コロナ禍以来…いやとくに最近になって仕事が減ってしまったので…
隙間を埋めるべくwebライターの募集になど手を出してみているのですが…
まあ、箸にも棒にもかからないですね。
面接さえ受けさせてもらえない。
やっぱ年齢、なんですかね。
申し訳ないけれど、物を書く人間としての力量でも実績でも…
その辺にいて活躍していらっしゃるwebライターさんに劣るとは、自分では思わないんですが。
でも、入り口のところで早々に、閉め出されてしまう。
やっぱり歳なのかなあ。だとしたら…
それって、若いから経験がないから、というだけで門前払いする形の年齢差別と、つまるところ同じですよ。
おっさんだから歳だから、駄目に決まってるというのはね。
そして最近、webメディアの記事を読んでいて、うんざりするほど目にする誤字や誤変換を見ると…
「校閲」はどこへ行った?と思いますよ。
文字メディアがまだ、すぐれて紙メディアだった時代には、あり得なかったミスがそのまま世間に出ている。
誤変換やミスヒットの見落としならまだしも…
明らかに書き手の誤解とか、教養のなさが原因と思われる間違いは、特にね。
「超度級!」とか平気で書かれると、げんなりしますよ。変換で出て来ないのかよ。
いや出て来るけど、見慣れないから間違いだと思って、わざわざ書き直しているのかも。
書いた本人だけでなく、媒体そのもののクオリティが問われる、恥ずかしいことなのに…
それが何の訂正もお詫びもなく、そのまま流れて行く。そして、みんなが忘れてしまう。
かつては、忘れてしまうどころか、勉強のため、真似して書き写したくなるような…
名文で書かれた、ノンフィクションのテクストや、コラム、エッセイ、時事問題の記事がいっぱいあったのに。
そもそも、漢字の使い方からして、正しくやるには漢籍の知識が必要で、奥深いものなんですけど。
正しい意味の伝達だけでは文化の伝達まではできない。
言葉って、それだけのものじゃないし、文化はそんな底の浅いものではない。
まあ、そんなこと言う五月蠅いおっさんだというのが、職務経歴書からわかっちゃうから、NOなんでしょう。
みんな、表面的、なおかつ大まかに物事を理解できればそれで十分で、その背後にある知識とか…
いろんな事情とか、人間の物語とか、どうでもいいんですね。インスタントな情報だけで満足なんでしょう。
先入観とか偏見を覆してくれるような、世界観ががらりと変わるような情報も、別にいらないみたいです。
そういう世の中なんでしょう。
なんて、文句を垂れてる時点で、もうwebメディアに関わるのには、不向きな人間なのかも。
でも、そうやって物事をインスタントに解釈したり、奥行きを考えなかったり…
自分の中の固定観念を上書きするような作業を怠るというのは、非知性的な態度であるばかりか…
社会全体の文化レベルをどんどん下げる行為なんですけどね。
もともと日本人は、それが少しは正鵠を射ていたかどうかは別として、高度経済成長からバブル期にかけて…
経済の分野でだけは一人前になったけれど、文化文明についての意識レベルが低い、と米欧から蔑まれて…
「エコノミック・アニマル」などと言われてしまったわけですが。
エコノミーやテクノロジーで遅れを取り始めた今こそ、文化力で見返すしかないのに。
こんな弱っちい文化力と、そちらへの関心の低さでは、いまに単なる「アニマル」と陰口を言われて…
おだてられて、どこかの大国の勢いを削るためだけの「捨て駒」として都合よく使われて、終わっちまいますよ。
知らねえ、うちらどうせそう遠くないうち死ぬんだから、後は野となれ山となれ。今を楽しく生きようよ…
というのは、子や孫の世代に対してあまりに薄情でしょう。
なんて言っても、もう今となっては、遅きに失した感じなんでしょうね……
アルバイトから数えたら40年に渡って、どこかの文字メディアでものを作る関連の仕事をしてきた私ですが…
そのキャリアも、もうそろそろ店じまいのときかもしれません。
