今日も朝から冷たい雨です。
この季節らしい寒さに、ホッとしているのは変かもしれませんね。
今夏の猛暑、地球沸騰化という言葉を忘れてしまいそうです。
『青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸』行ってきましたよ。
ご案内は、元“青函連絡船機関長“の葛西さん。
“ドラ“の説明から始まります。出港5分前に叩かれるということで、これから始まる
船内の案内に、童心に帰ったように心がドキドキしました。
グリーン席。
今では誰もが当たり前に使っているリクライニングシート、1969年建造の船ですから驚きました。
とても座り心地が良く、青森〜函館間を3時間50分で結んでいましたが、リラックスして船旅を楽しまれたと思います。
総括制御室と700KVAの主発電機。
ここは、葛西機関長の職場だそうで、たくさんのスイッチ、計器類が並んでいます。
当時のエピソードも交えて案内されていました。
出発まで、点灯しなければならないグリーンランプが点いてなかったり、レッドランプが点いていたりした場合、回路を追うそうです。A接点、B接点などの用語も出てきました。運行当時の苦労が想像できますね。
八甲田丸には主発電機が3台設置されています。この発電機、ディーゼルエンジンにより発電し船内の各装置に電源を送っていたそうです。
現在、メモリアルシップ八甲田丸の各電気設備は外部から電気をもらって動かしています。
2011年の震災時、青森県内がしばらく停電が続いたのですが、この時もしこれを使えば、給電できたのではとお話しされていました。
稼働させてみたいという気持ちが伝わってきました。
8機のディーゼルエンジン。
船を動かしていたのは大きなディーゼルエンジン。スクリュウに動力を伝えるのにオイルを調整していたことを説明。今では当たり前のオートマチック車がすでに当時採用されていたのですね。全速力で走行したり減速あるいは止まったり。
さらに可変ピッチスクリュウを採用することで、前進、後退も可能という事です。
線路扉と線路跡
ここは、船尾で可動橋を通じて車両が入ってくるとこです。
“DD16 31“が各車両を船内に牽引したり、あるいは船外にととても重要な役割をしたそうです。青函トンネル開通と同時に役目を終えたのです。
そして、大きな扉は貨車の積み込みの際に開かれます。それ以前の青函連絡船には設けられていませんでした。
ここで、葛西機関長は、昭和29年の「洞爺丸台風」を語りました。
当時は、この船尾扉がなかったため、船に海水が入り制御不能、函館湾七重浜沖で転覆・座礁し大惨事となった事を。そのことを教訓にこの扉が設けられたのだと。
船尾で今日の説明は終わりです。
他にも可変ピッチや可動橋など興味津々。
また、次の機会に!