伊豆半島を南北に分断する天城山脈。その尾根筋には、いにしえよりの梨本から大川端へと通ずる峠がいくつか点在しています。
室町期以前は新山峠、室町期から寛政時代に使われたと言うは古峠、寛政時代からは文政2年(1460年~1820年)にかけては中間業 (ちゅうけんぎょう)。
そして文政2年(1820)以後は二本杉峠。この峠は豆州・梨本村の名主であった板垣仙蔵が私財を投じて開通させ、幕末には老中松平定信やハリス、吉田松陰、唐人お吉などが利用したと言われています。
最初の新山峠は、東の登尾方面から登り寒天に下って、その後再び天城山脈を上るルートでした。その後は距離が短い西側にだんだんと移り、二本杉峠は岩を削り橋や石段を設けた直登となりました。
(左側、下っているのは二本杉歩道)
その尾根筋を歩くには天城山隧道より天城峠に上がり、天城山脈の稜線を西に進みます。
稜線のブナ林
そして三角点・古峯(941m)
古峠の石組が残されている構造物跡
中間業 (下田街道より)
898m地点の御料地境の石碑(明治期)
ここより南西に下ると峠のお地蔵さん
六趣能化尊地蔵
そして二本杉峠と、、、
今日は山へは行かず過去の画像を拾って稜線散歩、少し暖かくなり元気が沸いてきたら訪れましょう。(;^_^A
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