4月1日で発災から3ヶ月が経ちました。
毎日テレビや新聞で悲惨な状況に接する度に心が折れ、活力が低下する思いです。
これは東日本大震災の時と同じです。
これまで「ラーメン食べ歩き」や「お城巡り」で何度も訪れた能登半島。
大好きだった能登の悲惨な状況が受け入れられず、お城巡りにも行かず悶々とする毎日。
そのため免疫力も低下したのか、体調も思わしくありません。
そこで現実を受け入れるためにも、能登の現状を見て体で感じてこようと決心しました。
4月6日(土)
午前4時30分に自宅を出発し
「能越道」から「のと里山海道」に入り
一路「珠洲」を目指しました。
のと里山海道は「空港IC」まで、珠洲・輪島方向への一方通行区間となっていました。
里山海道はトンネルを掘らずに山の斜面と、谷を渡る鉄橋で構成されているため崩落や地割れによる陥没などで大きな被害を受け、応急処置としてとりあえず1車線を確保しているという状況です。
※その他詳細は「石川みち情報ネット」でも確認できます。→こちら
最初に訪れたのはラーメンつながりのある
能登町松波の「ファミリーレストラン大家族」
お店は倒壊こそ免れたものの、臨時休業となっていました。
また、お城巡りで訪れた「松波城」のあるところでもあります。
能登町の南
リアス式海岸で有名な九十九湾に面した「百楽荘」と
その下に2020年にオープンした「イカの駅つくモール」
webページは→こちら
建物の被害は無いようでしたが、水道が復旧しておらず休業を余儀なくされています。
能登町から珠洲市に向け北上して
軍艦島として親しまれている「見附島」は、数年前からの相次ぐ地震に加え、今回の震災で大きく崩落し無残な姿をさらしていました。
能登町から珠洲市に向け北上して
軍艦島として親しまれている「見附島」は、数年前からの相次ぐ地震に加え、今回の震災で大きく崩落し無残な姿をさらしていました。
さらに北上し
お城巡りで訪れた「飯田」
同じくお城巡りで訪れた「正院」
こちらは伝説の中華、レジェンドヒロシの「中華料理ヒロシ」(すでに廃業すみ)
倒壊を免れていたのは奇跡としか言いようがありません。
「正院」から北端の「ランプの宿」を目指しました。
震源に近くなり被害も大きなものとなっていました。
目的の断崖から観る「ランプの宿」は大きな被害もないように見えましたが、周辺の海岸は隆起し、岩肌が白く見えていました。
ここから輪島に移動ですが、外海回りの国道249号線は崖崩れで断続的に通行止めとなっているため、内陸ルートで「のと里山空港IC」まで戻り県道1号線で輪島入しました。
途中三井ではラーメン「やぎじい商店」(移転済み)の被害を確認することとなりました。
輪島市内の被災状況と「朝市通り」の火災による惨状は筆舌に尽くしがたいものがありました。
輪島での救いは「重蔵神社」の祭礼でした。
復興に向けての力強さと明るさを感じることができました。
帰路は「のと里山海道」が一方通行となっているため下道を利用しましたが、「穴水」や「七尾市田鶴浜」などでは交通渋滞が発生していました。
最後に訪れた「和倉温泉」では
昨年友人たちの集まり「親和会」で宿泊した「宿守屋・寿苑」の被害状況を含め、和倉の温泉街全体が閑散としていることに驚きました。
次回から訪れた各地の詳細を記したいと思います。