☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!
1866年5月17日に生まれたのは、エリック・サティ(1866-1925)です。
フランス、ノルマンディーの港町オンフルールで生まれ、10歳の時に教会のオルガン奏者の弟子からピアノを教わります。
1878年にパリへ行き、翌年パリ音楽院へ入学しますが、学校に通うよりもアンデルセンなどの作家たちの本を読んだり、グレゴリオ聖歌の研究をしたり、ゴシック芸術についての本を読むことなどに時間を費やしました。
1885年にはピアノ曲を作曲し、この作品は処女作にもかかわらず出版された時には「作品62」とされました。
その後も、歌曲やピアノ曲が作曲され、それらはサティの初期作品の中では重要なものと評価されており、その音楽技法は後のドビュッシーに影響を及ぼしたという見方もあります。
彼の音楽に見られるグレゴリオ聖歌のような旋律の動きや、連続する完全和音の響きはどことなく中世の音楽を連想させるものであり、また、ある作品では拍子記号や小節線が取り払われ、サティ独自の指示が書き込まれるなど、後期ロマン主義の概念を根底から覆す傾向が見られます。
サティは、それまでの沈黙や集中力を要求する伝統的な音楽に対して、くつろいで安らぐことのできる「家具の音楽」という概念を提唱しました。
虚飾を取り去った純粋で客観的な音楽作りを続けたサティは、ドビュッシーやラヴェルなどのフランスの作曲家のみならず、ジョン・ケージをはじめとするアメリカの新時代の作曲家たちに、音楽創作における新たな可能性を示唆した重要な存在であることは間違いありません。
♬5月17日生まれの作曲家♬
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▼本の林の管理人ハヤシさんがお送りしています。
☆ツイッター https://twitter.com/honnohayashi
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1866年5月17日に生まれたのは、エリック・サティ(1866-1925)です。
フランス、ノルマンディーの港町オンフルールで生まれ、10歳の時に教会のオルガン奏者の弟子からピアノを教わります。
1878年にパリへ行き、翌年パリ音楽院へ入学しますが、学校に通うよりもアンデルセンなどの作家たちの本を読んだり、グレゴリオ聖歌の研究をしたり、ゴシック芸術についての本を読むことなどに時間を費やしました。
1885年にはピアノ曲を作曲し、この作品は処女作にもかかわらず出版された時には「作品62」とされました。
その後も、歌曲やピアノ曲が作曲され、それらはサティの初期作品の中では重要なものと評価されており、その音楽技法は後のドビュッシーに影響を及ぼしたという見方もあります。
彼の音楽に見られるグレゴリオ聖歌のような旋律の動きや、連続する完全和音の響きはどことなく中世の音楽を連想させるものであり、また、ある作品では拍子記号や小節線が取り払われ、サティ独自の指示が書き込まれるなど、後期ロマン主義の概念を根底から覆す傾向が見られます。
サティは、それまでの沈黙や集中力を要求する伝統的な音楽に対して、くつろいで安らぐことのできる「家具の音楽」という概念を提唱しました。
虚飾を取り去った純粋で客観的な音楽作りを続けたサティは、ドビュッシーやラヴェルなどのフランスの作曲家のみならず、ジョン・ケージをはじめとするアメリカの新時代の作曲家たちに、音楽創作における新たな可能性を示唆した重要な存在であることは間違いありません。
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