数年前のことになりますが…
まだツイッターで私が政治的な発言などしていたころのこと。
ネトウヨ系アカウントが、私が小倉唯さんのファンだということを知って、仲間内で私のことを…
「相当ヤバい」「ロリコンですな」などと悪口を言っているのを、たまたま目にしました。
そのころ唯さんは、既に二十代半ばの立派な大人の女性になっていたのですが…
そのウヨどもの頭の中では「小倉唯」が、高校生声優という姿のまま凍結されていて…
情報がアップデートされていなかったのでしょう。
人や物事に対するイメージや見方、向き合い方を上書きできないタイプの人間は多いです。
もし私が「ロリコン」=ロリータコンプレックスなら…
唯さんがおとなになった時点で興味を失って、他の若い子に目移りしていたでしょうね。
彼女がまだ十代のころから、アラサーの今に至るまで変わらず応援しているというと…
もう一つの可能性として、ピグマリオンコンプレックスじゃないか、と思う人がいるかも。
ピグマリオンコンプレックスというのは、ギシリャ神話に出てくる…
キプロス王のピグマリオンという人物が、自分で作った人形を溺愛し…
その人形に、美と愛の女神アフロディテから命を与えてもらった、という逸話が語源。
転じて命のない人形を愛する、コミュニケーション不全や変態性愛のことを指したりします。
またもっと広い意味で、まだ大人になっておらず未成熟な子ども(少女や少年)または…
田舎出のあか抜けない少女や少年を「おとな」の主体が…
自分好みの完成した恋愛の相手に育て、自分のものにしようとすることをも指します。
『源氏物語』の第五帖「若紫」や、バーナード・ショウの戯曲『ピグマリオン』また…
それを映画化したオードリー・ヘプバーン主演の『マイ・フェア・レディ』…
谷崎潤一郎の小説『痴人の愛』などが、それを描いた創作作品とされたりします。
でも、私は小倉唯さんに、自分好みの人になってほしい、などと思ったことは一度もないし…
まして「自分のもの」にしたいなどという、超絶不埒な考えも一瞬たりとも持っていません。
彼女には彼女らしく生きて、彼女自身が納得できる人生を送ってくれたら良いと思います。
なのでピグマリオンコンプレックスとも違いますね。
では、他人ではあるけれども、父性的な愛情を注ぐ「娘代わり」なのでしょうか。
冗談で「うちの娘」などと言ったりすることもありますけれど…
そういう場合は、ある意味「庇護したい対象」として見る傾向が混じるでしょう、普通。
確かに彼女は、自分が結婚した2年後に生まれた人ですから、娘にはちょうどいい歳回り。
でも私が唯さんに向ける視線には、庇護の対象というよりは一種の尊敬が基本にあって…
「娘」扱いなど失礼だし、恐れ多いような気さえするので、それも違うなと。
では、一種の「聖女」に見立てて理想化し、崇拝しようとしているのでしょうか?
西洋中世の騎士や文学者たちが、自分にとっての「聖女」を作り出して崇めたように。
私が研究したダンテ・アリギエーリの作品『神曲』の、ベアトリーチェのような存在なのか。
いや、私は唯さんを「聖女」だとは思っていないです。
もしも彼女が、不倫事案を起こしてしまったり、薬物使用などで警察の厄介になっても…
失望して見捨てたりすることはないでしょう。
反省や更生を信じて、その後も推し続けると思います。
そうなると、善悪を超越した「神」のような存在として「信仰」しているのか。
仕事のスキルの上で、稀有なスーパーウーマンとして見ているところはありますが…
さすがに神格化はしてない。
弱いところ、駄目なところ、欠点もある、ひとりの人間だと思っています。
たとえば、コロナ禍の中、あんなに仲が良かった日高里菜さんを自宅に上げるときに…
玄関横の部屋で、外で着て来た衣服を着替えさせていた、などは…
あまりに行き過ぎた潔癖症で、日高さんに失礼だったと思います。
そのころから少し二人の間に微妙な溝が出来たような気もするし…
もし本当に溝が出来てしまったのだとしたら、悪いのは間違いなく唯さんだと思います。
じゃあ、小倉唯さんとは私にとって何なのでしょう。
これこそが本当の「推し」というやつなのだ、と、自分では思いたいですが…
わかりませんね。
ただ勝手に応援したくなる存在。
見返りは、いくばくかの心の癒しと…
彼女が様々な分野で成功して「大きく」なって行くのを遠くから見守ること。
やっぱり「推し」というのは不思議で難しい存在です。