ああ、これじゃあ、放置して塩漬けにした、前のブログと同じになっちゃう。
そういう年寄りの繰り言みたいなのは、いまさらやめようと思って、趣味ブログを立ち上げたのに。
まあ、イタリア車について、ほとんどの日本人が持っているイメージと、今のイタリア車との乖離…
それだけを書き連ねても、固定観念を覆すこと、新しい世界に目を開くことの面白さがわかると思ったので。
それで始めたところもありますけどね。たとえば、00年代半ば以降しばらくの間に作られたアルファロメオ…
壊れると、すぐ「イタリア人が作った車だからしょうがないな」と言われたものですけど。
この時代アルファの経営陣、設計・エンジニアリングのトップたち、品質管理の責任者、デザイナー…
もろもろぜーんぶぜんぶオールドイツ人で…
エンジンは、ベースがアメリカのGMのもので、6気筒はドイツ国内のオペルと同じ工場で組み立てられ…
4気筒は、なんとオーストラリア製だったんですよ。
なんちゃってイタリア製、といっていい車なのに、アルファのバッジが付いていれば「イタリア人が…」となる。
いやちょっと待ってよそれはイタリア人のせいじゃない、となるでしょう。
まあ……私がイタリアのことを書く専門家になったのも、というかイタリアに興味を持ったのも…
自分がイタリアっていう国を、ほとんど「何も知らなかった」ということに気づいたのがきっかけでした。
みなさんも、ほとんど何も知らないと思います。
ちなみにイタリアで第二次世界大戦が終戦したのは、何年の何月だと思いますか?答えは、このずっと下です。
答え。
公式には1945年(昭和20年)4月25日です。
パルチザンが、ミラノをファシスト政権の軍隊とドイツ軍から「解放」した日、ということになっています。
実際にはこの3日後、ムッソリーニが、イタリア人のパルチザンに拘束され…
処刑されて、遺体がミラノのロレート広場で、逆さ吊りの晒しものにされた日…
4月28日が、ほぼ完全な終戦の人だと、私は思いますけど。
ちなみにヒトラーの、ベルリンの隠れ家での自死は、それからわずか2日後のことでした。
多くの日本人は「イタリアは戦争に弱い国だから、1943年、早々に連合国に降伏した」と思ってるでしょう?
実は、イタリアの「無条件降伏」は、連合軍司令官アイゼンハワーが…
講和の話=休戦協定がまとまる前にフライングで宣言したもので…
それと同時にイタリアのほぼ全土が、連合軍ではなく、事態を察したドイツ軍によって占領され…
アイゼンハワーと休戦の密約を結ぼうとしていた、バドリオ将軍のイタリア王国政府は南イタリアに逃れ…
連合軍との連携を探り、後付けで、連合国に対して降伏の調印をしました。
ムッソリーニはドイツ軍に助けられて北イタリアに逃れ、RSI政権というものを作ってドイツと共に抵抗を続け…
開戦前から根強かった、自由主義者の反ファシスト勢力は、CLN(国民解放委員会)政府というのを樹立して…
中北部イタリアで、ドイツ軍およびRSI政府軍と激しく交戦するという、三つ巴の内戦状態になったのです。
イタリア人の非戦闘員で、第二次大戦の犠牲者となった人々の約7割が、この43年~45年の…
「イタリア内戦」の、地上戦の中で亡くなりました。
軍人でない一般のイタリア人にとって、連合国との戦闘は、遠い異国で行われていた、見えない戦争。
それに対して事実上の「対独戦」となった後半の内戦は、まさに目の前で行われた、凄惨な戦いでした。
なので、彼らにとって真に実感を伴う「前の戦争」というのは、このイタリア内戦の方なのです。
そして北イタリアの多くの街が、連合軍の侵攻前に、CLN政府軍によってドイツ軍から奪還されました。
なので、4月25日は「解放記念日」と呼んで、国民の祝日になっています。
戦争が終わった日を、イタリアでは「解放」と呼び、ドイツでは「敗戦」と言い、日本では「終戦」と称す。
この名前の違いに、三つの主な枢軸国側の、戦争における「事情」の違いが出ていると言えるでしょう。
