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あみの3ブログ

桑山城@富山県南砺市 令和三年(2021)11月20日

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桑山城跡
桑山は旧福光町中心部から北西2.5Kmにそびえる山である。麓に近い西勝寺城よりも100m以上高い山であり、その特徴的な山容で南砺市内の平野部からも良く望むことができる。「闘争記」によると、文明13年(1481)山田川で福満城主石黒右近光義並びに医王山惣海寺の衆徒が井波瑞泉寺の一向衆徒と戦ったという。この時、以前石黒分家として桑山城を預かっていた坊坂四郎左衛門が加賀勢と一味して医王山を焼き払い、石黒氏の居城であった福満城にも火を放った。この結果、石黒勢は総崩れになって滅んだと伝わる。
当時桑山城は石黒氏の支配の一つだったとみられるが、現在残る遺構は戦国期の形態を留めている。城は、頂部南側にある火宮社と堀切で画された北側にあり、周囲に切岸、その下に堀と帯曲輪を巡らしている。主曲輪の南側の塁線に張り出し部が見られることも特徴である。
付近に桑山の石切り場跡がある。福光地域公民館連合会、、、現地案内板より

福満城の記事は→こちら


場所は富山県南砺市福光町桑山
先ず、福光華山温泉(富山県南砺市川西588-1)にナビをセット。




華山温泉の背後にそびえる「桑山」



R304を金沢に向かい、華山温泉手前の交差点を右折し林道に入ります。



林道は下草や樹木に覆われ、すれ違いのできない細い道が続きますので要注意。



何度も曲がりくねってようやく頂上付近に出ると右手に火宮神社鳥居と城址案内板が見えてきます。



その先50m程のところに電波中継所の建物がありますので、その脇に車を停めることができます。



神社鳥居をくぐり、階段を登ります。


火宮神社祠







「横堀」
主郭平坦地の中央部を横断する、長い横堀が明確に遺っています。


横堀の中央よりやや西側に凸状の折れが設けてあります。



「張出」
この折れ曲がった所には、土塁が突き出しているような形状で「張出」と称しています。


「虎口」
主郭の北西隅に虎口と見られる土盛りがあります。


「主郭」
主郭平坦面、北から南方向展望


主郭東側法面


主郭西側法面



「帯曲輪」
主郭下の帯曲輪


主郭下の帯曲輪



「横堀」
主郭法面と帯曲輪の間に横堀が施されています。


同横堀




「竪堀」
帯曲輪法面に施された竪堀







「北側の横堀」
帯曲輪法面の東側には竪堀が、北側には大きな横堀が施されています。




神社の背後には平坦地が広がっています。
その西側には「桑山石の石切り場跡」があります。
石切り場跡からの眺望、真下には車を停めた電波中継所が見えます。



石を切り出した跡でしょうか? 巨石(岩盤?)が露出していました。






この後『桑山城は麓に近い西勝寺城よりも100m以上高い山にあって、、、』と案内板にあった「西勝寺城跡」に立ち寄るハズでしたが、道を間違え気が付けば下山していました。
次回に持ち越しです(;^_^A アセアセ・・・


【桑山城】
《くわやまじょう》



名称(別名);
所在地;富山県南砺市福光町桑山
城地種類;山城
標高/比高;292.5m/210m
築城年代;15世紀
廃城年代;16世紀
築城者;石黒氏
主な改修者;
主な城主;坊坂四郎左衛門
文化財区分;なし
主な遺構;曲輪、切岸、土塁、竪堀、横堀
近年の主な復元等;


※出典、、、越中中世城郭図面集Ⅲ
地図;
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