アクアコンパス3 続編

アクアコンパス3が容量一杯になったので、こちらで続きを開始します。

働くとは、何か 3

2024-12-30 08:36:58 | 社会

 

今回は、日本人は古代から如何に働いて来たかを振り返ります。

 奈良時代、平城京の天皇が倭の国を津々浦々まで支配していた。列島の5百万人ほどの農民は、土地を与えられた見返りに、数百人の天皇と貴族の為に、身を粉にして働いた。農民は国と地方から二重に、税として収穫した稲や布、さらに労役と兵役を課せられた。自身の小さな田畑からの収穫だけでは自給出来ず、他でも働き、かつ税を払わなけらばならなかった。また洪水や旱魃が起これば、彼らは生きることが難しかった。税はほとんど猶予されなかったから、座して死ぬを待つか、逃げるしか道はなかった。

 

 平安時代になると私有が認められ、裕福な者が貧農の借金を方に田畑を取得、拡大させた。彼らはその土地を天皇家、摂関家、大寺社に寄進した形にし、それら最高位のお墨付きを背景に、国と地方に支払う税を減らし、農民を自由に酷使した。最高位の人々は、何もせずに潤うので、あるがままに任せた。こうして巨大な荘園が各地に広がっていき、農民はさらに喘ぐことになった。

 鎌倉幕府、室町幕府、応仁の乱へと天皇から将軍支配の時代に変わった。しかし頻発する戦乱により、農民は破壊と殺戮に苛まれた。農業技術が発展し、一部には灌漑も進んだが、収穫量が上がれば税が増えただけだった。発展し始めた商業からも税が徴収された。

 

 戦国時代になると人々に新しい動きが生まれた。国の権力層が混乱するに連れ、農民や地侍らによる自治が村から村同士、さらに小国へと広がった。これは惣一揆と呼ばれた。彼らは、皆で拠出した資金を使い、また全員の武力蜂起や農作放棄を盾に中央の公家や守護大名、大寺社に歎願や抗議を行い、要求をしばしば通す事に成功した。しかし戦国時代が終わる頃には、全国統一を図る覇者が彼らを粉砕した。

やがて平和が続く江戸時代になれば、庶民は楽になったのだろうか? 
 2400万人の農民は収穫の40%以上の年貢と労役が課せられ土地に縛られた。年貢は豊臣時代の石高2/3よりは減っていた。この年貢は180万の武士が消費し、飢饉時の放出以外ほとんど農民への見返りはなかった。しかも武士は一握りの将軍や大名の生活を支える役目に過ぎなかった。

 結局、江戸時代が終わる迄の1200年近く、日本の民は0.01%ほどの支配者(将軍と大名)に労働の5~7割を税として貢、ほとんど還元されない生活を続けていた。
皆さんは、この状況と今との違いが分かりますか?

 一方、江戸時代の半ばまでに、英国では貴族が国王の権力乱用を制限し、やや遅れてフランスでは市民革命をが起き、国王を断罪した。英仏米の市民は自由獲得に動き始めていた。

次回に続きます。

 

 

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ワールドクルーズ 4 世界の料理とレストラン 後半

2024-12-29 06:25:15 | 旅行
 今回は、前回に続いてワールドクルーズで訪れた海外のレストランと料理を紹介します。



「オレンジ線で示す範囲、赤丸の寄港地での食事」
二つの矢印、エクアドルのマンタからイタリアのサボナの間。


「熱帯ジャングル公園内のロッジ」
ツアーで行きました。
小雨の中、ジャングルを散策後の軽食でした。


見たことのない料理で、不味くはなかった。



「パナマの先住民の村」
パナマ運河の港コロンから、ツアーバスに乗り、さらにジャングルの川をカヌーで遡った。
ダンスを見る前に、昼食が出た。
魚のフライ、果物など、素朴で美味かった。






