わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

学ぶだけじゃネエ~ 知識だけじゃコンピュータ記憶装置

2015年06月24日 | 岡田茂吉医学論研究会用

岡田茂吉研究会

まあ、会員はボクひとりのようですが・・・

 

「信者さんはおことわり」

というか、

ただ信じるだけのひと、ただ信じないだけのひと

はおことわり  なんですが。

 

 

 

 

何が言いたいかというと、

これです。

 

InDeep様のブログより

「革命」(1)より

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

革命とは「ひとりひとりが考えること」


であり、それがすべてだと思うのです。

どんなことを考えるかは自由でしょうし、あるいは「自由でなければいけない」のかもしれません。
考える内容は何でもいいのですが、大事なのは「自分の考えに基づいたものである」ことです。
それが最も大事なことだと思います。

学ぶことは大事かもしれないですが、人から学んで習得したことだけを考え続ける限りは、そのことを探究はできても、「完全に新しいもの」は出てこないとバーネットさんは語ります。

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

つまりですね、

医学で言えば医学教科書かな・・

教えられたものそのまま受け取る。

まあ、これは最初は必要です。だって何も知らないんですからね。

ところが、それをいつまでもいつまでも正直者は馬鹿を見る、じゃない、バカのママでいる。

考えようとしないわけです。

だって、

「教えられたものは何時までも正しい」というインプット(これが教育の本筋だろうが)

教えられたものそのまま真実そのものとして永遠に信じていける者 それが洗脳教育と言われるゆえんなのかも。

 

そこへ、

 

「たとえ、教祖の言でも疑え」

 

という過激な言がでてきました。 

だれだ! 

あ、ボク・・・

 

なんだ、オマエの言など最初から疑っているぜ(笑い

 

そうなんですよ、ここであなたは考えた。ヤツの言う事は眉唾だから、いつも自分で判断しないとひでえ目に遭う危険性がある。

とかね。

 

では、あなたの信じる対象が学問、とか教育する立場の人とか、教祖とかある意味

「権威筋」からだったら、こうならないのですね。

 

まず「疑え」そして「真実だと確信したら信じよ」と。それをやったとしても・・・

ずっとそれを「信じたまま」で居たら、どんでん返しもあるって事です。

 

それはその時の判断力で、あなたもボクもその時点での実力でしか無いわけです。

その後、何年かして・・・

「あれ、どうも違うかな?」なんで疑問が出てくるような情報に接して・・・

「でも、いちど信じたんだから・・・」

とか

「●●の教えだから」

とか

で、「考えないようにしよう」と。

 

それは

革命にならない

 

ってことです。

なんだか、自分に言い聞かせる記事でしたな。

 

考えるな感じるんだ

なんでのは次の段階でまた・・・

 

へたな考え休むに居たり・・

でもやはり、考えるという能力を与えられたんですから、

鵜のみ丸飲みは現金ニコニコ支払いじゃない!

自分で考えて、納得できてこそ、自分のものになる

 

それをしないと、

あるとき、突然

私はドコ? ここは誰?

なんてことに。

 

「信じよさらば救われん」 

信じる前に考えて見たらということで。

それは死ぬまで検証していかないと・・・・

いや、ひとの意識は死なないから、永遠かな?

 

 

 

 

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