
18日に開催された、東京国際映画際。せっかくだからIDパスを使ってなるべく多くの映画を見ようと試みました。映画を製作するものとして、他の人たちが作った映画を見ないでどうする?と言う思いがあるのでインターネットで何本かの予約を入れました。早めにしたので、「ホームレス中学生」、「さくらの園」、「ぼくのおばあちゃん」等を含め日本映画数本を簡単に予約が出来たのですが、結局は仕事の都合で全部キャンセルを余儀なくされました。やはり、ユックリ映画三昧は甘かったようです。
それでも女性映画祭のレセプションには出席いたしました。この映画祭は、本家東京国際映画祭と協賛企画でこちらも1985年より堂々の21回目になります。ジェネラルプロデューサーは高野悦子さん。第一回からずっと継続されています。女性の監督も増えた来たとは言え、日本で公開される映画のまだ一割に満たないので、「継続は力なり」を念頭に,これからも頑張っていただけるそうです。
オープニングは羽田澄子さんのドキュメンタリー「嗚呼、満蒙開拓団」。そして特別企画「川喜多かしこ生誕100年記念上映」として名作「制服の処女」、「ねむの木の歌がきこえる」宮城まり子監督、あと韓国映画「私たち生涯最高の瞬間」など数カ国から6本です。
川喜多かしこさんは日本に様々な洋画を輸入され、夢を与えた方です。私たちも映画製作をし始めた時から、つねに夫人から叱咤激励されたものです。モントリオール世界映画祭のディレクター、セルジュ・ロジック氏は川喜多夫人のことを「マイ・リトル・ブッダ」と尊敬と愛を込めて慕っていました。モンゴメリ、村岡花子さん同様、情熱を持って後世に素晴らしい物を残してくれた方です。ご高齢にも関わらず、カンヌのクロワゼット大通りをお好きな薄紫の着物を着て、シャキッと背中をのばし、数キロにも及ぶ映画上映館に通われている姿、いまでも目に焼き付いています。一度御同席したとき、2時間の上映中スクリーンから目をそらす事なく一生懸命ご覧になっている様子に、映画に対する大いなる敬意を感じました。ですから世界中の映画人から尊敬され愛されたのでしょう。いい映画、人生の糧となる映画を届ける、、、やさしいようで難しい作業であると思います。
レセプションでは東京国際映画祭の依田チェアマンも挨拶され、「お姉様方」、、と冗談交え、来年ももっと力を入れて開催しましょうと約束されました。そして特別ゲストの土井たか子さんも格調高いメッセージを送られました。故黒澤明監督のプロデューサーとして知られ、そして「母べえ」の原作者でもある野上照代さんもご出席、名古屋女性映画際で「KAMATAKI窯焚」を見ていただいて以来、久しぶりの再会でした。年齢に関わらず、元気な女性を間のあたりにするのは、とても勇気づけられます。
★★★★★
映画祭のもう一つの顔にマーケットがあります。いわゆる映画の販売をする会場です。映画の製作会社や配給会社がスタンドを設け、ポスターを貼り、訪れるバイヤーと交渉するのです。私はプロデュースと同時にベルリンやカンヌ、ミラノ、LAのマーケットでセールスを長年経験して来ていますが、とても体力が必要とされる仕事です。綿密な戦略戦術が必要とされます。いい映画を作ったからと言って放っておいても売れるものではありません。でも、同時にタイトルとポスターだけで売れる映画もあるのです。

世界のマーケットはそれぞれの国によって違います。言葉の違いだけでなく、民族のちがい、歴史の違い、そして宗教の違い迄考慮しなくてはなりません。自国で大ヒットしたからと言ってそれがすべての国に通用する事は殆どありません。たとえ、ハリウッド映画でも例外ではありません。ただハリウッド映画の場合はヨーロッパやアジアにも支社があり、常にその国の動向をリサーチし、平均的な好みにあったものをつくるので、下手をすると、つまらないものが出来ますが、うまく行くとメガヒットの作品が生まれます。我々インデペンデントは資金的な余裕も、時間的な余裕もないのが常ですので、低予算でまず自国でヒットさせ、海外へはもしうまく行けば販売出来るかも、ぐらいのスタンスです。
そのマーケットへのステップの第一歩としてあるのが映画祭です。映画祭で,評判になり、賞でも取れれば可能性はグンと増します。でも、世界一のカンヌ映画際でグランプリを取った映画でもバイヤーからはそっぽを向かれると言う事もあるのです。本当に映画は不思議な生きものです。だから魅力があるのでしょう。