「コスタリカ、港プエルト・リモンにある中華料理店」
フリーで港に近い大通りを散策中に入った。


 
料理の量が多くて驚いた。
味は日本人に合うものだった。



「メキシコ、ユカタン半島にある海洋レジャーパークのレストラン」
ツアーで来て、半日過ごし、昼食をとった。


ビュッフェ形式、豊富な種類に驚いた。
あるゆる人種の客がいたが中国人が目に付いた。



「ニューヨークのラーメン店」
フリーで日本食レストランが多い通りを目指した。
探し回ったが日本店は少なく、この店に入った。
店は日本の味噌ラーメンのチェーン店で、店員は日本人だった。
コロナで日本店が多く廃業し、中国人に買われ、業態が変わった。






「ポルトガル、港町ポンタ・デルガーターのレストラン」
この港町は大きいのでレストランが多い。
ツアーの後、ガイドにお薦めのレストランを聞いて、昼食でここに入った。


魚料理を注文した。
蛸料理は値段の割に蛸が少なく、ここでも蛸は貴重になりつつあるのだろうか。



「ポンタ・デルガーターのクルーズ船着岸地に近い寿司店」
クルーズ船内にも寿司店はあるのだが、外で初めて食べた。
フリーで散策後、夕食に入った。





味は普通で、寿司以外にもビュッフェ形式で食べられた。
経営は中国人の家族経営で、安いのには驚いた。





「ポルトガル、リスボンのレストラン」
ここはブイヤベース専門店で、行列が出来る店でした。
本当に美味しかったので、お薦めです。


「レストラン名はUmaです」
赤丸がレストラン、黄線が散策ルートで、右がロシオ広場、左がコメルシオ広場です。


「ブイヤベース」




「モロッコ、タンジールのレストラン」
フリーで、ガイドにクスクス料理のお薦め店迄案内してもらった。
ガイドが注文してくれて、デザートまで付いているフルコースでした。
クスクス料理は北アフリカ発祥で、クスクス(蒸した小麦粉)に肉と野菜の煮込みをかけて食べる料理のようです。
安価だった。



「タンジールのレストラン、店名も位置も定かではありません」
右がクルーズ船の停泊地で、矢印が凡その位置です。
非常に狭い通路が入り組んでおり、店はたくさんあります。
食べ方がよくわからなかったが、多彩な料理で楽しめた。
好き嫌いがある人には向いていないかも。






「英領ジブラルタルのレストラン」
フリーで、メインの通りを歩き、テラス席で昼食を食べた。
イギリス料理のフィッシュエンドチップスとスペインオムレツ。



食べてる途中で撮影したので申し訳けありません。




「イタリア、サボナのレストランOsteria Da Oreste」
見た目は冴えない家族経営の小さな店ですが、味はお薦めです。
フリーで昼食に入ったのですが、繫華街から外れているにも関わらず、
昼食時はお客で満杯になりました。
トリップアドバイザー2017年のエクストリームに選出されていた。



「レストランOsteria Da Oresteの位置」
赤丸がレストランで、黄線がクルーズ船からの徒歩ル―トです。
途中、古い塔が立っている。





クルーズ中、凡そ70日間は陸上で昼食、稀に夕食も食べることがありました。
各大陸、島々、大都会、小さな港町など、各地各様の食事やスナックを食べるのは楽しかった。

これで世界各地のレストランと料理の紹介を終わります。











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働くとは、何か 2

2024-12-28 07:35:29 | 社会
今回は、世界の「働く姿」を見ます。


 アフリカ、カラハリ砂漠に暮らす先住民の男性は、時に動物を追って数日間の狩りの旅に出ることがあった。女性は採集が中心で、村の周辺で植物を採集したり、木の棒で根茎を掘り起こしたりした。しかし、現代人のように四六時中働きはしない。彼らは日長、談話を楽しんでいる。


 コンゴのジャングルに暮らすピグミー族のような狩猟民族において、多くの場合、獲物は仲間に分配される。狩りの中心人物が良い部分を取ることにはなるが。これはチンパンジーの群れでも同じで、一丸となって樹上のサルを飼った後はボスが良い所を取り、残りは分ける。


 ニューギニア高地の先住民の多くは畑作を行っていた。それぞれの家族が畑を持ち、作物づくりに精を出す。だが畑は彼らの私有地ではなく村の共有で、またその広さに差は無い。


