私は鬱病になる人が弱い、成長してないと見なされるプロパガンダが心から許せない。
こんなにひどいことが放置され、罪なき人たちが殺されてきて、
悩まなかったり身の危険を感じないほうが本来おかしい。
自分はおかしいのか、社会性がないのか、ひどいことをしてまで頑張らないと駄目なんだろうか、
見過ごすことが大人なんだろうか、
そうやって、社会的に正しいとゴリ押しされるプロパガンダに染まって、
繊細な感受性や細やかな気遣い、直感を失ってしまう。
一度失えば、二度ととりもどせないかもしれない。
急速に欧米化し、個人主義化し、サイコパスがふえている今の日本は危ない。
一方で人生経験の少ない若者たちの間に保守思想が広まっている。
安倍政権の右翼化、保守姿勢は、日本を守り取り戻すために当然のこと。
しかし、若い人は情報だけで一辺倒に保保守に走らず、
私やもっと年上の人たちの話もきいてほしい。
私の印象では、今の若い人はあまりに合理的すぎる、
そこに義理や人情の介在する余地がない
。
人が生きるということは、合理的だったり効率的なだけでは、淡白で無味乾燥なだけだ。
欧米の合理性は、歴史があり哲学が根底にある。
皮肉たっぷりだったりする。
日本人が上辺だけ合理的になっても、敵わない。
日本人は日本人らしい柔らかい右脳的な感性を保つよう努力するべき。
癒しの文化。忍耐の文化。それが強さでもある。
それで、和田アキ子みたいな人もいたっていい。
鬱病になる人はそのような感受性をまだ保っていて、
世の中の見えない犯罪への警鐘を行なうカナリヤみたいなものだから否定してはいけない。