by Yuri Yoshimura Gagnon
anne_partners@mail.goo.ne.jp
それでも女性映画祭のレセプションには出席いたしました。この映画祭は、本家東京国際映画祭と協賛企画でこちらも1985年より堂々の21回目になります。ジェネラルプロデューサーは高野悦子さん。第一回からずっと継続されています。女性の監督も増えた来たとは言え、日本で公開される映画のまだ一割に満たないので、「継続は力なり」を念頭に,これからも頑張っていただけるそうです。
オープニングは羽田澄子さんのドキュメンタリー「嗚呼、満蒙開拓団」。そして特別企画「川喜多かしこ生誕100年記念上映」として名作「制服の処女」、「ねむの木の歌がきこえる」宮城まり子監督、あと韓国映画「私たち生涯最高の瞬間」など数カ国から6本です。
川喜多かしこさんは日本に様々な洋画を輸入され、夢を与えた方です。私たちも映画製作をし始めた時から、つねに夫人から叱咤激励されたものです。モントリオール世界映画祭のディレクター、セルジュ・ロジック氏は川喜多夫人のことを「マイ・リトル・ブッダ」と尊敬と愛を込めて慕っていました。モンゴメリ、村岡花子さん同様、情熱を持って後世に素晴らしい物を残してくれた方です。ご高齢にも関わらず、カンヌのクロワゼット大通りをお好きな薄紫の着物を着て、シャキッと背中をのばし、数キロにも及ぶ映画上映館に通われている姿、いまでも目に焼き付いています。一度御同席したとき、2時間の上映中スクリーンから目をそらす事なく一生懸命ご覧になっている様子に、映画に対する大いなる敬意を感じました。ですから世界中の映画人から尊敬され愛されたのでしょう。いい映画、人生の糧となる映画を届ける、、、やさしいようで難しい作業であると思います。
レセプションでは東京国際映画祭の依田チェアマンも挨拶され、「お姉様方」、、と冗談交え、来年ももっと力を入れて開催しましょうと約束されました。そして特別ゲストの土井たか子さんも格調高いメッセージを送られました。故黒澤明監督のプロデューサーとして知られ、そして「母べえ」の原作者でもある野上照代さんもご出席、名古屋女性映画際で「KAMATAKI窯焚」を見ていただいて以来、久しぶりの再会でした。年齢に関わらず、元気な女性を間のあたりにするのは、とても勇気づけられます。
映画祭のもう一つの顔にマーケットがあります。いわゆる映画の販売をする会場です。映画の製作会社や配給会社がスタンドを設け、ポスターを貼り、訪れるバイヤーと交渉するのです。私はプロデュースと同時にベルリンやカンヌ、ミラノ、LAのマーケットでセールスを長年経験して来ていますが、とても体力が必要とされる仕事です。綿密な戦略戦術が必要とされます。いい映画を作ったからと言って放っておいても売れるものではありません。でも、同時にタイトルとポスターだけで売れる映画もあるのです。

世界のマーケットはそれぞれの国によって違います。言葉の違いだけでなく、民族のちがい、歴史の違い、そして宗教の違い迄考慮しなくてはなりません。自国で大ヒットしたからと言ってそれがすべての国に通用する事は殆どありません。たとえ、ハリウッド映画でも例外ではありません。ただハリウッド映画の場合はヨーロッパやアジアにも支社があり、常にその国の動向をリサーチし、平均的な好みにあったものをつくるので、下手をすると、つまらないものが出来ますが、うまく行くとメガヒットの作品が生まれます。我々インデペンデントは資金的な余裕も、時間的な余裕もないのが常ですので、低予算でまず自国でヒットさせ、海外へはもしうまく行けば販売出来るかも、ぐらいのスタンスです。
そのマーケットへのステップの第一歩としてあるのが映画祭です。映画祭で,評判になり、賞でも取れれば可能性はグンと増します。でも、世界一のカンヌ映画際でグランプリを取った映画でもバイヤーからはそっぽを向かれると言う事もあるのです。本当に映画は不思議な生きものです。だから魅力があるのでしょう。
by Yuri Yoshimura Gagnon
anne_partners@mail.goo.ne.jp