いよいよ元号が変わる瞬間を迎えますね。
ワタシはもちろん、
昭和から平成に変わったのに続いて2度目の経験ですが、
期待と不安が入り混じったなんだか不思議な気持ちで、
心にざわめきを感じています。
さて、
平成を振り返る企画が、
どこでもここでもにぎやかですね。
ワタシもふと、
プロ野球を見ていてそんなことを考えてみました。
ちなみに高校野球については、
さんざん考えたり書いたりしているので、
特に『平成だから』と考えることはありません。
プロ野球については、
平成と言ってもある一時期すっぽりと抜け落ちているということがあって、
その頃のことは心に残ってはいません。
この前ラジオを聞いていたら、
その頃の名シーンが上位を占めていたので、
ワタシが思う『平成プロ野球ランキング』とはなんだか、
少し違いがあります。
そんな中で『極私的』に選ぶとすると、
こんな感じになるのかなあ・・・・って感じですね。
やっぱり『パ・リーグ』『西武の黄金時代』なんていうキーワードのものが上位に来るのはご容赦くださいね。
5つぐらいは上げられそうなので、5位から。
5位;カブレラのすごいホームラン
4位;松坂大輔の勝負弱さ
3位;横浜ベイスターズ1998
2位;大谷翔平の出現
1位;西武の黄金時代の輝きとその凋落
カブレラのホームランについては、
もうこれは見た時に衝撃を受けたということ。
後にも先にも、こんなにすごいホームランを見たという経験はないですね。
打った瞬間に「行った~」という感じで、
もう見えないところまで行ってしまっているという彼のホームラン、
特に55本を叩き込んだ年のものすごさたるや。。。。。。
松坂大輔については、
高校時代にこれでもか・・・・というぐらいに彼のものすごさ、
そしてそのドラマ性と勝負強さに感服していて、
入団してくれたことに本当に感謝していました。
入団最初の先発で見せたあの衝撃の155キロ。
日ハム・片岡の空振りは今でも語り草になっていますし、
その年イチローとの初対戦で「自信が確信に変わった」とコメントしたピッチングはすごかった。
しかし。。。。
西武時代の彼は、栄光は訪れませんでしたね。
99年の入団からエースと言われ、
大事な試合ではいつも先発を任されていましたが、
ことごとく勝ち切ることのできないピッチングだったという印象をワタシは持っています。
天王山と言われたダイエー戦、近鉄戦などにことごとく勝つことができず、
優勝した02年の日本シリーズでは巨人・清原に手痛い一発を食らったピッチングなど、
高校時代の『勝負強かった』彼のピッチングをあまり見たという記憶はありませんね。
唯一勝負強さを見せたのは04年の中日との日本シリーズ第6戦ぐらいかな。
それでも西武にとってなくてはならない存在だった彼。
なんとなく複雑な思いも持ってみていた、ワタシでした。
3位に上げた98年のベイスターズは本当にセンセーショナルでした。
マシンガン打線のすごさは、
「後にも先にも」という言葉がぴったりとあてはまりました。
石井・波留・鈴木・ローズ・駒田・中根(佐伯)・谷重・進藤・・・
今でもスラスラと名前が出てくるぐらい、
印象が強い打線です。
またその栄光が1年だったということも、
かえってワタシの中の印象を強くしているのかもしれません。
終盤にマシンガン打線炸裂で試合をひっくり返した巨人戦、
いまだに忘れることのできない、
球史に残るすごい試合でした。
2位は大谷翔平の出現です。
こんなプレーヤーがいるのか、
いまだにそんな思いに駆られる、
史上最高と言ってもいいスーパープレーヤーですね。
『平成の生んだ史上最高のプレーヤー』
とワタシは位置づけています。
とにかく日ハム戦を見に行くと、
大谷の姿を見るだけでもう、
ワクワクが止まらなくなってしまいます。
投手の時は本当に、
『こんなすごい球、見たことね~』
って感じですし、
打撃の時ものすごいホームランを目にしたのも、
数度ありますが凄かった。
160キロの球って、
昔クルーンとかもそれに近い球を投げていたと思うのですが、
