☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!
1810年6月8日に生まれたのは、ローベルト・シューマン(1810-1856)です。
出版業をしていた父の影響で子供の頃から文学に親しみ、音楽の才能も7歳頃から目立つようになります。
ピアノのほかにチェロやフルートなども試み、12歳の時にはオラトリオを自己流で作曲しました。
しかし、ローベルトの音楽的才能を積極的に支持していた父が亡くなると、将来のことを心配した母親の願いでローベルトは大学で法律を勉強することになります。
その後、やはりピアニストになる夢を諦められず、最終的にピアノ教師ヴィークの家に住み込みの内弟子としてピアノ修業に専心します。
ところが、程なくしてローベルトの指は原因不明の麻痺に襲われるようになり、やがて完全に硬くなり、動かなくなってしまいました。
そのようなアクシデントに見舞われた後も、彼は音楽への情熱を失うことなく、音楽雑誌を創刊して編集や執筆をする他、作曲活動にも打ち込み、ピアノ曲、歌曲、室内楽、管弦楽、合唱、オラトリオなど、数多くの作品を残しました。
ローベルトは、20代の頃からメランコリーの発作に襲われることがあり、40歳を過ぎる頃には幻聴や幻覚に悩まされるようになり、仕事や日常生活を送れるような精神状態ではなくなってしまい、ある日唐突に自殺未遂をした後、精神病院に入院し、そのまま46歳の生涯を閉じました。
♬6月8日生まれの作曲家♬
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▼本の林の管理人ハヤシさんがお送りしています。
☆ツイッター https://twitter.com/honnohayashi
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1810年6月8日に生まれたのは、ローベルト・シューマン(1810-1856)です。
出版業をしていた父の影響で子供の頃から文学に親しみ、音楽の才能も7歳頃から目立つようになります。
ピアノのほかにチェロやフルートなども試み、12歳の時にはオラトリオを自己流で作曲しました。
しかし、ローベルトの音楽的才能を積極的に支持していた父が亡くなると、将来のことを心配した母親の願いでローベルトは大学で法律を勉強することになります。
その後、やはりピアニストになる夢を諦められず、最終的にピアノ教師ヴィークの家に住み込みの内弟子としてピアノ修業に専心します。
ところが、程なくしてローベルトの指は原因不明の麻痺に襲われるようになり、やがて完全に硬くなり、動かなくなってしまいました。
そのようなアクシデントに見舞われた後も、彼は音楽への情熱を失うことなく、音楽雑誌を創刊して編集や執筆をする他、作曲活動にも打ち込み、ピアノ曲、歌曲、室内楽、管弦楽、合唱、オラトリオなど、数多くの作品を残しました。
ローベルトは、20代の頃からメランコリーの発作に襲われることがあり、40歳を過ぎる頃には幻聴や幻覚に悩まされるようになり、仕事や日常生活を送れるような精神状態ではなくなってしまい、ある日唐突に自殺未遂をした後、精神病院に入院し、そのまま46歳の生涯を閉じました。
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