続・allegra日誌

世の中が皆にとっておかしなものになりますように

言葉遣いが全てじゃない

2016-12-30 17:11:08 | 日記

今のヘイトスピーチ云々の話題は、本来はどうでもいいことに思う。

言葉遣いが綺麗=善

言葉遣いが汚い=悪

と決められるなら世の中こんなに大変ではない。


綺麗な言葉遣いて優しいひとが、
裏で平気で他者を蹴落としたりするのは珍しくない。


それより「日本死ね」が流行語大賞候補になるほうがおかしい。

「死ね」とは最悪の言葉。
本来は殺人者に対してしか言ってはいけない。


保育園に空きがない程度で使う言葉じゃない。

ましてや流行語大賞などにする言葉じゃない。



私は普段は言葉使いは丁寧なほう。

だけど、悪人に対して丁寧な言葉を使ってあげる気持ちはない。

大事な人にだけ使う。

これが差別化ではないだろうか。



人は常に他者を値踏みし差別している。

自分の価値観の中で、大事にする人好きな人わけている。

「差別は良くない」は理想だけど、

悪人や愚民がいる以上そうもいかない。


「民族による差別はいけない」はたしかにそうだけど、
でもステレオタイプな民族の性質はあるからそれも理想論と思う。

本人はよいと近寄っても、かえって巻き込まれて大変な場合もある。


言葉は人格をつくる、というけど、
慇懃無礼で真実は二の次のことなかれ主義な人種を作っても仕方ないよね。


私は多少荒っぽい言葉遣いの人の方が好きだし、

信頼できるのはそういうこと。


綺麗な言葉遣いも汚い言葉遣いもケースバイケース。


言葉遣いのみで人を判断することはできない。
コメント
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