最近、腹立たしい事が多い。
その一つが、兵庫県知事、斎藤氏の再選です。
巷では、再選が成ったのは、マスコミ報道が嫌われ、SNS時代の到来が勝利を呼んだと言われている。
また若い人が、政治参加に興味を持ったのは良い事だとも指摘されている。
一方、斎藤知事を批判する人々には、好き嫌いで判断する古い愚かな人々との烙印が押されているようだ。
私は、二つの点で、現状が嘆かわしいと思っている。
一つは、斎藤知事を支持する人々が、煽情され易い、底の浅い人々であり、各地で汚職議員が再選され続ける状況と何ら変わらない、日本の政治文化の一端を表しているだけだと言うことです。
今一つは、斎藤知事が、公のトップとしては不適格だと言うことです。
**説明します**
斎藤知事の問題点
A. 百条委員会の答弁で、道義的責任を聞かれ、平然と「道義的責任について、分からない」と答えていた。
一般の人は、答えに窮するかもしれないが、市民に奉仕すべきトップが、道義的責任の意味を答えられない。これは、他の報道の情報も総合すると、彼は「市民の権利とか自治体の役割」を真剣に考えていない事を示している。このことが「パワハラやおねだり」に繋がるのだろう。このような彼れであれば、予算カットで辣腕を振るって実績数を誇っても、市民の為にはならないだろう。
B. 彼のパワハラとおねだり行為は、自己中過ぎる。
残念な事だが、急成長する企業にパワハラ社長(ワンマン)が多くいるのは常識でしょう。元明石市長も、パワハラを追求された。確かに、不適切な作業を注意するのに、激昂してしまう事はあるだろう(無くすべきだが)。しかし、斎藤氏の行為は、おねだり行為を含めると、実に独りよがりの本性が現れている。倒産させる二代目ワンマン社長の最悪パターンです。少なくと県庁は民間企業では無い、市民が選べるのなら、もっとまともな人格の持ち主を選ぶべきです。パワハラが事実かは、数が多いアンケート数から言って間違いないだろう。
C. 内部告発者への対応が社会への最も危険な行為であり、このような彼をトップにすることは絶対避けるべきです。
日本の政治・社会文化で、非常に遅れている部分が「内部告発者」への対応です。日本人は世界中で、最も社会への帰属意識が高い民族です。これが民主主義の進展を遅らせている要因の一つだと考えます。日本では、これまでトップや権力を持っているものへの不正の告発において、告発者はほとんど虐げられて来た。法律も改正されて来ているのですが、まだ良くなっていません。このことは日本の社会や組織が腐敗しても、これを内部から是正する手段が無いことを意味します。まして外部からの指摘に対しては、社会や組織が一丸となって潰しにかかる。
結論 彼は知事としては不適格です。
斎藤氏は若いにも関わらず、自己中心的で、古い社会通念と官僚的意識に染まった人物だと言えます。今回の一連の騒動を通して感じられるのは、彼には罪の意識が希薄だと言うことです。
他の問題点
・ マスコミとSNSについて
これからはSNSの時代で、従来のマスコミは腐敗し、デマを流しており、信用できないと言われている。確かに日本の報道の自由度の劣悪さは、先進国の場外にまで落ち込んだ。だが、当然ながらSNSは、それを上回る偏向を生み出す可能性をいつでも孕んでいる。一方マスコミには、商品のブランドと同じ価値(品質保証)である記事の正確さを、年々積み上げて来た。この違いは重要です。このことを市民が噛み締めないと、いつか恐ろしい結果を招くでしょう、トランプやヒトラーの誕生に比肩されるような。
・ 選挙制度は、最近の脱法的で、煽情的な選挙活動を反省して、改正していく必要がある。ただ米国のように、あらゆる規制を緩和する方向は避けるべきだ。
・ 一つ気になる現象がある。
斎藤知事の再選を批判する人々を、攻撃するコメンテーターらに故安倍氏を支持した人が多い事です。リベラルは斎藤批判、保守は斎藤支持に見えるが、この理由が分からない。今回、斎藤知事を選んだのは若い人が多いと言われているが。
最初に斎藤を知事に推したのは、自民党と維新であった。この議員達は、4年近くも、斎藤知事の問題に蓋をしておき、暴露記事が切っ掛けで、あたふたと辞任に追い込んだ。実に彼ら自身で杜撰な議員であり、役立たずを表明している。この嫌な雰囲気を払拭する為に、自民党や維新等を間接的に擁護しているのだろうか? 不思議だ!
どちらにしても、実につまらない選挙であり、日本の現状と未来を象徴しているようだ。