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あみの3ブログ

長安寺館@富山県黒部市若栗 令和三年(2021)9月11日

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長安寺城がある長安寺は黒部市の市指定文化財となっています。しかし城郭遺構としての指定ではなく、 山門が(建造物)として指定され、土塁はその付属となっているのはお城ファンとしては少し残念なところでもあります(;^ω^)


長安寺は、かつての館跡と伝え、庭田某が住し、入膳城(現・入善町)と相呼応したという。もと長方寺と称したが、承応元年(一六五二)頃、長方寺から長宝寺が分離した。寛延二年(一七四九)長安寺と改称した。 
 長安寺の山門は、一間一戸楼門、上層・正面五・四五㍍、奥行三・六三㍍、下層・前幅三・四五㍍、奥行二・二二㍍、軒高一〇㍍、入母屋造の茅葺きである。前面軒下に「法城寺」の山号額をかかげ、後面軒下に牡丹を図案化した透彫の彫刻(彩色)を蛙股状に配している。下層の中央部に両開扉を蝶番でとりつけ閂を指す。両脇に小屋根をのせた袖壁を配し、右側の袖壁にくぐり戸がある。茅葺きの屋根は棟を竹で押さえている。これは、この土地の民家の屋根形式にならったものである。

 土塁はコの字形で、東西八一㍍、南北五九㍍、北側があいている。幅約四㍍、高さ二㍍内外の現状であるが、旧土塁は高さ一㍍、幅二㍍の規模と考えられている。南北に山門・通用門のため二か所が切断されている。黒色土で盛られ、河原石の混入が少ない。表面は河原石でおおわれ、竹・杉などが植えられていた。戦国時代の遺構と考えられる。、、、黒部市HPより引用



場所は富山県黒部市若栗、若栗城のすぐ近くです。
北陸道黒部ICから県道53号線を右折。北陸新幹線高架手前を右折、一つ目の交差点を左折して高架をくぐると左手に「長安寺」があります。遺構はこの長安寺に残っています。

前述の若栗城とは目と鼻の先です。




当日の行程図を佐伯先生の越中中世城郭地図Ⅱで示します(ブログ管理者加筆)



◆南角
長安寺(長安寺城)が一番カッコ良く見える角度です💛



◆西角
シートで養生されている部分が土塁です。調査の目的か単なる保護が目的なのか分かりませんが、当時の姿を目にしたいものです。



◆北角
西側民家と接近しているため、明確な状態は外からではわかりにくいです。
農業用水路はかつての水堀だったのかもしれませんね。
北東面は住宅建設のため、土塁が撤去(破壊)されたようです。



◆東角
南東面の土塁も住宅建設で北側が撤去(破壊)されています。
寺社敷地と住宅敷地の境界を生け垣で仕切っており、寺社の南東面には玉石を積んだ石垣が残っていますが、これは後世のものでしょう。但し、基礎部分は往時の土塁上にあるものと思われます。



◆南東面
山門・通用門のため二か所が切断されている。
玉石を積んだ石垣となっていますが、後世に積んだものでしょう。基礎部分は戦国時代の土塁だと思います。


◆南西面
境内側(内側)より
土塁の外側に玉石を積みあげて補強しています。天端部分には戦国時代の土塁がむき出しになっているため、シートで養生しているのだと思われます。




◆北西面土塁
南西面土塁上から俯瞰的に撮影
手前に写っているのは寺社の南西面で、土塁の周囲を玉石が覆っており、天端部分をシートで養生しているのがわかります。

北西面土塁は保護のためシートで覆われていますが、手前(南西面)に折れているのがハッキリと確認できます。これが「コの字」型に残った土塁という表現の由来です。



◆北西面土塁・西角方向
内側(庭園側)より
ひとつ前の俯瞰写真の右側は鍵の手になって柵(塀)が設けられています。その塀の寺社側から撮影したもので、土塁の塀側の端っこです。
外側からではよく分からなかった部分ですが、内側(庭園側)からだと土の色や、混入している石の状態もよくわかります。




◆北西面土塁・南側
隣接する住宅との境にあり、生活感があります。土塁上には樹木が植わっています。



◆北西面土塁北側
南側と比べ法面の状態が良く角度も保たれています。途中何ヶ所か土塁に切れ込みがあり出入りできるようになっていますが、これも後世から近年のものと思われます。



◆北西面土塁・北端
用水路側の端っこにあたります。法面の角度は緩くなり、やや崩れかかっている印象。こちらも南端と同じようにコの字に折れています。
隣家との境に玉石を並べているのが、水路なのか?何なのか? 気になります。



◆北西面土塁・北端
内側より
外側から見るよりハッキリと、直角に折れているのが確認できます。
ここだけみると隅櫓台にも見えます。




◆長安寺山門
両脇に小屋根をのせた袖壁を配し、右側の袖壁にくぐり戸がある。茅葺きの屋根は棟を竹で押さえている。これは、この土地の民家の屋根形式にならったものである。、、、黒部市HPより抜粋



◆本堂



◆境内
鐘撞堂から俯瞰







戦国期の平地の城舘は、以前訪れた富山県上市町の「郷柿沢館」と共通するものがあります。記事は→こちら

冒頭でも紹介した、隣接する「若栗城」もこのような城舘となっています。 記事は→こちら

戦国期の城舘の主と、現在そこに建つ寺の関係、住職との関係はどうなんでしょうか?史料が発見され、明らかになることを期待します。


【長安寺館】
《》

名称(別名);
所在地;富山県黒部市若栗3521
城地種類;平城
標高/比高;
築城年代;戦国期
廃城年代;戦国期
築城者;在地土豪
主な改修者;
主な城主;
文化財区分;黒部市史跡
主な遺構;土塁
近年の主な復元等;


※出典、、、越中中世城郭図面集Ⅱ
地図;

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