私が被害者の人たちと接して違和感をもつのが、
違う意見を認めない
被害者にはなんら落ち度がない
とするところだった。
人によって考え方は違うし、
被害者によっては反省すべき点ももしかしたらあるかもしれない。
それなのに自分たちは絶対に正しいと主張し、
少しでも意義を唱えれば加害者の味方だの二次加害だの言う。
わがまますぎる。
そんなわがままだから被害にあったのだと私は感じた人もいる。
落ち度がなかったり、どんなに自衛しても、被害には遭う。
だけど、被害とは別に、人によって間違っていたり考えが甘かったりすることもあるかもしれない。
こういう謙虚さや歩み寄りの気持ちが、
被害者で固まっている人たちには感じられなかった。
男性側への歩み寄りや理解、性差の違いを学ぶ気もなく、
女性は守られるべきで男性は我慢するべきという一方的なおしつけはよくない。
そして男性と女性は全く違う思考をしていることもある。
また、間違った性を教えられたなら男性も被害者でもある。
男女は愛し合えるにこしたことはない。
相手が望む自分になる努力は大事だと思う。
そこで妥協点を見つけないといけないけど、じつは自然に生きられれば自然とそうなれるきがする。
上の思惑や、被害加害と気にし出したら、自然な感情や欲求がわからなくなり、相手り利用されているんじゃないかとか都合いい女になっているんじゃないかと思い出してしまう。
私は性を軽んじる女性は男性から軽んじられて仕方ないと思う。
それだけ性は大切ということ。
それと性を軽んじてる男性が多いのに女性ばかりとか責任をすり替えるのはよくない。
水商売は性を軽んじ利用する職業であり、男性はそれに対価を払う。
だから性にゆるい場になるのは仕方がなく、さらにそういう人種が集まる場所になる。
それを承知して自主的に働いているなら、被害に遭う確率は上がりやすくなる。
それなのに、被害に遭ったことを100%被害と主張するのは違うと思う。
自ら獣に近づきお金をもらい危険な場所に行ってるのに、仕方がない面もある。
自衛はするにこしたことはないのだ。
リッチな生活ができないとか遊べないとか犠牲もあるだろう、
でも我慢することは大事なことだ。
だから、代わりに男性は女性と結婚したら財産を半分わけるようになっている。
女性も遊びたいし自衛したくない、代わりに働く、
というのは、世の中が平和にまわる摂理に反している。
これはもう仕方がないこと。
女性が若い時にしか子供が産めないのと同じくらい仕方がないことだ。
私だって変えられるなら変えて欲しい。
そして男性が非処女より処女を好むのも変わらない。
今は非処女しかいないから非処女を選ぶしかないだけ。
女性の主張はともすれば本来の幸せや理想や世の中のしくみを壊すことになりかねない。
男性と女性は違う以上、我慢したり許されることも違うし、
正しく我慢したり遊んだりしないと意味がない。
今はわがままな男女の都合いい世の中になり、被害者は泣き寝入りするしかなくなっている。
生きていてあまり魅力をもてない世の中になっている。
とてもよくないと思う。