 上記、先住民の暮らしぶりは、ジャングルや砂漠の僻地で、文明化される百年以上前に見られた。これら生活は、おそらく狩猟生活で数十万年前から、農耕生活は1万年前から継続していたでしょう。そこには必要な物を得る手段が労働であり、かなり平等と協働が維持されていた。そして、それ以外の時間は、のんびり暮らしていたと考えられる。






 紀元前5世紀頃、労働について明確なメッセージを遺した人物がいました。彼は仏教の創始者釈迦で、当時、王侯やバラモンが支配するインドの階級社会を否定し、人々に救いをもたらす宗教改革を目指した。彼は引き連れている弟子の集団に多くの戒律を定めたが、その中で労働を禁じている。この意図を私なりに解釈すると、人が労働による報酬(物資)を求めるあまり、強欲になってしまうことを諫めたかったからでしょう。釈迦は弟子に乞食(物を乞う)を勧めた。これを現代に照らしてみれば、金銭的な豊かさを求めるあまり、家族や自分の暮らしを犠牲にする愚を諫めているように取れる。






翻って日本人の働き方はどうだろうか? 豊かになったのだろうか?
 かつて日本人は働きバチと海外から揶揄されたことがあった。それは、1960年代の高度経済成長を担った世代、帰還兵と団塊の世代でした。それにも関わらず各国と比べると、現在も先進国の中で、最も長時間働き、その割に所得が低い国に列している。昔も今も、変わらない。


次回に続きます。








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ワールドクルーズ 3 世界の料理とレストラン

2024-12-26 07:46:40 | 旅行

 

これから2回に分けて、ワールドクルーズで訪れた海外のレストランと料理を紹介します。

印象に残ったものだけです。

クルーズ船内のレストランと料理は別に紹介します。

私は食通ではなく、その土地の名物とか日頃食べれないものを求めました。

そうは言っても、ツアーバスで行く場合はレストランや料理に選択の余地はありません。

 

「オレンジ線で示す範囲、赤丸の寄港地での食事」

二つの矢印、ローマからペールのリマの間。

 

「ローマのピザ・レストラン」

ツアーで行って、広場の自由時間で入った。

ピザが大きくて驚いた。

 

「モルディブ、リゾートホテルのレストラン」

夕食は写真のようにビュッフェスタイルでした。

モルディブは、数十の環礁島がリング状に連なった大環礁が十個ほどもあり、リゾートアイランドが200以上もある観光中心の国です。

一つの島は概ね一つのリゾートホテルによって運営されている。

その内の一つフーシー島に一泊した。

 

 

「マダガスカル、ノシべ島のレストラン」

 

ツアーで、海岸近くにある木造のみすぼらしい外観の料理店に昼食で入った。

マダガスカルはワールドクルーズ寄港地中、もっとも低所得の国だったので、

どんな料理が出るか不安でしたが、素晴らしいフランス料理でした。

かつてフランス領だったことから、フランス人はこの島に海洋レジャーでよく訪れるようです。

 

 

 

「南アフリカ、ケープタウンのレストラン」

 

ここウォーターフロントは、ショッピング、レストラン、エンターテインメントがひしめく巨大なエリアで、人が溢れ、新しく、賑やかでした。

フリーの時に、昼食で訪れた。

テーブル・マウンテンを背景に、テラス席でアフリカの風を受けながらシーフドを食べました。

見栄えも含め、素晴らしかった。

 

 

 

「ブラジル、リオデジャネイロの老舗Confeitaria Colombo」

繫華街にあり、重厚な造りで植民地時代の繁栄を偲ばせる雰囲気が良かった。

名物のスナックとコヒーを頂いたが、スナックはそれほど美味しくなかった。

 

 

 

「アルゼンチン、ウシャイアのレストラン」

ここは繫華街のほぼ東端にあり、大きい土産物店の3階にあります。

レストランに行くには、1階土産物店の奥にある写真のような監獄をイメージしたエレベーターに乗らなければならない。

迷っていると店員が声を掛けてくれた。

この土産物店には、幾つもの等身大のロー人形でウシャイア誕生史を再現している博物館がある。

これが目的で、フリーの時に、夕食で訪れた。

 

「三階のレストラン」

 

窓から停泊しているクルーズ船が見えた。

店内では三組の大人数のグループが、家族の誕生会らしいのをやっていた。

観光客もいたが地元に人気があるようでした。

海鮮と肉料理を頼んだ。

料理は、ボリューム満点で、あっさり味が多かった。

 

「ウシャイアの別の店の看板」

この港はカニ料理も名物なのですが、私の入ったレストランにはカニ料理が無かった。

がっかり!

