第6回車中泊お城巡り@長野一筆書きのお城巡りの記事は→こちら
【歴史】
伝承では鎌倉時代、泉親衡(いずみちかひら)の関係が語られていますが、戦国期、飯山地域の土豪であった泉弥七朗が居館を築いたのが最初であると言われています。また、川中島合戦を通じて、上杉謙信が軍事的拠点として、永禄年間(1558~1570)大改修をし、城として整備されていきました。その後、武田勝頼、上杉景勝の家臣、飯山城代岩井備中守信能などにより、飯山城は堅固な城郭へと改修されました。飯山城は、戦国期の上杉氏と武田氏が関与した城として貴重な城跡です。
【縄張】
飯山城は平山城で、東に千曲川、北に皿川、南は急崖、西は湿田と自然の要害であり、後堅固の城です。縄張は梯郭式で、水堀・空堀で城の周囲を囲み、より防御を固めています。戦国時代には上杉氏の軍事的拠点として、近世には飯山藩の領国統治の中核としての役割を果たしました。戦国期の名残と、近世の城としての面を併せ持つ、貴重な城郭です。戊辰戦争で長野県唯一の戦争であった飯山戦争は、飯山城を中心に戦われました。、、、以上「飯山倶楽部」作成パンフレトより
【場所】
場所は長野県飯山市大字飯山
上信越道「豊田飯山IC」下車、国道117号線で飯山市内に入ります。「中央橋西」交差点で左折、県道97号線「本町」交差点右折(仲町通り)、「仲町交番前」を右折すると飯山城址公園で、武道館向かいに駐車場があります。
【遺構】
配置図
※「飯山倶楽部」作成パンフレトより
「南大手門」(本丸土塁より)
現在大きな鳥居のあるところに南大手門がありました。西側の坂を扇坂といい、ここの切り岸からも遺構を感じられます。
「南中門」
大手門から二番目の城門です。平成5年に復元されました。
江戸時代の飯山城通路は、南大手門より入り、この南中門を通って三の丸、二の丸、本丸へと登っていくのです。南中門に接して番所および駕籠部屋も発見されています。
「南中門跡」
弓道場建設に伴う発掘調査で門の礎石等が発見されました。
現在は埋め戻され跡地に礎石のレプリカが設置されています。
「桜井戸跡」
鎌倉時代の御家人・泉親衡(いずみちかひら)がこの丘を訪ね、水を与えたまえと願ったところ、桜の根元より泉が滾々と湧き出たとの伝承があります。この井戸は桜井戸と呼ばれ、歴代城主も大切に保全しました。
「三年坂跡」
南の大手門から南中門を通ってくる道と、裏門である北門、北中門を通ってくる道との合流点になります。この坂を登ればいよいよ城の中心部に至るので、防御のため一段と高く曲輪が造成されています。そのため道も急勾配になっています。
「切り岸」
飯山城は、切り岸をうまく活用しており、西曲輪の南側などにも見ることができます。
「本丸大手」
「北側城址公園碑」
「北大手門跡碑」
城北グラウンド・旧中学校校舎(外郭跡)
かつて北大手門が有ったとされる場所
グラウンドの手前辺りに三日月堀がありました。
「北中門と土塁跡」
飯山城三の丸の北側には外郭(現グラウンド)があり、番所・長屋・台所・調練場がありました。その北には二層の北門があって北からの出入り口となっていました。
この場所には外郭から城内への虎口となる重要な場所で、北中門が建てられていました。江戸時代前期には二層の大きな建物でしたが、幕末には土塀の間につくられた仕切り門となったようです。
門をくぐると、東側は三の丸の切り岸が、西側は土塁が築かれていて切り通し上の狭い通路となっています。
土塁はかつて城内の各曲輪を取り囲むように築かれ、その上に狭間付の土塀が巡らされていました。
三の丸に通じる大手道
「三の丸跡」
江戸時代の三の丸には、東西に門が設置され、土塁・土塀によって囲まれ、二重櫓・武器蔵などが有りました。二重櫓は、当初東北方面の備えの物見櫓として建てられたと考えられます。
「二の丸御殿跡」
城主の私邸は西館(西曲輪)にありましたので、もっぱら公的な場として建てられたようです。
東側を流れる千曲川
当時は城のすぐ近くを流れ、段丘崖上に立つ飯山城は後堅固の城でした。
「坂口門」
二の丸の裏門で、江戸時代前期の松平氏の時期に東側に馬場や矢場が造られ、二の丸から直接行き来できる通路があけられたようです。しかし、坂を下りた付近には坂下門があり、さらに二カ所の番所が設けられるなど警備には重分に備えていました。
二の丸大手道、本丸石垣
大手道、本丸門石垣
記録によれば、後多聞、渡櫓と記載され、石垣との間を渡すように設置された二階建ての門であったことがわかっています。
枡形構造(俯瞰)
枡形から本丸へ
「本丸」
本丸に建つ「葵神社」
享保2年(1717)より9代にわたって藩主として藩を治めた本多家の先祖(本多広孝)を祀った神社で、明治16年に建立されました。
本丸二重隅櫓石垣
本丸の二重櫓は天守の代用として幕末まで存続していました。
櫓台石垣
枡形(隅櫓台石垣より俯瞰)
「不明門」
本丸の裏手に当たる場所にあった門で、江戸時代後期には使用されることなく常に閉じられた「冠木門」でした。
「南西隅櫓跡」
飯山城に天守閣はありませんでしたが、2層の櫓が三の丸に一つ、本丸に二つありました。本丸の南方に武田方の「壁田城」があり、川中合戦における飯山城の軍事的意義がよくわかります。
西曲輪からの本丸
「西曲輪」
戦国期には重臣たちの武家屋敷が、江戸期には藩主の御殿があった曲輪です。
※出典、、、現地案内板、「飯山倶楽部」作成パンフレト
周辺
交流展示館
城内の西の丸に建っており、誰でも自由に休憩できる戸建ての施設です。
【まとめ】
所要時間37分、歩行距離1.1Km、高低差34m
南大手門と南側の「扇坂」「切り岸」を見逃しています。
三日月堀は現在埋め立てられていますが、できるなら復元して欲しいところですね。
ヤマップ工程データ
ヤマップ3D
【御城印】
販売所:飯山市ふるさと館
価格;300円(税抜き)別途消費税がかかります。
住所:長野県飯山市大字飯山1431-1
webページは→こちら
【飯山城】
《いいやまじょう》
名称(別名);
所在地;長野県飯山市飯山2752番地1
城地種類;平山城
標高/比高;110m/107m
築城年代;室町時代
築城者;泉氏
主な城主;泉氏、上杉氏、岩井氏、関氏、皆川氏、堀氏、佐久間氏、松平氏、永井氏、青山氏
文化財区分;県指定史跡
近年の主な復元等;本丸は葵神社境内となり、二の丸は城址公園として整備
天守の現状、形態;天守はなく二重櫓を代用
地図;
追伸
飯山市は財政が豊かなんでしょうね。
立派な公的建物は凄く目に付きました。
飯山ふるさと館(御城印販売先)
飯山女性センター
文化交流館
県道97号からのスノーシェルター
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