順調に中毒症状が現れて、なかなかいいペースで自転車に乗れている。
ひで氏です。
ハードロックカフェ大阪でのTHE WAREHOUSEのライブも無事、盛況に終わり2ステージを歌い切ったあとの朝、
なぜか異様に目覚めが良く、天気も最高だったのでまた乗ったわけである。
私ひで氏はかねてより自転車に乗ることの心身への効能を何度も述べ続けているが、
20年ほど前、ふた夏だけ自転車競技部に所属していたことがある。
当時友人の父に組んでもらった自転車に乗りたくてたまらない私ひで氏、近くの高校に自転車競技部があるということを知った。
自分の通っていた高校には自転車競技部は無く、そのクラブを訪ねて「休みの間だけでも参加させてほしい」と直談判をしたのだ。
そこで一度練習を見に来なさい、ということになり週末、練習を見学に行った。
練習場所というのは奈良競輪場であった。
そして自分と同い年の高校1年生の数人が、ブレーキのない自転車でバンクを走る自転車を見て驚いた。
しかもその日、部員の一人がバンクで転倒、ジャージはボロボロに擦り切れ左足に摩擦による火傷を負うというアクシデントを目撃するというおまけまでついてきた。
すっかり怖気づく、かと思いきや、私ひで氏はなぜかその日の練習を見て入部を決めたのだ。
しかしバンクを走ることは実は在籍中一度もなかった。この部の活動の中心はロードレースであり、バンクで走る練習はこのとき本当にたまたま起きたことなのだった。今でも一度競輪場のバンクを走ってみたかったなぁと思う。
そして練習初日。
チームで連なって約30キロ先の山の中がゴール。とにかく衝撃の連続だった。
当時のルールは、片足100回転ほど漕いだらトップの人間が最後尾に下がるというもの。そのサイクルを繰り返して目的地までひたすら走る。
途中で脱落しかけると、「ペースダウン!」と声がかかり少しペースが落ちる。
しかし完全に離脱し始めるともう集団は先へ行く。
そしてペースを保ってゴールに着いた部員は現地で5分休憩、そして今度はまた30キロの復路を帰ってくる。
途中で脱落したものは、自分の1つ上の順位の者が折り返してきた時点でその場で旋回し後につく。つまり先頭集団としてゴールにつかない限り、休憩はなく、ゴールにたどり着くこともなく途中で引き返すという屈辱を味わうのだ。
そして何よりも恐ろしかったのが顧問のT先生だ。
ワゴン車に乗って、後方から尾けてくる。
車の上に選挙カーよろしく拡声器がついていて、怒号が発せられるのだ。
「ペース落ちとるぞ!はよ行かんか!」
「アゴひけ、アゴを!」
心拍数マックス、ひいひい言いながらこうして煽られるのはまさに地獄だった。
しかし今でも一人で自転車に乗っていると、このころT先生に何度も何度も浴びせられた言葉が耳元で甦る。
そしてその言葉の重みは、自転車を乗るうえで本当に大事なことであるのはもちろん、今思うと決して自転車の世界の中だけでは終わらない、とても重要な言葉のようにも思えてくるのだ。
「山は上半身で登らんかい!」
自転車で坂道を上ると考えれば、だれでも漕ぐ足元がしんどいと思うものだ。しかしT先生が口を酸っぱくして言っていたのは、ハンドルをしっかり握り、上半身に引き付けるようにして上ると、格段にラクになる。だから坂は上半身で登れ、と。実際やってみると全然違うので試してみてほしい。ママチャリなどでも充分通用する話だ。
自転車は足で漕ぐもの、という固定観念を覆す言葉だった。大げさかもしれないが、今でも物事を考えるとき、別の視点で見てみるというポイントがこの言葉に隠れているように思う。
「下りで漕がんでどこで漕ぐねん、どアホ!」
死ぬほど辛い峠を越えた後、下りは足を止めてシャーと下りたいものだ。しかしこの言葉がすぐに飛んでくる。
下りの力を利用して、ここで漕いでゲインしろ、という意味と、人が休みたくなるところでこそ漕ぎ続けろ、というメッセージだ。
キツい時にさらに自分を追い込むとき、常にこの言葉がチラつく。
これらはほんの一例だが、T先生からは自転車競技を通していろんなことを教えてもらった。
ただ当時は、単なる鬼教官としてしか見ていなかった。
しかしそんな鬼教官が、意外な行動に出た日があったのだ。
思いがけず続く。
ひで氏です。
ハードロックカフェ大阪でのTHE WAREHOUSEのライブも無事、盛況に終わり2ステージを歌い切ったあとの朝、
