☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!
●本日のコトノハ●
どんな曲でも、音楽の演奏で心にもたらされるべきものを実現する最適な音、すなわち音色を自在に適用できる人が
音楽家であるべきなのは当然なのです。そして音楽の教育者はその方法を知っていて教えるべきなのです。
『人を魅了する演奏』紙谷一衞(2009)角川学芸出版より
学生の時、「人はなぜ音楽を必要とするのか」というテーマで小論文を書くという課題がありました。
その時に、どんな回答をしたのか忘れてしまいましたが、今もはっきり分かっているのは世界から音楽が一切なくなってしまった状況を想像できないということです。
音楽が人の気持ちをリラックスさせ、緊張を緩和してくれることは疑いのない事実だと思います。
音楽が人の心(精神状態)にもたらす作用を科学的に裏付けることはとても困難です。
これは音楽に限らず、絵画や彫刻などの美術品にも言えることで、それらが人の生死に直接関与しないにも関わらず、人は本能的に芸術作品に触れることで美的感覚を満足させようとしますし、それが叶わない時には心に貧しさを感じさえするのです。
とはいえ、音楽や美術に全く興味のない人もいるので、個人差はあると思います。
音楽に関心の高くない人にしてみれば、「音楽とは何であるか」という疑問自体がどうでもいいことなのかもしれません。
では、音楽教室で楽器の演奏方法を教える立場の講師はどうあるべきでしょうか。
音楽教室には様々な動機を持った生徒さんたちが来ます。
もちろん、何かと忙しない日常の中で時間を作り、教室に足を運んで来るくらいですから、音楽が嫌いな人や興味のない人はほとんどいません。
(たまに、ご両親の強い希望で通ってくるお子さんもいますが、その場合、その生徒さんはレッスンに熱心ではありません…)
たいていの生徒さんは、音楽を楽しみに教室にやって来ます。一人一人、音楽の楽しみ方も技量も違います。
楽器の音を出すということは、何らかの感情の表出であるという考えも、音楽を専門に勉強した私には理解できます。
ですが、それを理解できなくても、楽器の音を出すことはできるのです。
その音を出すために、どれだけ弾き手が心をくだいたか、どのくらい練習しているか、楽器とどんな関係性を築いているのか、レッスンで生徒さんが出す音を聞けば、たいていの講師にはそれらのことが筒抜けだと思った方がいいでしょう。
生徒さんの中には、家での練習量が足りないと自己申告してくる人がいますが、私の場合、練習量についてはあまり重視していません。
もちろん、しっかり復習することは大切ですが、中には自己流の癖がついたまま練習してしまい、良くない結果になることもあります。
例え少ない時間でも、楽器と向き合う瞬間を大切にして、真剣に集中して取り組んでいれば、ダラダラと正しくないやり方で長時間練習するよりもずっと効果的な結果が得られると思います。
生涯学習としての音楽を教える講師として一番重視することは、音楽を、楽器の演奏を楽しいと思えるようにサポートすることだと思っています。
人は一目で分かりやすいものを求めがちです。有名なコンクールで優勝することはもちろん凄いことですが、音楽は勝ち負けで判断するものではありません。
音楽の在り方に正しさも間違いもありません。自分が音を出す瞬間、どんな音が鳴るのか、それを聞いた時、自分はどう感じるのか、二度と同じ感覚で同じ音を出すことはできません。
その一回一回をどれだけ楽しむことができるか、音楽の真髄はそのあたりにあるような気がします。
ヒトコトリのコトノハ vol.32
=====
▼本の林の管理人ハヤシさんがお送りしています。
☆X(Twitter) https://twitter.com/honnohayashi
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●本日のコトノハ●
どんな曲でも、音楽の演奏で心にもたらされるべきものを実現する最適な音、すなわち音色を自在に適用できる人が
音楽家であるべきなのは当然なのです。そして音楽の教育者はその方法を知っていて教えるべきなのです。
『人を魅了する演奏』紙谷一衞(2009)角川学芸出版より
学生の時、「人はなぜ音楽を必要とするのか」というテーマで小論文を書くという課題がありました。
その時に、どんな回答をしたのか忘れてしまいましたが、今もはっきり分かっているのは世界から音楽が一切なくなってしまった状況を想像できないということです。
音楽が人の気持ちをリラックスさせ、緊張を緩和してくれることは疑いのない事実だと思います。
音楽が人の心(精神状態)にもたらす作用を科学的に裏付けることはとても困難です。
これは音楽に限らず、絵画や彫刻などの美術品にも言えることで、それらが人の生死に直接関与しないにも関わらず、人は本能的に芸術作品に触れることで美的感覚を満足させようとしますし、それが叶わない時には心に貧しさを感じさえするのです。
とはいえ、音楽や美術に全く興味のない人もいるので、個人差はあると思います。
音楽に関心の高くない人にしてみれば、「音楽とは何であるか」という疑問自体がどうでもいいことなのかもしれません。
では、音楽教室で楽器の演奏方法を教える立場の講師はどうあるべきでしょうか。
音楽教室には様々な動機を持った生徒さんたちが来ます。
もちろん、何かと忙しない日常の中で時間を作り、教室に足を運んで来るくらいですから、音楽が嫌いな人や興味のない人はほとんどいません。
(たまに、ご両親の強い希望で通ってくるお子さんもいますが、その場合、その生徒さんはレッスンに熱心ではありません…)
たいていの生徒さんは、音楽を楽しみに教室にやって来ます。一人一人、音楽の楽しみ方も技量も違います。
楽器の音を出すということは、何らかの感情の表出であるという考えも、音楽を専門に勉強した私には理解できます。
ですが、それを理解できなくても、楽器の音を出すことはできるのです。
その音を出すために、どれだけ弾き手が心をくだいたか、どのくらい練習しているか、楽器とどんな関係性を築いているのか、レッスンで生徒さんが出す音を聞けば、たいていの講師にはそれらのことが筒抜けだと思った方がいいでしょう。
生徒さんの中には、家での練習量が足りないと自己申告してくる人がいますが、私の場合、練習量についてはあまり重視していません。
もちろん、しっかり復習することは大切ですが、中には自己流の癖がついたまま練習してしまい、良くない結果になることもあります。
例え少ない時間でも、楽器と向き合う瞬間を大切にして、真剣に集中して取り組んでいれば、ダラダラと正しくないやり方で長時間練習するよりもずっと効果的な結果が得られると思います。
生涯学習としての音楽を教える講師として一番重視することは、音楽を、楽器の演奏を楽しいと思えるようにサポートすることだと思っています。
人は一目で分かりやすいものを求めがちです。有名なコンクールで優勝することはもちろん凄いことですが、音楽は勝ち負けで判断するものではありません。
音楽の在り方に正しさも間違いもありません。自分が音を出す瞬間、どんな音が鳴るのか、それを聞いた時、自分はどう感じるのか、二度と同じ感覚で同じ音を出すことはできません。
その一回一回をどれだけ楽しむことができるか、音楽の真髄はそのあたりにあるような気がします。
ヒトコトリのコトノハ vol.32
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