家族での箱根一泊旅行、無事に行って帰ってきました。
二日目は、父が朝風呂に入るのを介助して、それから旅館で朝食をとった後…
(蒸籠の中は蒸し野菜です)
芦ノ湖観光へ。
お金がないのでNAVITIMEを退会していて、Gorillaのカーナビは地図がやや古いので…
今の道案内は、Google先生に頼り切りなのですが…
相変わらず、通りやすい道ではなくて、最短時間で行けると予想される道を案内してくるGoogleナビ。
平地では、誰も知らないような狭い生活道路を通らせるので、住人の方に気兼ねするのですが。
こうした山地では、滅茶苦茶狭くて曲がりくねった、険しい峠道を案内してくれるのです。
しかも、有料道路と高速道路の案内を切っていたのを忘れていたから、なおさらでした。
それでもなんとか、芦ノ湖に到着。
まず着いたのは元箱根。
無料で停められるところを探して駐車。
今回連れて行った父と、同行した妻と、義母で記念写真を撮りました。
天気は残念ながら曇りで、富士山は箱根山中のどこからも、見えそうにない日。そのうえかなり寒い。
父の脚が悪いからと箱根神社の参拝などは避けて。
湖を眺めただけで、湖尻へ移動。
ところが冬のせいか、もともと寂れているのか、湖尻は人の影もなく閑散としています。
あまりに寂しいので、近くの桃源台へ。
ここでも有料駐車場は避けて、ラッキーにも空いていた道沿いにあるトイレ付属の無料駐車場へ。
レストランも避けて、海賊船の発着ロビーにあるお休みスペースで、持ってきたおにぎりなどでお昼。
平日にも関わらず、海賊船にはかなりの乗客がいましたけれど…
みたところ7~8割は外国人観光客。
白人もいましたが大半はアジア系の方。
韓国語、よくわからない言語(ヒンドゥー語?タイ語?)、そして中国語。
ご存じの通り、大陸中国は政府の厳格なゼロコロナ政策に反発して、各地で暴動が起きている状況なので…
こちらに遊びに来ているのは、まだ今のところ、台湾の人かなあと思ったり。
いずれにしても、インバウンドの観光客は確実に戻りつつあるみたいですね。
観光業界の人には、厳冬の時代を経てようやく春が来ているのでしょうか。それだったらほんとに良かった。
アジア各地の通貨に対する円の相対的な安さも、追い風なんでしょうね。
団体客もいるみたいでしたが、子ども連れでの個人旅行らしき人たちも多かったですよ。
我々は外食で夕食をとるつもりでいたので、そのまま帰っては時間が余るので…
それからまたペッピーノさんを出して…
とりあえず小田原へと向かいました。
途中、仙石原を通って…
有名なすすきの大群落を見たり。
(ガラスへの写り込みが激しいですが)
ところが、そこからが予想していた展開とは少し違ってきました。
想定では1号線(東海道)経由で箱根の山から下りるはずだったのですが…
Google先生が案内してくれた道は、名も知らぬ「本物の林道」だったのです。
道幅が狭くて、対向車とすれ違えないところもいっぱいあるという。
ヘアピンやきついS字カーブが連続する山道の上、単純な下りではなくて、急なアップダウンがある道。
その上、轍の部分以外には落ち葉が積もっていて、へたに乗っかったらスリップしそうです。
途中、広場になっているようなところがあって、本当に林業関係者の方の車が何台か止まっていました。
そのうちの1台がちょうど出発して、少し後方にいるのがわかったので…
マイペースでそろそろと下りるわけにはいかず、ある程度、急がないといけなくなりました。
という状況でも、強い横Gをかけたり、急ブレーキでお年寄りたちを怖がらせるわけにはいかない。
普段から「同乗者に身体的な負担や、精神的な不安を感じさせない」運転をするというのが私の信条なので…
