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【動画紹介】♬4月23日生まれの作曲家♬

2022年12月16日 | 動画紹介
☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
 ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!

 1891年4月23日に生まれたのは、ロシアの作曲家セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953)です。
 ピアニストの母から音楽を教わり、5歳でピアノ曲を9歳でオペラを作曲しました。

 13歳でグラズノフの勧めでペテルブルグ音楽院に入り、本格的に作曲法やロシア音楽の特質について勉強します。
 1941年に音楽院を卒業し、ロンドンでディアギレフに会い、彼の舞踊団のためにバレエ音楽を作曲したり、オペラや交響曲、ピアノソナタやヴァイオリン協奏曲を完成させました。

 1917年2月に革命が始まるとプロコフィエフはペトログラードを離れ、日本で演奏会をした後アメリカへと渡ります。
 そして、32年に帰国するまでパリやイタリア、イギリスに演奏旅行をしたり、バレエ音楽や室内楽曲などを精力的に作りました。

 帰国後、革命と新しい社会制度によって、音楽を求めるようになった労働者の聴衆の姿を目の当たりにし、彼らの志向にこたえようと努め、ソヴェトの芸術界、放送や演劇、出版社と協力した活動が増えます。
 それまでは、リヒャルト・シュトラウスやスクリャービンの影響を受けていた作風が、ロシア的民族旋律を主体としたものや、ロシア人民の愛国主義を表現するようなものへと様変わりしました。

 プロコフィエフの作品は、概ね聴衆に好意的に受け入れられ、上演が大絶賛されることも珍しくありませんでしたが、ソヴェト共産党中央委員会においては、形式主義的傾向にあると批判を受け、プロコフィエフ自身もこの批判を受け入れ、「聴衆にとって直ちに理解でき、しかも独創的」な音楽を実現しようと腐心しました。

 晩年は病床につきながらも創作を続け、奇しくもスターリンと同じ日に亡くなります。
 彼の未完成の作品は、ソヴェトの作曲家たちの手で完成されました。

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♬4月23日生まれの作曲家♬


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