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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

選抜出場校 こんなこと思い出してしまいました2020 その1

2020年02月06日 | 高校野球

2月はどうも、
書くネタが少ない月ではあります。
書くネタというよりも、書きたいネタかな。

冬季五輪がある年は、
この月は忙しくなるのですが、
その他の年はプロ野球のキャンプネタぐらいがいいところ。

まあ今年は東京五輪がありますから、
その選考会やらプレイベントやらが花盛りではありますがね。

という事で今年も「ライフワーク」ともいうべき高校野球ネタ、
選抜出場校についての思い出をつらつら書き述べるというヒマネタ、
やろうかなあと思ったりしているのです。

4年前からやり始めて、
今年が5回目。

書いているうちに、
お~あんなこともあったなあ、こんなこともあったなあ・・・・・
なんて思い出の扉が開いていくのが、
書いていて本当に楽しいところなので、
ぜひお付き合いの程を。

選抜大会ということについてはいろいろ思うところもあるのですが(その思いのたけは昨年の同じ記事に書いてあります)、
いろいろな学校にまた出会えるという事においては、
センバツはちょっと楽しい大会ではありますね。

それでは各校の思い出などを。
まずは21世紀枠から。


≪選抜出場校 思い出編 1≫



21世紀枠  帯広農(北海道)      初出場
                     夏出場1回  甲子園通算 0勝1敗  

21世紀枠のまず最初は、北海道の帯広農。帯広農というと、ただ1回夏の甲子園の出場経験があって、当時話題をさらった学校だったので、鮮明にワタシの記憶の中にもインプットされている学校です。甲子園が最高の盛り上がりを見せていた昭和57年の64回大会に出場した帯広農。決して目立った戦力を有していたわけではなかったのですが、こじんまりとまとまった「北北海道のチームらしい」たたずまいを見せていました。この頃は南北海道に有力校が集まり、大型チームもちらほらとみられたのですが、北北海道はこじんまりとまとまりで勝負するチームが甲子園に出場することが多かったように思います。相対的に旭川勢と釧路勢が強くて、特に旭川龍谷と釧路江南は毎年選手権出場をかけて激突するライバルだったように記憶しています。そこに帯広勢が食い込んできて、戦力図が変わってきたのがこの頃ですね。前年に帯広工が悲願の甲子園行きを決めると、この年は帯広農が初出場、2年連続で帯広勢が制したのは驚きでした。その後も広尾、帯広三条、帯広北などが続々と出場してきて、北北海道は戦国時代に突入したと認識しています。甲子園での北北海道のチームは、やはり甲子園特有の夏の暑さにやられて、中盤まではいい勝負を繰り広げるも、後半疲れが出たところを突き放されるという試合が多くて、暑さ対策こそが甲子園で勝ち進むための最大の課題と言われていました。ちなみに昭和55年に旭川大が久しぶりに甲子園で2勝を挙げて気を吐いたのですが、その年は例年にない冷夏の年で、甲子園の気温もあまり上がらなかったというのを記憶しています。その頃甲子園の実況でよく言われていたのが、「今朝は帯広で〇〇度まで気温が下がりまして、朝はストーブをつけたという事です」なんていうトピックス。それを聞いてワタシ、「そりゃあそんなところからやってきて、こんな暑さじゃ試合にならんよな」なんてよく思っていましたね。その帯広農が『球史に名を残した』のは、甲子園の試合で『4アウト』を記録したこと。詳細はからっきし覚えていませんが、4つのアウトが1イニングに記録されて、審判も両チームも、気が付いていたのかいなかったのか、スルーしながら試合を進めたことです。ワタシも観戦しながら「あれっなんかおかしいな」と思っていたのを記憶しています。審判というより、球場の記録員とか放送関連の人達とか、そういう人たちはなぜ気づかなかったのかな?という疑問は残りましたね。試合自体は淡々と進んでの2-5。記憶に残るものではなかったのですが、そのことが妙に心に残っているチームです。今回「帯広農」と聞いて、真っ先にそのことを思い出しました。


21世紀枠   磐城(東北・福島)     春2回出場 0勝2敗
                      夏7回出場 7勝7敗 準優勝1回  甲子園通算成績 7勝9敗    