こういう場面でもそれを貫きつつ、後ろの「ジモト車」に追いつかれない程度に急がなきゃいけない。
久しぶりに「気合入れて」運転しましたよ。
お年寄り二人は途中、紅葉が見事なのに歓声を上げて…
「この道を通ってよかった」
などと話し合って喜んでいたので「身体的負担、精神的不安を与えない」ミッションは成功だったようです。
後ろのジモト車にも追い付かれなかったし。
ラリードライバーみたいな運転で単純に速く走ることを追求するのと…
ある程度の速さと、コンフォートな乗り心地とを両立させる運転とでは…
ブレーキのかけ方、ハンドルの切り方、アクセルの開け方など、すべてが違います。
自慢じゃないですがこれ、特に山坂道ではかなり高等なテクニックなんですよ。
すべての操作に繊細さが要求されます。
「ストレートは良いマシンを試す。コーナーは良いドライバーを試す」
というのは、昔の車好きなら誰でも知っている歴史的名著『ハイスピード・ドライビング』の著者で…
レーシングドライバーから、偉大な自動車評論家に転身した、ポール・フレールの名言だったと思います。
ただ、ワインディングロードを素早くスムーズに駆け抜けるのは…
イタリア車全般、とくにアルファロメオにとっては、一番得意なパターンなんです。
だから、ペッピーノさんのスペックにも非常に助けられました。
私の本気だけでなく、ペッピーノさんの本気も試すことが出来て…
アルファ156のハンドリング、コーナリングの素晴らしさに、改めてほれぼれしました。
現代の車と比較しても、こういうシチュエーションでは、最高の車の一台なんじゃないかと思います。
とにかく、ご老人を疲れさせることも、怖がらせることもなく、かなりスピーディーに林道を下りて。
なおかつ、晩秋の山の景色を堪能してもらえたのですから、私もまだまだ、腕が衰えていないのかな、と。
で、思い出したのですが、まだ30代になったばかりの頃、妻と一緒にメメに乗って碓氷峠を越えているとき…
いかにも「走り屋」という車に煽られたことがありました。
公道で荒い走りはしない、とそのころからもう決めていたのですが…
フォーミュラカーに乗ってサーキットを走っていた時代から、そんなに時間も経ってなかったし…
私もまだ若造だったので、あのとき一度だけ「ぶち切れ」ました。
そのときは、エンジンパワーも、ブレーキのスペックも、タイヤの性能も、たぶん相手よりずっと劣るメメで…
相手を完全にぶっちぎって、置き去りにやりましたよ。
そういえば、あの日本人最初のF1ドライバー、中嶋悟氏も…
「相手が素人で下りの峠道なら、こっちが普通の軽自動車、向こうがスポーツカーでも勝てる」
とおっしゃっていましたっけ。
その碓氷峠でのぶち切れのときは、後で妻から…
「怖かった。大人げないよ。ああいうバカは、おとなしく先に行かせて!」
と叱られてしまいましたが。
今回、妻は林道の途中で居眠りしていました。ある意味、あの頃よりも運転、うまくなったのかも。笑
で、小田原に下りてきて。
小田原城を見物。
うちの先祖の一系統は…
小田原に近い国府津に知行地があった武士で、小田原城にも縁があるのですが、父は初めて来たと。
実は行きの道すがら、西湘バイパスで国府津を通過するとき…
ふと視線を右にやったら、ちょうどうちの先祖のお墓がある墓地が目に飛び込んできて。
何か、ご先祖のお導きでもあったのでしょうかね。
観光も無事終わって。
帰り道、リンガーハットで夕食。
義母は「一度ちゃんぽんを食べて見たかったのよ」と言っていたので、ちょうどよかった。
父はとにかく、ものすごく喜んでくれて。
普段は無口な義母も、珍しく饒舌でした。
お年寄りたちの喜ぶ顔が見れたし、私と妻も楽しかったし。
とても良い旅行でした。
きっと皆の思い出に残ることでしょう。