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00白鳥城 @富山市呉羽 令和二年(2020)1月29日 遺構を歩く

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越中三大山城にも匹敵するような曲輪群が今に残る富山の白鳥城
【ここ白鳥城は越中の戦国時代終焉の舞台】

450年ほど前佐々成征は天下統一目前の羽柴秀吉に敵対し富山城に籠った。200年余り前に書かれた書物には大軍を率いた羽柴軍はここを本陣とし、安田城と太峪城を築いて富山城に圧力をかけたとあります。以下略、、、駐車場案内看板より(富山市教育委員会、他)
これにより佐々成征は敗北し代わって豊臣政権下で前田氏の支配となり、越中の戦いの歴史に終止符を打つこととなりました。

二上山の守山城は「二上・万葉ライン」建設により遺構の保存状態が良くないが、ここは同じような展望・観光道路が整備されたにも拘らず遺構の保存状態はよい。
道路や駐車場が整備されているため城散策し易い。


訪れたのは令和二年(2020)1月29日
クレハ観光ホテルや放送塔がある山頂部で、トイレや展望台もある駐車場が整備されています。


白鳥城と彫られた石碑のある辺りから、山の斜面に設けられた階段伝いに登ります。
前日に降った雨のせいで道にはぬかるみが残っていました。滑りやすいので注意が必要です(しっかりした靴とストックのような杖があるとよい)




白鳥城縄張り、、、図佐伯哲也氏による
当日の散策ルート(赤矢印加筆)



【東出丸】


かなり広い空間


東の方向に富山城


【東出丸から二の丸】


空濠跡


【二の丸から本丸】


本丸跡中心部には「最高地」の標識が建っている。


本丸、天守台跡
望楼型天守閣などでは無く、櫓台だったかも知れない。


【本丸から西一の丸】


【西一の丸から西二の丸】


【本丸から本丸下曲輪】


橋の下は竪堀?


本丸下曲輪の平坦部


【北二の丸方向】




一般的な山城を分かりやすくCG画像にしたものを参考にしてみる。



【白鳥城】
《越中の戦国時代終焉の地》



名称(別名);しらとりじょう
所在地;富山市吉作城山
城地種類;山城
築城年代;寿永2年(1183)
廃城;
築城者;不明
主な城主;今井兼平、神保氏、前田氏
主な改修者;
文化財区分;未指定
近年の主な復元等;
遺構;曲輪・切岸・堀切・竪堀・横堀・土塁

※出典、、、
地図;
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