕事に付加価値をつけるのだ。
どの仕事も誰かがやらなければ、自分でやるしかない。それを他人がやってくれているだけのこと。
ゴミ拾い、掃除、そんなちんけな仕事をやっていられるか!と言って、金儲けの仕事だけをやって、得られた報酬だけでえばってしまう。
じゃあ、そんなのやってられるかい!と言ってだれもやらなかったらそれは自分でやらなければならない。
同じ時間をかけて、どれが重要だの、そうでないだのと言えるのか。
お金をどれだけ得られるかで仕事を決めている社会がいま崩壊しているのだ。
世界金融恐慌とは100年に一度なんてちんけなものじゃないのだ。
これは人類史上、かつて無かったような大変革の兆しなのだ。
そしてこの先の未来は暗くて貧しい世界ではないのだ。
明るくて、ひとが本来この世界に生まれ出てきた喜びを誰もが味わえるという、今の人類が記憶していない世界が始まるのだ。
これは共産主義とは似て非なる世界だ。
自由が基盤となっているからだ。
誰もが人生を楽しく創造できる基本となる、生存の基本が浮かび上がって来たのだ。
とまあ、興奮気味になっているわけだが、こういう考え方は以前からずっとあったのだ。また、誰しも一度は考えたことがあるかも知れない。
しかし、「そんな事は不可能だ」という自らの否定感がそれを実現させなかった。
その実現を許すーーーという自縛を解くことだけで、それはどんどん実現してくる。
なにしろ、その実現化の材料は既に揃っている、準備万端のお膳立てが今までの苦しい世界の歴史だったようだ。
直ぐにでも出来る準備は完了している。
後はみんながそれを「認める」ことだけだ。
理想世界の現実化。
古今東西の宗教、思想家が説いていた世界のことだ。
その実現化には、どうしても現代医学の革命が必要なようだが。
経済的生活には自由を得られても、現代医学の呪縛から解放された自由でないと、本当の自由にはならないからだ。
これは人類全体の土壌に関係してくるからだ。
土壌を清浄にしなければ、心身の自由は得られない。
現代の人類は過去の清算をしつつ、未来の人類の土壌を創造しているのだから。
それは人体のガン細胞のごとく、人類の誰かがそのガン細胞的役割を引き受けて、全体の清浄化に貢献しているのだ。
人類を救うという役割の人が現れるというが、既にそれを行っている多くの人たちに感謝申し上げなければならない。
「救われる役目をしている人」こそ「人類全体を救う役割をしている」と気づくことが肝要ではないだろうか!?
またまた、前書きがあちこちに飛んで飛んでイスタンブールだった。
ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー
バウの道中記】2009年4月8日 武蔵野 月笑庵
【ベーシックインカム】
より。
文章は上記にて、
この動画を参考に。
http://dotsub.com/view/1689fc6f-bade-4482-8829-04c0635f4731
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