 

「チリ、Puerto Chacabucoのホール」

ここはツアーで訪れたホールで、民俗舞踊を見ながら軽食をいただいた。

提供されたジュースやワイン片手にチーズやパイを食べました。

 

 

「チリ、アンデス高地のPutre村のレストラン」

ここは高山の谷、標高3500mの寒村で、わずかな畑と家畜(鶏とアルパカ等)しかなく、他の村からは離れている。

期待して居なかったが、素朴で美味しかった。

 

ツアーで行くと、食事の時間に同行者と会話が弾むことが多々あった。

この時、私はドイツ語案内のツアーバスに乗ったので、多くはドイツ人でした。

日本に親しみを持つ人もいて、多くは私より英語が話せるので、楽しく過ごした。

大事な連絡事項、集合等については英語で話してくれる、観光案内は期待出来ないが。

初めに、英語しか出来ない(笑い)と伝えておくと良い。

 

 

 

「ペール、首都リマのレストラン」

 

ここはツアーバスで行った都心部にあるレストランでした。

ここでもドイツ語のバスで、多くはドイツ人でした。

 

「名物の飲み物」

同じレストランで薦められた。不思議な味でした、名前は忘れた。

 

旅の愉しみの一つは、見知らぬ街を散策し、レストランや屋台で食事をすることです。

メニューは見ても分からないし、実物を見ても分からない、味の予想は不可能です。

しかし、食べた半数以上で、驚きと美味しさに巡り会える。

食事中の会話も、日本人観光ツアーとは異なり、興味をそそるものがある。

 

次回は後半になります。

 

 

 

 

 

 

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働くとは、何か 1.

2024-12-24 11:09:24 | 社会

これから「人が働く」ことについて、様々側面から考察したいと思います。

 

切っ掛けは1冊の本でした。

それは2024年刊の、元国鉄職員が書いた村山良三著「JR冥界ドキュメント」でした。

そこには国鉄の民営・分社化の過程で起きた、凄惨な虐めが書かれていた。

読んでいて国鉄当局への憤りを感じ、元組合員労働者の悲哀を知った。

しかし、そこには改革の必然性と身勝手な組合活動には触れられていなかった。

 

 

一方、私は定年退職から15年以上が経つが、従業員200名ほどの経営姿勢が真逆の二つの金属加工メーカーに技術者として働いた。

それとは別に、国定公園と地方自治体の教育課、実業高校の一部門に関わった。

私は二つの民間会社と三つの公的機関を通じて「働く現場」をつぶさに見て来た。

 

また日本の高度経済成長と、その頂点からまさに衰退せんとする今を体験している。

それで居ても立っても居られず、北欧、中国、カナダ、米国を見て来た。

そこには日本と掛け離れた人生観と社会観があり、私は日本の孤立化と停滞感を強く意識するようになった。

さらにワールドクルーズに参加したことで、その想いはより強くなった。

 

様々な問題が日本と世界を覆っているように思えるが、一つの切り口は「人が働く」ことを見直すことだと思う。

これから「働くこと」「国民の大半を占める労働者」「労働者の立場」について、

労働に纏わる事を日本と世界の社会・経済・歴史、また私の経験を通じて見て行きます。

 

私は、多くの先進国における労働者の現状の立場に違和感を覚えています。

確かに地球規模の経済発展を受けて、私達の生活水準は向上し、暮らし向きは良くなっている。

しかし、多くの国で右翼化・独裁化が進行し、トランプ現象を生み出したように社会の分断化が進んでいる。

これらの背景の一つに、労働問題があるように思える。

 

