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壇城跡は、城主の居館と山城がセットで残る、県内では珍しい中世城舘遺跡です。居住部分の台所屋敷からは、建物の柱穴や基礎に使われた石、炭化物が広い範囲から発見されました。炭化物は、幾度かの落城で火災が起こったためできたとみられます。
山城では、堀切や土塁と言った戦うための小規模施設が確認できます。南東の三条山にある千代ヶ様城と尾根伝いの連絡路で繋がっていることから、平常時の城舘が壇城、緊急時に立て籠もる城が千代ヶ様城といった使い分けがなされていたと推測できます。
南北朝時代には元越中守護・桃井直常と幕府方・二宮円阿、戦国時代には上杉謙信と織田信長方・石黒与三右衛門がこの地で戦い、主導権を争いました。この地は庄川扇状地で最も高い部分にあり、飛騨地方の木材集積地でもあったため、資源・物流・交通の拠点として壇城や千代ヶ様城が築かれたと考えられます。砺波市教育委員会、、、現地案内板より
場所は富山県砺波市庄川町庄
庄川沿いのアユ料理専門店「鮎や」から県道11号を射水方面に100mほど進むと、右手に山に登る脇道があります。「弁天温泉」への登り道で曲がりくねって急な坂ですが舗装されていますので安心です。
ちょうどご主人がいらっしゃったので、車は弁天温泉の駐車場に停めさせていただきました。
遺構は弁天温泉の目の前です。
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県道11号、庄川に架かる雄神橋詰より城址遠景
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側道の坂を登りきると弁天温泉が見えてきます。
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弁天温泉側道の坂道から見える庄川
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眼下には「鮎や」や庄川に架かる「雄神橋」、そして砺波平野が一望できます。
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弁天温泉の真向かい、一段小高くなったところに「台所屋敷」の平坦面があります。
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城址碑と現地案内板が設けてあります。
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ここで当日の行程を縄張り図で示します。
佐伯先生著、越中中世城郭図面集Ⅲ(ブログ管理者加筆)
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◆「台所屋敷」
城主居館跡
庄川町教育委員会による発掘調査では、建物の柱穴や基礎に使われた石などが発見されているそうです。
また、火災によると思われる炭化物も出土し、16世紀に焼失した痕跡と考えられています。
一段高くなって手前には石積みが見えます。雪で覆われていますが、現在は水田となっているようです。
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北西隅より
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南東隅より
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台所屋敷から背後の山城に登るルートは北と南にあり、登りは北ルート、帰りは南ルートとしました。
◆「北側登城道」
雪に覆われていますが、なんとなく道らしきものが見えます。
樹木の密集しているところは積雪が浅いですが、そうでないところは膝くらいまでの積雪があります。
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◆「B曲輪」
中腹に築かれた削平地
主郭に向かって急な崖となっています。
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主郭側の斜面には人工的とも思える、竪堀のような大きな掘り込み。
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主郭に登るルートはかなり急です。切岸のようでもあります。
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◆「主郭」
頂上部分を削平した南北に細長い曲輪
北側の先端には櫓台の機能があったそうです。
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南側先端にも櫓台があったのでしょうか。
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東側に連なる土塁
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東側の眺望
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主郭西側に広がる平坦面
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西側の眺望
庄川流域が一望できる
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◆「堀切」
南に伸びる尾根
この先には尾根を断ち切る堀切が遺っています
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一つ目の堀切
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二つ目の堀切
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上から見下ろした堀切の底部
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吹きさらしの斜面は積雪も多く、かんじきが必要なくらいです。
ご自慢のスパイク付き「磯ブーツ」も膝の辺りまでハマってしまいました。
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野生動物の気配が感じられます(;^ω^)
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雪を掘り返して餌になるものを探した痕跡がいたるところにありました。
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春はもう少し先のようです。。。
【壇の城】
《だんのじょう》
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名称(別名);庄城
所在地;富山県砺波市庄川町庄
城地種類;山城
標高/比高;190m/90m
築城年代;15~16世紀
廃城年代;16世紀
築城者;石黒氏
主な改修者;
主な城主;石黒氏
文化財区分;
主な遺構;曲輪・切岸・竪堀・土塁
近年の主な復元等;
※出典、、、越中中世城郭図面集Ⅲ
地図;