SPORTS! SPORTS! 寝てもさめても

16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

魁傑が死去。お疲れ様でした。

2014年05月19日 | 相撲

大相撲の前理事長で、
元魁傑、放駒親方の西森輝門氏死去しました。

ゴルフの練習場に息子・孫と出かけ、
気分が悪くなり病院に救急搬送されましたが、
還らぬ人となってしまいました。


残念です。
ご冥福をお祈りします。


魁傑と言えば、
少年時代のワタシが最もファンだった力士。

この時代、
東西の両横綱に北の湖・輪島がでんと控える『輪湖時代』。
相撲の人気も、
本当に高かった時代です。

横綱に対して大関には、
人気抜群の貴ノ花が座り、
土俵を盛り上げていました。

そこに割って入る活躍をしたのが、
輪島とは同じ花籠部屋の魁傑。

”お相撲さん然”としない長い手足、
そして褐色の肌で、
カッコいい力士でした。

そして、
勝っても負けても土俵を務め続ける実直さは、
角界の『品格』そのものでしたね。

腰が高くて、
負ける時はあっけなくごろんと転がされていた姿が目に浮かびますが、
それでも勝つときは鬼神の様に強かった時もあります。

大関には2度昇進。

1度目が5場所、
2度目が4場所と、
いずれも1年持たずして陥落の憂き目にあったのですが、
それでも『負けても、落ちても』土俵を務めあげる姿に、
子供心ながら大きな声援を送っていたことを思い出します。


その頃ワタシが好きだった力士は、
魁傑と高見山。

2人とも腰が高くて、
よく負けましたが、
2人とも実直で休まず土俵を務めあげてくれました。

そして北の湖にしても貴ノ花にしても、
その頃人気のあった力士は、
体が強かったという共通した長所を持っていたと思います。

実際に体が鋼の様に強かったかは別として、
『とにかく、少々のケガなどでは休まない』
ということを信条にしていたように思いますね。

『無事これ名馬』
という言葉がありますが、
この頃のプロスポーツ選手には、
体と気持ちが強かった選手が多かったなあ・・・・・
としみじみ思ったりしています。

肝炎を患ったり、
満身創痍で2度の大関陥落を味わった苦労人でしたが、
その実直さは多くの人から称賛を受け、
慕われました。

ファンも多かったと思いますよ。


今の現役力士で、
なんとなく魁傑に似ている力士を見つけるとすると・・・・・・

やっぱり同郷の山口県出身の、
豊真将ですかね。

とっても”なり”が似ていますし、
あの実直さもそっくりです。

あとは豊真将も、
大関に上がれるほど勝てば、
人気も出ると思いますよ。


おっと、
話は横道にそれましたが、
いずれにしても、
ワタシのセピア色の思い出の中には、
魁傑の『カッコいい』取組の姿が浮かんでいます。


引退後は放駒親方として、
『実直で、唯一のガチンコ力士』
と言われた大乃国を育て上げ、
横綱にしました。

(実は親方時代、ワタシの父親の関係で親方から部屋のけいこを観に誘われていたことなどもありました。時間が合わず断念したのですが、懐かしく思い出しました。)


その後紆余曲折を経て、
一番苦しい時期の角界のかじ取りを任され、
理事長として八百長問題の収束や角界の浄化、
そして人気の回復に腐心しました。

その姿を見て、
『魁傑が頑張っているんだから・・・・』
と、
北の湖理事長時代よりも、
熱心に応援したということもありました。

ほんの3,4年前の話ですよね。


その魁傑が亡くなったとは、
なんとも悲しいニュースです。

大相撲は新たな時代を迎え、
厳しいながらも新しい息吹が芽生えてきています。

先人たちが築き上げてきた角界、
それをまた、
今の力士たちがどう盛り立てていくのか。

魁傑も草葉の陰から、
そっと見守っていてくれることでしょう。



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