おそらく、この状況を放置しておくと、経済と社会はいずれ取返しのつかない状況に陥るだろう。

今は、おぼろげにしか見えないが、糸口が見つかるような気もする。

なぜなら、今の状況はかつて社会と経済の潮流が反転し始めたからです。

その反転は、それほど古くはなく半世紀ほど前に起こったからだ。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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ワールドクルーズ 2 ワールドクルーズを選んだ理由

2024-12-22 09:59:49 | 旅行


 今回は、ワールドクルーズを選んだ理由を紹介します。
先ず、2023年のコスタクルーズを選んだ理由について書きます。
次いで、クルーズのメリット、デメリット、注意点を述べます。
皆さんが素晴らしい世界一周クルーズを利用する参考になれば幸いです。

 私はワールドクルーズの前、1度だけ、カナリア諸島を巡るクルーズに参加しました。
これは関空発着のパックツアーで、ジェノバ発着の12日間クルーズでした。
地中海から大西洋まで行き、終日航海は4日だけでした。
観光地は素晴らしく、体は楽で良かったのですが、船内ではあまり楽しめなかった。
また陸での宿泊が無いため、朝夕のホテル周辺の散策が出来ないのも物足りなかった。

 しかし、私が70代半ばになって世界を回り切れるか不安になり、思い切って世界一周に挑みました。
けっして贅沢な旅を望んだわけではありません。

 仮に、関空発着の最も安いパックツアーで世界各地を巡るとして一人分見積ります。
南米8日間 80万円、南部アフリカ5日間 40万円、カリブ海クルーズ10日間 80万円、
東地中海クルーズ11日間 70万円。
これで合計270万円、さらに追加費用が合計で約50万円として総額320万円になります。

 


「コスタのワールドクルーズ、4つの茶色の円は個別の旅行を示す」

 この額は私がワールドクルーズで一切合切支払った額とほぼ同じです。
私の時より円安が進んでいるので、10%ほど上記見積額は高くなっている。
私のワールドクルーズなら35ヵ国、計128日間、68日間の寄港地観光を楽しめましたが、上記組合せ旅行なら約12ヵ国、往復フライトを除いた合計観光日数は25日間ぐらいでしょう。
明らかに、ワールドクルーズのコストパフォーマンスは格段に優れています。

 


「MSCのワールドクルーズ」

 それでは他のワールドクルーズと比較してみましょう。
結論は、ほぼ最安値で寄港日が最も多かく、寄港地に満足できたのはコスタだけでした。


MSCのワールドクルーズはバルセロナ発着の120日間で、クルーズ代金はコスタよりすこし安く、ワールドクルーズでは最安値かもしれません(同じ窓無し内側キャビンで)。
このコースは世界一周にふさわしいのですが、寄港日数53日間とすこし少なく、ギリシャ、シチリア、エルサレムに寄港しないのが私にとってマイナスでした。
海外発着のワールドクルーズの多くは、MSCと似たコースになり、コスタとMSCが最安圏にあると思います。
現在のコスタは、MSCと似たワールドクルーズのコースを取っています。

 


「ピースボートのワールドクルーズ」

 日本発着のピースボートは、すべて日本語対応、年3種類のワールドクルーズがあり、利用のハードルが低いでしょう。
例えば、2025年12月の南太平洋・南米・アフリカコースを取り上げます。
107日間のクルーズなのですが、寄港地24ヶ所、寄港日26日間と観光出来る日数が上述のクルーズに比べ半数以下になっています。
総支出金額はわかりませんが、私の選択支にはならなかった。

 結局、寄港地とコストから、海外発着のコスタ・ワールドクルーズを選んだ。


ワールドクルーズのメリットを挙げます。
1.豪華な食事付き。
 三食(レストランで自由に注文、ビュッフェスタイルも可)、加えてデザートや果物も食べ放題。場所と時間帯等の制約有り。
2.ワールドクルーズには、レストランとビュッフェでのアルコール飲み放題が付きます。
場所と酒類に制限有。
3.船上で毎夜の無料ショーと様々なイベントが数多く行われる。
主に日中はクイズ、クラフト、エクササイズ、ゲーム等でほぼ時間が埋まり、夜はダンスや演奏があります。
4.同じキャビンで過ごすので、荷物のパッキングや移動は一切不要、洗濯やシャワー等で戸惑うことも無い。
5.世界中、各大陸、各国の自然と街並みを網羅的に楽しめ、自由に設定出来る。
 不便なマダガスカルのノシべ島やアルゼンチンのウシュアイアなどにも行くことが出来る。代表的な各地の珊瑚礁や各大陸の民俗舞踊を比較して楽しむ事が出来る。また現地での買物やレストランでの食事もわくわく感がある。寄港地のエックスカーションは自由に選べるので、ツアーバスに乗るのもよし、自由に港町を散策するのもよし。


