以前「最近の子どもはキレやすい」といって問題にされたことがありました。
でも以前にも書きましたけれど「キレる」のは子どもに限ったことではなく。
最近の、特に寿命が延びてきた高齢者たちにも、キレる人は多いと思います。
うちの父がキレやすくなって、瞬間湯沸かし器的に激怒してすぐに怒鳴る…
しかも、見ず知らずの他人に怒鳴り散らすようになったことは書きました。
数日前も、デイサービス…
父にとってはいまやこれが生きがいで、ここで見つけた「親友」と交流するのが…
何よりの楽しみなのですが。
その送迎の車(ミニバン)で帰宅する途中で、ある高齢女性の家に寄ったとき…
その方の夫(80代)が玄関先に迎えに出たのですが、車の到着がその日は遅かったと…
「遅い!いつまで待たせるんだ!」ということで、運転していた職員の方を捕まえて…
いきなり大声で怒鳴って、説教したそうなんです。
道路事情で、いつもより10分弱遅れただけみたいなんですが。
そうしたら、普通でなく寒がりのうちの父が、つられてブチ切れて。
「馬鹿野郎!こっちがまだ乗ってんだ!早く引っ込んで車のドア閉めさせろ!」
と、もの凄い剣幕で怒鳴って…
そこの家の老人と大喧嘩になって、運転手さんを大変困らせてしまったそうです。
という話を、デイサービスの方から伺いました。
それ以外でも、デイサービスの施設で、突然怒り出して怒鳴り散らすことがある様子です。
たとえば、これは父の口から聞いたのですけれど…
ある職員の方が、だいぶ父にも慣れてきたので、親しみを込めたのでしょう…
名字でなく、下の名前で「〇〇さん」と呼んだらしく。
それが父は気に入らなかったらしく。
「バカ野郎もう一度言ってみろ!てめえなんかにそんな気安く呼ばれる覚えはねえ!」
と怒鳴り上げてやったんだと、自慢というか、武勇談のように言っていました。
ほんの少し前まで家族にも、ましてよその人に対してそんな風に怒鳴る人じゃなかったのに。
先日の湯河原での一件(知らない人と喧嘩になりそうになって仲裁した)もそうですが…
公衆の面前で突然キレて、大声を出して怒鳴る父にいつも困っています。
感情を抑える脳の働きが弱っているのでしょうけれど、それが日に日にひどくなる感じ。
デイサービスとともに、父が楽しみにしている外食に連れ出しても…
ちょっと大きな声で話している他の客とか、あるいは小さな子供連れを見ると…
あからさまにイライラしだすので、いつ怒鳴るかとハラハラしてしまうのです。
それでいて、父自身はとても大きな声でしゃべっているんですけれどね。
子どもなら、注意したり叱ったりもできるのですけれど…
相手は年寄りだし、キレることを注意したなら余計にキレて怒鳴るので、まさに逆効果だし。
本当に、ひとが変わってしまった。
怒鳴る以外にも、要求がものすごくわがまま勝手になって。
しかも、数分前に言ったことをすぐに忘れて、別のわがままを言い出すのです。
本当に、子どもなら言い聞かせたり、指導したり、叱ったりできるのに…
親に向かってなんだ、ということで、ブチ切れられるからそれも出来ない。
老化なんだから、と諦めようとはするのですけれど…
ストレスマックスです。
ただね、これ、うちの父だけの問題ではなくて、高齢男性にはよくあることらしいです。
理性で情動を抑える脳の働きが衰える、というだけでなく…
現役時代に社会的地位があったり、人の上に立ったりしていた高齢者…
特にほぼ男性に限って、こんな風になる人が多い、ということを書いた記事を読みました。
昔の日本の企業など「パワハラ的序列社会」の中で生きて来て…
人に命令したり、今だったらパワハラに当たるようなことをしてきた人ほど…
高齢になってから、そういう迷惑お爺さんになる人が多いみたいです。
「貴様、俺を誰だと思ってるんだ!」というノリですよね。
引退したら、現役時代の役職、立場とか、プライドとか、そのまま通用しないのに。
どうしたらいいんでしょう。まあ、耐えるしかないんですけれど。
一方の母は母で、最近は一日おき、いやほとんど毎日電話がかかって来て。
あれを持って来てくれ、これを持って来てくれ、と。
マスクなんか、40枚入りの箱を届けても、3日と経たずにまた持って来てと。
ティッシュペーパーは、200枚入りのを、2日ぐらいで使い切っている様子。
なのでまとめて何箱か持っていくと、置くところがなくて邪魔だから1箱ずつ持って来てと。
道路が混んでいると片道40分近くかかる場所なのに。
本当は、マスクもティッシュも、介護施設備え付けの物があるんです。
でも「ゴワゴワしてるから使いたくない」と、これまたわがまま。
特定の銘柄の、とくにマスクは、通販で取り寄せたの以外使おうとしないんです。
それを指摘して意見すると、泣かれるし。
息子の顔が見たいのかなあ、寂しいのかなと思って面会しようとすると…
「めんどくさいからいいわ。荷物だけ置いて帰ってちょうだい」と。
家に帰りたいの?お父さんと一緒にいたいの?と訊くと…
「ここなら何でも親切にやってくれるから、よそになんか行きたくないわ」
「お父さんと一緒に暮らすなんてもう絶対嫌よ。わがままだから」と。
もうわけわかんない。
昨日みたいに、たまに旧友と会う時間が、こうなると本当に貴重なのですが。
でも話していると、なんだか自分が周りのみんなよりも老け込んでいる気がして。
父と一緒にいるときは、頭の働きも体の動きもゆっくりゆっくりなので…
