映画批評&アニメ

◆ シネマ独断寸評 ◆

基本は脚本(お話)を重視しています。
お勧めできるか否かの気持を総合評価で示しています。

映画寸評「ちゃんと伝える」

2009年09月24日 08時57分51秒 | 映画寸評

「ちゃんと伝える」(2009年 日)

監督 園子温

「伝えるのは何か」が弱い


(園子温監督作品は初見だが、これまでの作品と異なって判りやすいオーソドックスな手法による作品との前宣伝だった。)


地方都市のタウン誌編集者で27歳の史郎(AKIRA)は、父(奥田瑛二)が末期ガンで入院している。史郎は父に対して高校生時代からのわだかまりがあるのだが、父がガンで倒れてからは、両者とも自分の気持ちを相手にきちんと伝えることの大切さに気づき、病気が治ったら二人で山の湖に釣りに行こうと約束し、楽しみにして釣り道具を揃えたりする。しかし、自らも末期ガンであることが分かり、父や母(高橋恵子)、そして婚約寸前の恋人(伊藤歩)たちに告げられず苦悩することになる。父が鬼コーチだった史郎の高校サッカー部時代の思い出と共に、日常生活が淡々と描かれ、いわゆる「余命もの」とは一線を画すのだが、死を前にして親しき人々と別れなければならなくなるという悲しみはひしひしと伝わってくる。俳優たちの好演により感情移入してしまった後は大いに泣けるであろう。


しかし、「ちゃんと伝える」というテーマに対しての中身は、上記「釣り」を基にした父子の気持ちの交流以外には、末期ガンであることの告知問題に収斂させてしまっているように思われる。もっと違った深みを期待してしまったのだが。結局、「死別」という絶対的な別れによる悲しみが前面に出てメイントーンとなっているのではないか。その悲しみに共感することによる感動がメインになってしまうということは、確かに分かりやすいと言えば分かりやすいが、映画作りとしてアンフェアではなかろうかと考えてしまった。


また、細かい点では、史郎はやけに素直な青年として描かれているのだが、高校の同級生の時からの長い付き合いである恋人と、デートの時や何度も出てくる夜道の別れのシーンでキスどころか一回も手も握らないのには、今どきの若者として不自然に感じられ違和感が残った。

総合評価 ③ [評価基準:(⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

 


映画寸評「サブウェイ123 激突」

2009年09月14日 14時02分10秒 | 映画寸評

「サブウェイ123 激突」(2009年 米)

監督 トニー・スコット

息詰まる交渉つづくが終盤肩すかし

(以下、ネタばらし有り)


またまたリメイク版。余りにもリメイクが多すぎる気がするが、オリジナルの1974年「サブウェイパニック」(ジョセフ・サージェント監督、ウォルター・マッソー主演)は面白かったという記憶以外覚えていないので、当方の観る分には支障なし。


4人組が地下鉄車両1両を乗っ取り、地下の線路に停め乗客多数を人質にして、ニューヨーク市長に身代金1000万ドルを要求する。主犯ライダー(ジョン・トラボルタ)はたまたま電話に出た管制センターのガーバー(デンゼル・ワシントン)を交渉役に指名し、2人のやり取りが続くことになる。交渉のプロではなく一地下鉄職員に過ぎないガーバーが成り行きから上手な交渉役を務めようとがんばる様子がうまく表現されていて面白い。しかし交渉しようにも、犯人は身代金到着が1分遅れるごとに1人殺すと言い、全く妥協の余地を見せない。その間のやり取りは息詰まる緊迫感を生み、ぐいぐい惹き付ける。


そして、犯人たちは身代金を手にして逃げようとするのだが、そこから先は何のひねりも無い。電車の中で犯人たちは顔も全く隠そうとしていないし、逃げる手段の要求もしない。だから、よほどうまい手を考えているはずだと思わせるが、単に、今は使われていない旧駅から地上に出て逃げるだけというのには、がっかりである。案の定、犯人2人は地上で警官隊に包囲され、無理に抵抗して射殺される。たまたまちょっとの差で逃げられたライダーを、こんどはいきなりプロになったかのようなガーバーが追い始める、というのも非常に不自然な感じである。今まで人質の命のために必死で交渉し、既に人質は助かった後だというのに。そして、金価格操作などをからませて裏があるように思わせたライダーも、結局単なるイカレ男にすぎなかった、という結末。


2大スターの演技だけで持っているような作品だが、トラボルタの一見別人に見えるような悪役ぶりも見物ではある。

 

総合評価 ③ [評価基準:(⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

 


映画寸評「剣岳 点の記」

2009年09月10日 10時34分08秒 | 映画寸評

「剱岳 点の記」(2009年 日)

 監督 木村大作

概念図が無いのが玉に瑕の佳作


困難な登山を伴う俳優・スタッフの大いなる苦労と名カメラマン・木村監督の山岳写真の美しさが、各所で絶賛されている新田次郎原作の映画である。その評判は、原作の良さに助けられている点も大きいとは言え、確かにその通りである。


日本地図の空白点を埋めるため、陸軍の測量手・柴崎芳太郎(浅野忠信)と案内人・宇治長次郎(香川照之)が試行錯誤の末、剱岳に登頂するまでの経緯を、当時の軍部や発足したばかりの日本山岳会の状況と絡めて描いているが、当時の山岳信仰や登山装備・測量方法が再現されなかなかに興味深い。単に剱岳のみではなく、周辺各所に多数の三角点を設置するので、あちこち登山を繰り返しさまざまな場所からの季節により天候により多彩に変わる風景写真と山岳の自然の驚異は確かに見ものである。しかし、作中に周辺地理の概念図が全く出てこないため、どこをどう登ってどういう再計画を考えているのか、といった現場の苦心が判らず、興味を削いでいる。昔、剱岳に登った事のある自分でも位置関係が良く判らないところが多々あったので、そうでない一般の人にはちんぷんかんぷんであろう。後で原作によって確認すると、非常に広い範囲を歩き回っているのであり、現在も登山道の無い各山々にも三角点を設置しているのである。そのためもあり、登頂成功時の感激も薄れてしまっている。概念図を時々説明することで、随分、良くなったはずなのに、と惜しまれる。


初登頂のメンバーや日本山岳会との交信を原作と変えているが、まあ、それは愛嬌という範囲であろう。浅野、香川は確かに熱演である。

総合評価 ④ [評価基準:(⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]