なぜか異様に目覚めが良く、天気も最高だったのでまた乗ったわけである。
私ひで氏はかねてより自転車に乗ることの心身への効能を何度も述べ続けているが、
20年ほど前、ふた夏だけ自転車競技部に所属していたことがある。
当時友人の父に組んでもらった自転車に乗りたくてたまらない私ひで氏、近くの高校に自転車競技部があるということを知った。
自分の通っていた高校には自転車競技部は無く、そのクラブを訪ねて「休みの間だけでも参加させてほしい」と直談判をしたのだ。
そこで一度練習を見に来なさい、ということになり週末、練習を見学に行った。
練習場所というのは奈良競輪場であった。
そして自分と同い年の高校1年生の数人が、ブレーキのない自転車でバンクを走る自転車を見て驚いた。
しかもその日、部員の一人がバンクで転倒、ジャージはボロボロに擦り切れ左足に摩擦による火傷を負うというアクシデントを目撃するというおまけまでついてきた。
すっかり怖気づく、かと思いきや、私ひで氏はなぜかその日の練習を見て入部を決めたのだ。
しかしバンクを走ることは実は在籍中一度もなかった。この部の活動の中心はロードレースであり、バンクで走る練習はこのとき本当にたまたま起きたことなのだった。今でも一度競輪場のバンクを走ってみたかったなぁと思う。
そして練習初日。
チームで連なって約30キロ先の山の中がゴール。とにかく衝撃の連続だった。
当時のルールは、片足100回転ほど漕いだらトップの人間が最後尾に下がるというもの。そのサイクルを繰り返して目的地までひたすら走る。
途中で脱落しかけると、「ペースダウン!」と声がかかり少しペースが落ちる。
しかし完全に離脱し始めるともう集団は先へ行く。
そしてペースを保ってゴールに着いた部員は現地で5分休憩、そして今度はまた30キロの復路を帰ってくる。
途中で脱落したものは、自分の1つ上の順位の者が折り返してきた時点でその場で旋回し後につく。つまり先頭集団としてゴールにつかない限り、休憩はなく、ゴールにたどり着くこともなく途中で引き返すという屈辱を味わうのだ。
そして何よりも恐ろしかったのが顧問のT先生だ。
ワゴン車に乗って、後方から尾けてくる。
車の上に選挙カーよろしく拡声器がついていて、怒号が発せられるのだ。
「ペース落ちとるぞ!はよ行かんか!」
「アゴひけ、アゴを!」
心拍数マックス、ひいひい言いながらこうして煽られるのはまさに地獄だった。
しかし今でも一人で自転車に乗っていると、このころT先生に何度も何度も浴びせられた言葉が耳元で甦る。
そしてその言葉の重みは、自転車を乗るうえで本当に大事なことであるのはもちろん、今思うと決して自転車の世界の中だけでは終わらない、とても重要な言葉のようにも思えてくるのだ。
「山は上半身で登らんかい!」
自転車で坂道を上ると考えれば、だれでも漕ぐ足元がしんどいと思うものだ。しかしT先生が口を酸っぱくして言っていたのは、ハンドルをしっかり握り、上半身に引き付けるようにして上ると、格段にラクになる。だから坂は上半身で登れ、と。実際やってみると全然違うので試してみてほしい。ママチャリなどでも充分通用する話だ。
自転車は足で漕ぐもの、という固定観念を覆す言葉だった。大げさかもしれないが、今でも物事を考えるとき、別の視点で見てみるというポイントがこの言葉に隠れているように思う。
「下りで漕がんでどこで漕ぐねん、どアホ!」
死ぬほど辛い峠を越えた後、下りは足を止めてシャーと下りたいものだ。しかしこの言葉がすぐに飛んでくる。
下りの力を利用して、ここで漕いでゲインしろ、という意味と、人が休みたくなるところでこそ漕ぎ続けろ、というメッセージだ。
キツい時にさらに自分を追い込むとき、常にこの言葉がチラつく。
これらはほんの一例だが、T先生からは自転車競技を通していろんなことを教えてもらった。
ただ当時は、単なる鬼教官としてしか見ていなかった。
しかしそんな鬼教官が、意外な行動に出た日があったのだ。
思いがけず続く。
あ、自転車はそうやって
漕いだことがないのですが。
普段、意識しない限り
体には無条件でGが
かかりますもんね。
身体の可能性を無限に感じる
ご指導ですねー(n‘∀‘)η
上半身を鍛えろとよく言われました。足は勝手についていくから、と。
いろいろ目から鱗な指導がありましたよー