(個人的には、日本も「敗戦記念日」でいいと思っていますけれど)
そして、戦争責任者が市民の手で処刑されたイタリア、戦争責任者が自決したドイツ、戦争責任者は…
結局誰だったのか、それさえ、うやむやのまま終わってしまった日本。
そこに、本当のその国の特徴が出ているような気がします。
まあイタリアに関しては…19世紀後半にできた、若い国で…
それまで、北イタリア、中部イタリア、南イタリアと、全く違う歴史をたどり…
特に北イタリアに関しては、隣の町までもが「外国」だった時代が長いので…
「自分をミラノ人やナポリ人と自覚する人はいても、イタリア人だと自覚している人はいない」
というぐらい、もともと「イタリア」という国家への帰属意識が薄い人たち。
ファシズム=国家主義的な思想が、性に合わなかったのでしょう。
イタリア人が十人いたら十人が社長になりたがる、というぐらい、他人に指図されるのを嫌い…
会話がまず「NO!」で始まるというぐらい、他人に同調することせず…
まずは、隣の人間と違うものを着て、違う者を食べ、違うことをしたがる人たちですから…
全体主義にも全く馴染まなかったんです。
いまでは、世界のどこに行っても「イタリア人コミュニティー」というものは存在しない、と言われます。
(かつての米国は例外でした)
いずれにしても、イタリア人は「ヘタレ」な国民だから、早々に戦争から逃げ出した…という理解は…
完全なる間違いです。
有名なマンガ『ヘタリア』は、タイトルからして、このイタリア人=ヘタレ史観に基づいていますね。
(世界各国を「軍人」に擬人化して、イタリアのヘタレぶりを中心に面白おかしく描いたマンガです)
ドイツ人は、近くで見ていたし、当事者だから、このイタリア人=ヘタレ史観は持っていません。
日本人に特有の史観だと言えます。
昭和時代の日本人のおっさんが、ドイツ人に会うとよく言っていた…
「また一緒に戦争やろうよ!次はイタリア抜きでな!」というせりふ。
言われたドイツ人は表面上ニコニコしていても(実際は引きつり笑い)…
内心はまず100%「なんなんだ、こいつ?」とドン引きしていたはずです。
彼らは、ネオナチの特殊な人間を除けば、ナチ時代の自国=完全な黒歴史と教育されてきた上に…
自国ドイツの大戦末期の事情に劣らぬ、イタリア内戦の凄まじい惨状も知っているので…
「なに言ってるのかわかりませーん。この男アブナイ人ね」
と思っていたことでしょう。
物を知らないというのは、怖いことです。
知らないことを知ること、大多数が持っている間違いや偏見を取り去って、意識をアップデートすること。
これに、今の大衆もマスメディアも、あまりに関心が無いように見えます。
むしろ「気持ちの良い思い込み」の上塗りをして、楽しみたい傾向のほうが、強いんじゃないですかね。
メディアが作る文字情報そのものも、デジタル時代となってますます、娯楽商品化されている。
ただ、楽しく、いい気分になるような…心の麻薬みたいな情報だけがウケる時代。
いや、そういう情報も必要なんですよ、絶対に。とくに、こんなストレスばかり多い世情だから。
(ほんとは何でストレスがあるのかを検討して、取り除くことをしないとね。麻薬でごまかすだけじゃなくて)
でも、それだけじゃ駄目。
自分の中になかった観念や新たな視点を与えてくれる情報、自分の常識を変えてくれる情報…
継続して来た自分の信念さえも揺り動かして、自己を変革してくれるような情報…
そういうのも、必要だと思うんですよ。
でもそうした活動を主にしてきた、私の職務経歴書は、webメディアの採用担当者にはお気に召さないようです。
(当然ですが、応募の中でおかしな自己主張なんかしてないですよ。淡々と過去の仕事を並べて見せてます)
あなたのような人には、webメディアのライターは無理です、と言われてるようなもの。
もう私は「お呼びでない?お呼びでない…」ということでしょうかね。
こりゃまた、失礼しました!