もうそれは「ま~ったく」と言っていいほど、
同じには見えないですね。
クルーンの球っていわゆる棒球で、
近くで見てもあまりすごいとは感じませんでしたが、
大谷のそれはもう、
すごいものですね。
「体感できた~!」
ってだけでもう、
幸せを感じてしまうぐらいです。
これからも少なくとも10年以上にわたって、
我々に海の向こうからそのすごさを見せつけてくれる、
そんな稀有な存在の彼は、
本当に日本人にとってスーパースターですね。
ちなみにイチローは、
センセーショナルなデビューから数年間のことがすっぽり抜けてしまっていて、
その後はMLBに活躍の舞台を移しましたので、
『すごいなあ』と思ってはいますがワタシのランク入りはしませんでした。
そして最も印象に残ったのは、
やっぱりライオンズファンとしては、
平成前期の栄光にまみれた時代と、
平成後期の泥にまみれた時代のコントラストということになりましょうかね。
平成の前半、
森監督が辞任するまでの時代は、
本当に強い時代が続きましたね。
平成の時代は『黄金期の後半』と位置付けられる時代で、
平成元年にブライアントの4連発で一敗地にまみれ5連覇ならずの年から始まりましたが、
悔しさを持ったナインが翌年から奮起。
平成2年からは5連覇を達成しました。
辻・平野・秋山・清原・デストラーデ・石毛・安部・伊東・田辺
投手は渡辺久・工藤・郭・石井丈・渡辺智・鹿取・潮崎ら
このメンバーで、
盤石の黄金時代を作り上げ、
球界に君臨した西武ライオンズとなりましたね。
オーナーに堤義明、
今でいうGMに根本陸男、
監督に森祇晶という、
一切の妥協を許さないメンバーがチーム作りをしていたのですから、
強いはずだと思いますね、今となっては。
その盤石な状態がきしみだしたのは5連覇中のこと。
まあ、平成元年に優勝を逃したときに森監督が堤オーナーから発せられた「(監督を)やりたければどうぞ」という、
なんだか気持ちのない言葉からすでに軋みは始まっていたといわれていますが、
堤オーナーは、勝っても勝っても一向に人気のあがらないチームに業を煮やしていた・・・・・
なんてまことしやかに報道されたりしていました。
それでもなお、
西武ライオンズというのはすべてのカテゴリーにおいて、
徹底的に『プロ集団』だったと思いますし、
そうでなければあんな黄金時代を作れるはずもありません。
しかしその屋台骨を担った根本さんは新興球団であるダイエーに移り、
現在まで続いていく常勝軍団の礎を作りました。
その後すぐに森監督も辞任し、
堤オーナーも00年代に入ってすぐに西武グループのすべてから手を引くという事態になりました。
そんなことを考えると、
西武球団にとって90年代の後半からというのは、
激震に次ぐ激震に見舞われ、
チームが根本から、すべて変わってしまったということがいえるのではないでしょうか。
それでも初優勝から13年間で11度のパ・リーグ制覇を達成したチームの『残り香』は、
10年たっても完全に消えることなく残り、
チームは一定レベルの強豪チームとしてある程度の存在感を残していましたが、
徐々にそれも失われていった年月だったと思います。
ここ10年ぐらいで西武のファンになった人たちと話していると、
西武というチームが『強いチームである』という認識はあまり持っていないように感じます。
『強いよりも愛されるチーム』を標榜したこの10数年、
確実にそういう志向のチームは作られているとは思いますが、
なんだかワタシなどのオールドファンにとっては、
なんかもやもやしたものが残るなあ……というのが本音なんですよね。
「あのころは・・・」
と言い出すと年を取ったということは重々承知しているのですが、
そういわずにはいられない時が、
何度も何度も訪れる、昨今のプロ野球の観戦になっています。
そんなこんなですが、
でもやっぱり野球観戦は楽しい!
それがワタシの結論。
令和の時代も、
そんなプロ野球が楽しく毎年存在していること、
念願しています。