デメリットも挙げます。先ずは一般的な事
1.クルーズでは、支出額で待遇が決まり、肩身が狭くなることがあります。
 私は安くするために内側窓無しキャビンでしたので優雅な船旅とは行きませんが、特に困ることは有りませんでした。バルコニーを選んでも料理は同じです。多くの方は、1日中の飲み放題パッケージを購入しており、様々なバーやラウンジで、同国の仲間等と歓談しています。
2.ほとんどの寄港地のエックスカーションは港から日帰りで行ける所に制限される。
 マチュピッチュ等、内陸部に行きたい場合は、現地のホテル泊りが必要で、次の寄港地で乗船するようになり、かなり高額になり、選択肢も少ない。
3.ビザ取得や入国手続き、準備がかなり煩雑。
 私の場合、コロナがまだ終息していなかった事と、訪問国に発展途上国が多かったので、言語の問題だけで無く、大使館も分かり難かった。また10数か国以上で、事前の必要な予防注射と入国手続きの仕方がなかなか分からなかった。結果的に出発の2ヵ月前くらいから、コロナが終息し始め、楽になった。
4.医療に少し不安がある。
 私は、途中でコロナに罹り、5日間キャビン内の隔離になった。この時、やはり英語が流暢に出来ないので焦ったが、なんとか伝えることが出来て問題はなかった。妻が元気なので助かった。医者と薬は一応容易されているが、歯科や外科は対応出来ないだろう。持病対策と医療付き旅行保険加入は絶対必要です。

私達のように、添乗員なしの二人だけで、海外発着クルーズ乗船を選んだ場合のデメリット

1.片言の英会話は必要です。
 私ら夫婦は、片言の英語が出来るだけだった。いざ乗船してみると、5千人近くの乗客と乗員に日本人はいなかった。数人の東南アジア出身の乗員が片言の日本語を話せたので少し気が楽になったが、結局、船内、税関、観光地での説明や対応は自分の英会話力が頼りで、船内の書類にはGoogle翻訳が必須です。

2.日本人がいないので孤立し易い。
 私の場合、理由が分からないのですが、イタリア人のあるグループから嫌がらせを受けた。実害はなかった。この船はイタリア人が圧倒的に多く、後は他のヨーロッパ人になる。北欧やドイツ、米国から来た人は裕福な人が多くマナーは良いが、イタリア人にはマナーの悪い人がたまにいる。各国の国民性の違いがあり、特にツアー等で戸惑うこともあるが、それも旅の楽しみになった。


ワールドクルーズで、予想外の素晴らしい経験をすることになりました。

 それは各国の人と友達になれた事でした。船上で長く暮らしていると、船内イベントやツアーで顔なじみになり、また日本人に好感を持っている人もいるので、片言の英語で多くの人と話すようになった。特に妻が、海外の人と積極的に交流したので、私もつられた次第です。コスタのワールドクルーズに参加する人は、イタリア人以外、東アジア人も含めて、英語を喋る人が多い。クルーズを終えてもまだ交友が続き、今年も2組のクルーズ仲間と日本で会った。また私は今年の米国旅行で、クルーズ仲間の家を訪問した。積極的に関われば、世界が広がりました。

 

 

 

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京都を歩く 1 修学院離宮

2024-12-21 13:14:30 | 旅行

これから京都の歴史を訪ねて歩いたスポットを幾つか紹介します。

 

