この年末年始において、この3連休はだいぶお得感がある。
ひで氏です。
せっかくなので、年末に起こったことなんかも振り返りながら今年はブログの更新頻度をあげたいと思う今日この頃。
年末というわけでもないのだが昨年12月のはじめ、久しぶりに神戸に行った。
友人の結婚式2次会に出席するためである。
私ひで氏は以前三宮に毎日通っていたことがあるのだが、その時は毎日奈良と往復していたのでとにかく早く街を飛び出して奈良に帰ることを最優先にしていたため、三宮という街を心から堪能する機会があまりなかったのだ。
今回、二次会会場がということで久しぶりに元町まで繰り出したわけだが、
電車を降りたときに駅が妙な雰囲気に包まれていた。
そして改札まで進んでいくとその理由がわかった。
そうか、神戸ルミナリエだ。しかも開催2日目ということで、まだまだ話題としてアツい時期だ。
そういえば三宮時代、毎年のようにこのルミナリエの時期は人が増えるのでむしろ避けるように帰っていた想い出がある。
なぜ人がこぞってルミナリエに集まってくるのか、全く理解できなかった。
ちょうど三宮と元町の間にあった会場では、私ひで氏にとっては懐かしい面々がそろっており、それだけでテンションがあがった上に、
この日ありがたくもお願いされていた1曲歌うというミッションも、会の早い段階でのパフォーマンスだったので、非常に安心感があった。
余談だが、結婚式や二次会で歌を歌うときはライブ以上に緊張する。依頼してくれた人の人生一度の晴れ舞台で歌うというのは予想以上に緊張するものだ。しかも会のクライマックスにパフォーマンスが設定されていることが多いので、それまで酒を控えたり食べ物も心の底からはリラックスして食べられないのだ。だからこの日のように早めの演奏はむしろありがたかった。
懐かしい仲間と大いに盛り上がり、そのままもう一軒ぐらい行きましょうという流れになったのだが、会場を出て談笑しながら歩いているうちに知らず知らずのうちに私ひで氏を含む5,6人の集団は気付けば神戸ルミナリエの順路に入っていたのである。
さすがオープン二日目、順路に入っているのに一向に何もない。
ただバリケードで仕切られた順路を、さっき店にいたときの続きのように笑って話しながら進んでいるだけだ。
この日は神戸大丸もいつもと違った。
そして十分ほど歩いただろうか、それは突如目の前に現れた。
ルミナリエを目的に来たのではなく、寒空の下、懐かしい仲間と昔話に花を咲かせている間に不意に現れた光景に息を呑んだ。
それが良かったのかもしれない、このイルミネーションが何の偏見もなしにストレートに自分に入ってきた感覚があった。
それはとても美しかった。
電飾が圧倒的でうわぁーということではない。むしろそれはそれまで私がルミナリエに持っていたイメージだった。
それは、電飾だからどうというものではなく、森を彷徨い歩いていたら突如闇に浮かびあがった厳かな宮殿のようだった。ここを歩いている全員がこの宮殿の晩餐会に招待された客人のようで、中に吸い込まれていくようにも見えた。不思議な感覚だった。
これがきっかけで後で調べてみたのだが、この神戸ルミナリエは95年のあの阪神大震災の慰霊の意を込めて始まったものだと知った。
それが継続され、25年近く経ついまも続いているのだ。
この時完全なるオフガードで目に飛び込んできたあの宮殿の裏にそういう想いが脈々と受け継がれてきていたのだと、恥ずかしながら今更知り、
またそのルミナリエの想いのコアな、そしてピュアな部分を、たまたま色々な条件が重なったことでなんの邪念もなくすっと受け取れたような気がする。
三宮にゆかりがあったのは6年。その間一度も見たことのなかった神戸ルミナリエを初めてこの目で見て、初めて理解できたような気がした年の瀬だった。
ひで氏です。
せっかくなので、年末に起こったことなんかも振り返りながら今年はブログの更新頻度をあげたいと思う今日この頃。
