なか日の夕方は横浜みなとみらいにある、ぴあアリーナMMで行われたアニソンフェス「オダイバ超次元音楽祭フユフェス」を見に行きました。
小倉唯さんはトップバッターで登場し5曲を披露。
そのときのお衣装がこちらです。
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リボンとハートがいっぱい付いた衣装に、ニーハイソックス🎀💕︎︎
まるでティーンエイジャーのアイドルみたい。
ちなみに、彼女は女性アイドルマニアですが、アイドルを「パフォーマンスを通して、与えられたミッションを表現する存在」だと定義。
それに対して彼女は、自分はアーティストであると。それは「あくまでも自分のパーソナリティを軸に何かを表現する」存在だと定義。
なのでこのフリフリな格好は誰かから与えられたミッションではなくて「彼女自身」の表現なわけです。
今年から三十路に入るいいおとなが、こんなブリブリな服はやめて...
もっと落ち着いた三十路女「らしい」格好をしろ、というなかれ!
ブリブリしてるわけではなく、自分が好きな世界観を表現した、これが彼女「らしい」衣装なんです。
そもそも「自分らしさ」以外の「らしさ」って、ほんとに必要なんですか?
男らしさ、女らしさ、子どもらしさ、若者らしさ、年寄りらしさ...
サラリーマンらしさ、スポーツマンらしさ、母親らしさ、学生らしさ...
病人らしさ、生活保護受給者らしさ、性犯罪被害者らしさ、難民らしさ…?
そんなもの本当に必要なんですか?ないことで、誰が困るんですか?
そんなもの本当に必要なんですか?ないことで、誰が困るんですか?
人間の個性や生き方をころして、人を「記号」にして、統治しコントロールしやすくする。
管理者や支配者の都合によるものじゃないんですか?「〇〇らしさ」っていうのは。
管理され支配される側、あるいは雇用される側が、管理者支配者雇用者の立場を自分の内面に取り込んでしまい、自他の区別が分からなくなる。
「される側」が「する側」の都合だけで動いてしまう。
そういう明らかな「倒錯」が、日本人にはとっても多い。多すぎる。
まず何よりも先に、その持病から脱却しないと、この社会の未来はないですよ。まじめな話。
その倒錯した意識に縛られた状態を脱するため、意識的に「らしさ」を捨てよう!
と私は提言します。
だから男らしさもおっさんらしさも、父親らしさも、私は敢えて捨てて生きています。
らしさは「自分らしさ」だけで十分...じゃないですか?
敢えて何からしさを身にまとい、自分を記号にして、それに合わせた仮面を着けることはやめていいんじゃないですか?
と、私は思いますけど。
ということを、小倉唯さんも「らしくない」格好や振る舞いで主張している気がしますよ。
人間を記号化してレッテル貼りをする人から「いい歳をして」と言われるのを気にせず...
フリル、レース、リボンの付いた衣装をやめない唯さんは、むしろ「ぶりっ子」とは真逆の、ある意味反逆者である気がします。
あれが小倉唯にとっての、反秩序、反体制の、「ロックな生き方」なのかもしれない。
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それなら生涯貫いてほしい。断固支持して応援しますよ!
そして昨夜はファンクラブ会員限定の生配信がありました。
カフェで友達とだべっているみたいな内容の雑談を1時間近く。
ファンからのチャットコメントを拾っての、ゆるーいやり取り。
どうかすると途中でリップ💄ぬりぬりし始めたりしながら。笑
昨日は「みんなどんなお仕事をしてるの?」という問いかけから、盛り上がりました。
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だいたい月に1回ある、この会員限定の生の会話。ライブで双方向のやり取りができる時代だからこその、この近い距離感。
リモートお茶会☕️みたいな感じ。
彼女のいいところも、そうでないところも(潔癖症過ぎる感じとか)自然にさらけ出される場所。
それがとても楽しいし、唯さんも楽しんでいるのがよく伝わって来ます。
これからも続けていただきたいです。