とにかく辛抱強く、次の行動に移るのを、待ってあげることが肝要なんですが…
いろいろ考えているとイライラしてしまうので、防衛のために、待っている間は頭を空にして…
ぼーっとするのですが、それが習慣になったら、こんどは自分の方が「ボケて」しまって。
イライラへの防衛反応が、自分の頭を衰えさせるのではないかと。
頭の回転の速度や、思考力や、記憶力が、急速に衰えているのを感じます。
まあ、もう60ですから、それでなくても自然な老化と言えばそうなのでしょうが…
認知症状が進みつつある親に思考を合わせていると、余計に頭が動かなくなる気がして。
本当に、どうしたらいいのか。
これでは働くのも無理なので、60歳で、年金を繰り上げ受給することにしました。
年金事務所に行って、繰り上げ受給のデメリットをいろいろ伺って来たのですが…
当然支給額は減額になるのですが、5年早くスタートするので…
65歳からの需給で、あとからそれを追いかけて、損益分岐点は…
81歳と11か月になると。つまり82歳まで生きたら、65歳からもらった方が得になるんですね。
そりゃあもう、考えるまでもないです。私の場合は。
82まで(つまり日本人男性の平均寿命を超えるまで)生きる可能性のほうが少ないし…
そんなに生きたくもないし。
だいいち、あと22年間も、今と同じように年金が支給されるかどうか、怪しいですよ。
将来、年金支給額が減額されたり、そもそも年金制度自体が破綻して来たりしたら…
もらえるものをもらいそびれて「損益分岐点」はもっと高齢になってからになるかも。
83、84、85…それ以上生きてしまったら、それは想定外だからやむを得ない。
しかも事実上仕事ができなくて、介護専任の今こそ、お金が必要なんですから。
これは繰り上げ受給一択しかない。
デメリットがあるとすれば「隠居気分」が生じてしまうことぐらい。
なんだか「俺の人生もこれまでか…」という気分になってしまう、それがデメリットかな。
でも現実問題として、しょうがない。
六十で年金、もらいます。
そんな日々に「推し活」よりも「運転」よりも、もっと心の慰めになってくれるのは…
息子との会話なんだなということが、今日改めてわかりました。
昨夜、息子が突然帰省してきて。
実家近くで高校のときの友達と飲んで「遅くなったので泊めてほしい」と。
そりゃもう、ウェルカムです。
で、けさは早朝に起きて、ペッピーノさんを出して彼を研究室まで送って行きました。
車の中で、彼が先日買ったフリードリッヒ・シェリングの『学問論』の感想の話になりました。
(難しいのでまだ途中だそうです)
すごく面白い本だけれど、面白いからこそ、気をつけて読まないといけないと思う、と息子。
まず、科学系の書物なら、正解、もしくは「現在の時点での最適解とされるもの」があるけれど…
人文系の本というのは、書いてあることが「正しい」ということは言えない。
いくら僕が、感心したり共感したりしたとしてもね、と。
特に、古典だから、その時代なりの内容でしかなかったりもするし。
そのこと以上に、注意しないといけないのは、と息子曰く…
僕はきちんと哲学を勉強したわけではないから、著者の哲学史的な位置づけが理解不十分だと。
思想史の中でシェリングの果たした役割とか、彼が影響を受けたもの、影響を与えたものなど…
正直言って、詳しくは知らないままに読んでいる。だから…
もしかすると、かなり致命的な「誤読」をしてしまっている可能性もあるよね…
そういうことも考えの中に入れて、読んでいかなきゃならないなと思う、とのことでした。
「分かってるじゃないか、息子!」と、ちょっと嬉しくなった父。
科学者やエンジニアで、哲学書を好んで読む人も、そんなにいるわけではないと思うのですが…
そういう本の「読み方」を、彼がきちんとわきまえて…
リテラシーを持って読んでくれていることが、私としては嬉しく思えました。
もしかすると、そういう客観性のある態度で書物に接することができるのは…
彼が「科学の徒」だからこそ、なのかもしれませんけれど。
私自身を含めて、いわゆる「文系の人間」は、自分の思想的立場や考え方を客観視できず…
「これが正しいことなんだ」と、凝り固まってしまう人間が多い気もしますから。
すごく気に入った書物や、自分の考えまでも、客観的、俯瞰的に見ることができる…
いわゆる「メタな視点」を持てている息子に、自分も見習うべきところがあるなと思いました。
同時にまた親馬鹿が出て来て(笑)…
自分自身のことではないのに、ちょっと誇らしくなったり。
この世界は絶望的に酷いけれど…
この国も滅茶苦茶で、社会が崩壊する過程は不可逆的かもしれないけれど、それでも…
彼のような青年がいるということは、未来への希望だったりもするかな、と。
親馬鹿です、すみません。
そして車の中で息子が「こういう話ができる人、他にあんまりいないんだよね」と…
私に向かって言ってくれたことが、密かに、何よりも嬉しかったのです。
彼を送って行って、そうして車の中で話す時間が、なぜか一番充実した会話ができる。
なんででしょうね。並行して同じ方向を向いているのがいいのかな。
それにしても…
息子が父親を頼りにして、そういう話の相手として貴重だと思ってくれているのかなと…
そんな風に思うと、いくら隠居っぽい生活になってしまっていても…
まだこの世界にいる意味はあるのかな、と思って、生きる活力が湧いてくるのです。