人生における「ふしぎ」と、それを心の中に収めていく物語が人間を支えている。
世界には「ふしぎ」と「あたりまえ」があふれている。全ての人がそれを同じようには感じない。
何を「ふしぎ」と思い、それをどのように心の中に納めていくのか奮闘することが人生なのかもしれない。
私はいったい何者なのか。何のために生きているのか。どこに向かって生きていくのか。
人生における「ふしぎ」と、それを心の中に収めていく物語が人間を支えている。
世界には「ふしぎ」と「あたりまえ」があふれている。全ての人がそれを同じようには感じない。
何を「ふしぎ」と思い、それをどのように心の中に納めていくのか奮闘することが人生なのかもしれない。
私はいったい何者なのか。何のために生きているのか。どこに向かって生きていくのか。
「生きている最中に自分の一生をひとつの物語だと見る見方は、よりよき生きる助けになるかもしれない。」
こう書かれていたのはA.K.ル=グウィンの『ギフト 西のはての年代記Ⅰ』(2006年 河出書房)である。
物語は生きている限り現代を起点に解釈され、日々更新されていく。
人生はあたりまえの日常の中に、「ふしぎ」が満ちている。
「なぜ、このようなことが起こるのだろう?」
人生における謎に、意味を見いだしていくことが生きるということなのだろう。
そしてそれが人生という物語になっていく。
「いかにして私はここにいるのか」
自身の存在を深め、豊かにする役割を持つために、自分に起こった現象を意味づけ、物語として紡いでいく。
客観的に正しい事実として「科学的」に現象を説明できることはある。なぜ、私は失業したのか。
それは、雇い主が支払う賃金に見合うだけの働きができないから。期待に応えられないから。
それでも、それが私の世界に何をもたらすのか、
私の人生の中にどのように立ち上がってくるのか・・・それが私の物語となっていく。