年末というわけでもないのだが昨年12月のはじめ、久しぶりに神戸に行った。
友人の結婚式2次会に出席するためである。
私ひで氏は以前三宮に毎日通っていたことがあるのだが、その時は毎日奈良と往復していたのでとにかく早く街を飛び出して奈良に帰ることを最優先にしていたため、三宮という街を心から堪能する機会があまりなかったのだ。
今回、二次会会場がということで久しぶりに元町まで繰り出したわけだが、
電車を降りたときに駅が妙な雰囲気に包まれていた。
そして改札まで進んでいくとその理由がわかった。
そうか、神戸ルミナリエだ。しかも開催2日目ということで、まだまだ話題としてアツい時期だ。
そういえば三宮時代、毎年のようにこのルミナリエの時期は人が増えるのでむしろ避けるように帰っていた想い出がある。
なぜ人がこぞってルミナリエに集まってくるのか、全く理解できなかった。
ちょうど三宮と元町の間にあった会場では、私ひで氏にとっては懐かしい面々がそろっており、それだけでテンションがあがった上に、
この日ありがたくもお願いされていた1曲歌うというミッションも、会の早い段階でのパフォーマンスだったので、非常に安心感があった。
余談だが、結婚式や二次会で歌を歌うときはライブ以上に緊張する。依頼してくれた人の人生一度の晴れ舞台で歌うというのは予想以上に緊張するものだ。しかも会のクライマックスにパフォーマンスが設定されていることが多いので、それまで酒を控えたり食べ物も心の底からはリラックスして食べられないのだ。だからこの日のように早めの演奏はむしろありがたかった。
懐かしい仲間と大いに盛り上がり、そのままもう一軒ぐらい行きましょうという流れになったのだが、会場を出て談笑しながら歩いているうちに知らず知らずのうちに私ひで氏を含む5,6人の集団は気付けば神戸ルミナリエの順路に入っていたのである。
さすがオープン二日目、順路に入っているのに一向に何もない。
ただバリケードで仕切られた順路を、さっき店にいたときの続きのように笑って話しながら進んでいるだけだ。
この日は神戸大丸もいつもと違った。
神戸三宮友人の結婚式二次会終わりに流れで行ったルミナリエにて意外と大丸が一番カッコ良かった件。 pic.twitter.com/cPioZB7uFR
— アランスミシーバンド ヒデ (@asbhide) 2017年12月20日
そして十分ほど歩いただろうか、それは突如目の前に現れた。
ルミナリエを目的に来たのではなく、寒空の下、懐かしい仲間と昔話に花を咲かせている間に不意に現れた光景に息を呑んだ。
それが良かったのかもしれない、このイルミネーションが何の偏見もなしにストレートに自分に入ってきた感覚があった。
それはとても美しかった。
電飾が圧倒的でうわぁーということではない。むしろそれはそれまで私がルミナリエに持っていたイメージだった。
それは、電飾だからどうというものではなく、森を彷徨い歩いていたら突如闇に浮かびあがった厳かな宮殿のようだった。ここを歩いている全員がこの宮殿の晩餐会に招待された客人のようで、中に吸い込まれていくようにも見えた。不思議な感覚だった。
これがきっかけで後で調べてみたのだが、この神戸ルミナリエは95年のあの阪神大震災の慰霊の意を込めて始まったものだと知った。
それが継続され、25年近く経ついまも続いているのだ。
この時完全なるオフガードで目に飛び込んできたあの宮殿の裏にそういう想いが脈々と受け継がれてきていたのだと、恥ずかしながら今更知り、
またそのルミナリエの想いのコアな、そしてピュアな部分を、たまたま色々な条件が重なったことでなんの邪念もなくすっと受け取れたような気がする。
三宮にゆかりがあったのは6年。その間一度も見たことのなかった神戸ルミナリエを初めてこの目で見て、初めて理解できたような気がした年の瀬だった。