磐城と聞いて、オールドファンはみんな、郷愁を感じたことでしょう。同時に、「あの磐城が21世紀枠とはなあ」と、ちょっと複雑な気分になった人もいたかも。ワタシは四国の池田や土佐が21世紀枠と聞いた時も同じ感想を持ったのですが、それは「高校野球で一世を風靡した学校が21世紀枠とは、なんだか複雑だなあ」という事。それでもあのユニフォームがまた甲子園に帰ってくるという事に、言い知れぬうれしさを感じたのも事実です。昭和40年代から高校野球を見始めたワタシにとっては、磐城高校というのはまごうことなき「東北の強豪」という位置づけです。「福島県といえば磐城か福島商、この2択でしょ!」そんな風に思っていた時期もあるぐらいです。何しろセンセーショナルだったのが、昭和46年のコバルトブルー旋風と呼ばれた準優勝。「小さな大投手」と呼ばれたエース田村が、小さな体をいっぱいに使って投げて投げて投げまくり、決勝まで無失点。あの太田幸司の三沢に続き東北勢として悲願の優勝旗を持ち帰るべく決勝に進出したのです。太田とは違い、田村はまさに「甲子園だけの名投手」の風情で、先にプロに行くような剛腕ではなかったのですが、本当にきらっきらに輝いていて、まぶしいほどでした。ワタシの脳裏にも、磐城高校のセンセーショナルなブルーのユニフォームが、まぶしく残っています。当時は紺か白を基調としたオーソドックスなユニフォームを着る学校がほとんどで、前年の優勝校、東海大相模が着ていたストライプのユニすら珍しかった時代です。そんな中で磐城の青いアンダーシャツを基調としたユニフォームは、鮮やかでカッコよく、甲子園でひときわ輝いていました。そしてインサイドストーリーとして、閉山になる炭鉱の子供たちが中心のチームで、この大会の後はバラバラになる・・・・・・という事も語られ、「甲子園の判官びいき」のお客さんはほとんどが磐城にシンパシーを感じて大声援を送っていたと思います。この年の磐城、すべての面で「甲子園ファンが大好きなチーム」の要素を揃えていて、コバルトブルー旋風が世間の風を作り出していましたね。ちなみにこの旋風を水島新司さんがアレンジしたのが、「ドカベン」で描かれたいわき東高校です。考えてみれば、明訓高校の夏はじめての制覇の決勝の相手がいわき東高校なんですが、現実でも漫画でも、勝ったのは神奈川代表の初出場校なんですよね。偶然の一致ってわけでもないでしょうが、そんなこともありました。「小さな大投手」という異名について言えば、この田村投手の前が飯田長姫高校で選抜優勝を成し遂げた左腕、光沢毅さんが思い浮びます。光沢さんはその後昭和50年代からずっとNHKの甲子園の解説をやっていたのですが、事故で視力を失うという悲劇に見舞われてしまい、解説も変わってしまいました。そしてさらにその前は秋田商の今川投手も挙げられます。今川投手は下手投げで、その後長く母校の監督を務められた方でした。こうしてみると、やはり「小さな大投手」という呼ばれ方は、野球のあまり強くない県の代表として甲子園にやってきて、強豪揃う相手をバッタバッタとなぎ倒していくという「痛快活劇」みたいな活躍をしたチームのエースに与えられる称号のような気がしますね。その磐城ですが、50年代の前半ぐらいまでは、その強さを維持していて常に福島県では優勝候補に挙がるチーム力を維持し続けました。昭和50年の選手権では、やはり小柄な小磯投手を擁して8強まで進出。「磐城強し!」を印象付けました。この年で忘れられないのが、3回戦での秋田商との対決。磐城と秋田商、この東北の両雄が甲子園で激突し、本当に素晴らしい締まった試合を展開してくれて、ワタシは子供心に感動してしまいました。福島と秋田の「両雄激突」と言えばもう一つ、昭和56年の秋田経大付vs福島商も忘れることはできません。のちにプロとして輝く秋田経大付の松本と福島商の古溝は互いに甲子園でも「屈指の好投手」の評価でした。両者は秋の東北大会の決勝でも激突し、延長18回を投げあっていて、その決着戦が甲子園での激突という事で、大いに高校野球ファンを盛り上げてくれました。そんな「栄光の歴史」を紡いだ磐城も、高校野球の変質とともに次第に輝きを失い、85年、95年と選手権出場を果たすもいずれも初戦で力負け。その後は学法石川、日大東北、聖光学院という私学強豪の壁に跳ね返され続けています。前回選抜に出場したのは46年前。ちなみにその時に敗れた相手の倉敷工のエースが、現在西武で球団社長をしている居郷投手です。
さあ、25年ぶりの甲子園、46年ぶりの選抜で、コバルトブルー軍団は輝けるのか?土佐高以来の高揚感をもって、この戦いを見守ろうと思っています。

 

21世紀枠   平田(中国・島根)      初出場
                       夏出場なし  

21世紀枠のしんがりは平田。正直平田高校については、ワタシは全く知識がありません。もとより甲子園に初登場、しかもこれまでの県大会等の戦績を見ても、近年秋季大会では実績を残しているものの、夏の選手権予選での目だった成績はなし。島根といえば最近は、私学3強と言われる開星・石見智翠館・立正大淞南が圧倒的に強くて、そこに公立の雄である浜田、大社、出雲などがどう絡むのか?という認識でいるので、あまりワタシの書くものに登場したこともないのではないでしょうかね。ということで書けるネタもないので、島根県の公立高校についてちょっと書きたいなあと思います。山陰の鳥取と島根は、雪深い地域という事もあってなかなか甲子園で活躍することが難しい時期が長く続いていました。最近でこそ鳥取でも島根でも、関西、広島等を中心にして好選手を集める全寮制の強豪校が出現して全国に伍していけるチームを輩出していますが、かつてはそれも難しく「公立王国」の様相を呈していました。ワタシの印象では、県大会参加校も少ないこの地域ではありますが、有力校は文武両道を実践していてマナーも良く、おまけに長い伝統に根ざしていて、「素晴らしいチームだな」と思わされることも少なくありませんでした。鳥取では米子東を筆頭に鳥取西や倉吉東など、島根では浜田、大社などが県内を引っ張るチームという認識があります。決して大型チームではないものの、たびたび甲子園でその存在感を強く発揮するこれらのチームに、リスペクトの思いも強かったですね。さらに伝統校は各々バンカラな応援スタイルを持っていたりして、試合を見ると同時にスタンドの風景にも目を奪われたものです。地理的に関西から近いこともあって、昭和の時代にはそういった学校のファンも球場に多くて、他の地域の学校よりも大きな声援を受けていたというイメージも強いですね。そして時折素晴らしい投手が出現してわかせてくれたり。。。。山陰の公立校は、そんな感じのチームが多かった。SBの和田も浜田出身ですし、古い選手としては、鳥取西の田子投手(元ロッテ)や米子東の野口投手(元西武)なんていう好投手もいましたねえ。。。。ということで、古い伝統の息づく山陰から初出場の平田高校。期待を持ってみています。初めての甲子園を、選手、関係者のみならず、在学生、OB/OGや地域の人達も皆、存分に楽しんでほしいと思っています。

 


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