The Alan Smithy Band

The band is on a mission.

どっちもお母さん!

2006年02月22日 | ヒデ氏イラストブログ
小学校のとき、先生を呼ぶときに間違って「お母さん」と呼んでしまう子がいました。
周りには失笑を買う行為ですが、おそらくたくさんの人が、口に出して言わないまでも
思わず言いそうになって「あぶね~」と思った経験をお持ちではないでしょうか。
どちらかというと男の子のほうが多いような気がします。

小学生にとって、先生はかなり絶対的な存在であり、まだ逆らうとか反抗するとかいうような
時期ではなく、わからないことは何でも聞くし、先生の言ったことが間違っている
などとはよほどでない限り思いません。外の世界における親のような存在です。


杜子春(とししゅん)、という話をご存知でしょうか。
何をやっても散財する杜子春という青年が、道端で途方に暮れていると仙人が救いの手を差し伸べてくる。
杜子春が「あんたのような仙人になりたい」というと仙人はじゃあ仙人になるための試練を受けさせてあげよう、
と杜子春にチャンスを与える。その試練を乗り越える条件はひとつ、「何があっても決して声を出さない」こと。

杜子春は「よっしゃ、やるぜ」と意気揚々と試練に挑み、自分の周りで起こる恐ろしい幻覚?や
出来事にも必死で我慢して声を殺して散々耐え抜くのですが、最後の最後、
馬にされた親が目の前で苦しめられているのを見て思わず叫びます。

「おかあさん!」 と。

その瞬間、はっと気がつくと杜子春は元の場所にいます。すべては幻覚、杜子春は試練を乗り越えることが
できず、結局仙人にはなれず凡人として暮らしていく、といった話です。
僕はこれを小学生時分に紙芝居で見たのでものすごい印象とともに覚えています。原作は芥川龍之介です。

この杜子春が思わず叫んだ「おかあさん!」と小学生が思わず叫ぶ「おかあさん!」が
僕にはクロスオーバーしてならないのです。

小学生が先生に母の面影を見て叫ぶ「お母さん」、それは
外の世界では切り替えているはずなのに、なかなか抜けることのない無意識レベルでの親への依存。
かたや杜子春も、仙人になるためには心を鬼にして黙っていなければいけないにも関わらず思わず漏れる叫び。

僕はここに親離れできない人間の甘さ=愛おしさを感じるのです。

もっとも、原作の杜子春では教えを守れなかった杜子春になんと仙人が
「お前があの場で親を見捨てるようだったら殺すつもりだった」との衝撃の一言。

どっちにしても仙人にはなれんかったんかいな!

しかも殺されかけ!

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4 コメント

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Unknown (みか)
2006-02-27 20:06:52
げん君。かおりちゃんのあだ名で「かあちゃん」はないわ。

「かおちゃん」ならあり得るけどね。。。
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一度だけ (げん)
2006-02-27 18:09:25
一度だけじゃん、お母さんって言ったの。しかも「かあちゃん」。かおりちゃんのあだ名としても充分ありえるあだ名で・・・。

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それは重症 (hide)
2006-02-24 11:01:27
それはすごい。まあその分室長がよっぽど面倒見がいいヒトだということの表われでしょう。

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Unknown (室長)
2006-02-23 12:17:57
最後の仙人の言葉、予想外で衝撃的。



私よく彼氏に間違って“お母さん”って呼ばれちゃうんですが…
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