見出し画像

あみの3ブログ

高原諏訪城・江馬氏舘@岐阜県飛騨市神岡町 2022年11月6日

お城検索は→こちら

高原諏訪城は、下館跡の背後にある規模の大きな山城です。城の南裾において、山之村道が上宝村から分岐し、山之村で鎌倉(有峰)街道と連絡しています。江馬氏の本拠地である殿段丘を見下ろすとともに、周辺の山城と連絡し、越中方面の峠を監視する立地となっています。その立地や規模から、江馬氏の本城であったと考えられますが、築城年代・築城者共に不明です。
 天正10年(1582)の八日町合戦で当主の江馬輝盛が討たれると、高原諏訪城は三木氏方であった、小島城主・小島時光に攻められて落城してします。その後も江馬氏は滅亡せず、活動は認められていますが、古川盆地の城跡に見られるような石垣の多用や枡形虎口の利用といった、その後の改修の痕跡は認められず、江馬氏が構築した戦国時代の山城の様相が色濃く残っています。
 地元で通称「一本松」と呼ばれている山の高台が主郭で、城の仲秋区画であったと考えられます。その主郭を取り巻くように帯曲輪が巡っています。また、北尾根の延長に巨大な堀切や竪堀を連続して設け、尾根筋からの攻撃に備えています。主郭の南方にも巨大な堀切を設け、その先にも平坦地があり、さらに尾根の先端にも巨大な堀切と竪堀を設けています。
 この山城の最大の特徴が、これらの各区画を区切るように構築されている巨大な堀切や長大な竪堀です。大規模な戦国時代の土木工事の跡を今も体感することができる飛騨有数の山城です。飛騨市教育委員会・飛騨市山城マップ江馬編より


場所は岐阜県飛騨市神岡町和佐保



道の駅スカイドーム・神岡から史跡江馬氏舘前を通り500m程行くと県道484号線と交差しますので、大きく左手前方向の山に登る道に入ります。山腹をS字カーブが連なり、高圧送電線の鉄塔が見える辺りのヘアピンを曲がったところにカーブミラーがあります。その根元付近に「史跡江馬氏城舘跡・高原諏訪城跡」と書いた白い標柱が建っています。
そこが県道からの入り口となります。





ここで当日の行程を縄張り図で示します。
飛騨市教育委員会、、、飛騨の山城マップ江馬氏編より(北が上になるよう変換してあります。ブログ管理者加筆)



ヤマップの行動履歴と照らし合わせてみます。



登城口から数分で北尾根の二重堀切に突入。
庫尾根の両側には長大な竪堀が彫り込まれています。


二重堀切俯瞰



同掘り部分と土塁部分 中央にお地蔵さんが鎮座


二重堀切1断面



二重堀切2断面


北尾根の削平地
見張り台のように眼下に堀切を望む位置



主郭北側堀切



主郭台地
今回訪問した「野口城」「小島城」に共通した盛り土状の遺構。不思議な形です。


主郭を取り巻くような左右に配置された帯曲輪。



主郭削平地
休憩所が建てられ、現地説明板が設置されています。


城址碑


主郭からの眺望
写真右下に「江馬氏舘」が写っています。




主郭帯曲輪から南尾根
縄張り図にある東側尾根の遺構を確認するために崖を降りてみましたが藪と急な崖に阻まれ行きつくことができませんでした。



南尾根堀切


同断面



南尾根先端の堀切と竪堀





【高原諏訪城】
《たかはらすわじょう》

名称(別名);旭日城,江馬城
所在地;岐阜県飛騨市神岡町和佐保
城地種類;山城
標高/比高;622m/170m
築城年代;不明
廃城年代;天正10年(1582)
築城者;江馬時経
主な改修者;江馬氏
主な城主;江馬氏
文化財区分;国指定史跡(「江馬氏城館跡」の1つ)
主な遺構;曲輪、土塁、堀
近年の主な復元等;
地図;





江馬氏館群遺構の中で「会所」と呼ばれる接見の間と「主門」「土塀」が復元されている。
背後の山に高原諏訪城がある。



発掘・復元された中庭の石庭は大名庭園として国の名勝に指定されている。
庭園越しの高原諏訪城




【江馬氏舘】
住所:岐阜県飛騨市神岡町殿573−1
地図:


【御城印】



販売所:道の駅 スカイドーム神岡
住所:岐阜県飛騨市神岡町夕陽ケ丘6
営業時間・定休日等:webページにて確認→こちら
地図:


名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「城歩き」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事