今回は京都の修学院離宮を紹介します。

2024年12月14日、午後、小雨の中、拝観させて頂きました。

人数が制限され、時間毎の予約が必要ですが、無料で80分間の案内が付いていました。

紅葉は最盛期を過ぎていましたが、十分楽しめました。

この離宮は江戸時代、最初に宮廷文化を復活させた後水尾天皇が築いたものです。

これは代表的な宮廷庭園ですが、他とは趣が異なるようです。

 

「修学院離宮は中心部から比叡山の登山口に至る途中にある、上が北」

この修学院離宮は、有名な宮廷庭園である桂離宮、仙洞御所、京都御所と違い、辺鄙な山裾の高台に造られた。

しかも当時から畑に囲まれた離宮だったはずです。

最も有名な桂離宮は、後水尾天皇の1代前の天皇の弟が築き、古くは藤原道長の別邸があった桂川沿いにある。

後水尾天皇もここに訪れていた。

 

「修学院離宮の衛星写真、上が東」

下に広がる住宅街の上限に離宮の入り口があり、さらに上側の森林までが離宮の範囲です。

離宮内には三つの離宮(御茶屋)があり、下中央、少し上の右側、さらに左上に別れている。

 

「修学院離宮の正式な案内図」

現在、上離宮の建物の幾つかは修復中でした。

案内の順路は赤の破線の通りです。

 

以下の写真は、ほぼ順路通りに並んでいます。

先ずは下離宮から

「寿月観」 ここは上皇が日帰り来られるところでした。

案内では、建物の中に入ってみることが出来ませんが、外から襖絵や欄間等が見られるようになっています。

すべて説明があります。

参加者が多いので、人が写らないように撮影するのは難しい。

参加者に、フランス人女性と白人夫婦がおられました。

 

 

これから下離宮を出て、中離宮に向かいます。

「下離宮を出た所、東側を望む」

晴れていれば、左側に比叡山が見えるはずです。

 

「上離宮に行く松並木の道」

 

ここからは中離宮になります。

「中門、新しく葺かれた屋根が美しい」

「この中離宮は、後水尾天皇の皇女の一人が、後に造られたものです」

「客殿の中を覗く」

 

ここからは上離宮です。

 

「隣雲亭前の広場から眺める」

晴れていれば鞍馬の方が見えます。

実に雄大な借景です。

 

「隣雲亭のすぐ右(東)にある雄滝」

滝は思ったより大きく、自然が生かされている。

 

「隣雲亭が左上に見える。前のせせらぎの左上流に雄滝がある」

後水尾上皇は、隣雲亭の縁側に座り、この滝の音を聞きながら、歌を色紙に書いたことだろう。

彼は生涯百以上の和歌を残し、さらに後水尾院御集で、1420余首の歌に注解を付し、歌壇を牽引した。

彼の歌風は、藤原道長の子供に始まる伝統(二条家流)を直伝で受け継いだものでした。

さらに立花や茶道、能に造詣が深く、江戸文化の隆盛に貢献した。

 

「浴龍池に浮かぶ島」

「浴龍池の奥の高台に隣雲亭が見える」

この池の傍にはいくつかの名所があるのですが、2ヵ所が修復中でした。

浴龍池は非常に浅い。

 

「西浜から大刈込越しに京都の中心部を見下ろす。」

畑の向こうに、御所や下賀茂神社の森が見える。

辺鄙な地にある離宮だと思っていたが、上皇が暮らす御所、さらに徳川家の二条城が見下ろせるにのには驚いた。

 

「隣雲亭を見上げる」

亭の下の斜面には、様々な木々が植えられ、刈り込まれている。

普通なら刈込用の低木を植えないだろう(地盤が軟弱なせいもあるらしい)。

私の知る限り、普通、日本庭園は四季を愛で、日本の名所や自然を凝縮した形で、再現している場合が多いと思う。

しかしこの上離宮は異なる。

上皇は、のびのびした風景、畑も含めて遠くに街並み山々が見晴らせる、この地を選んだのだろう。

かつて天皇家や公家の誰も、この地に別邸等を造らなかったこの地に。

 

後水尾上皇は、天皇の地位が衰退し続ける中にあって特異で目立つ存在でした。

徳川幕府が天下を治め始めると、天皇家と公家への締め付けが強くなった。

天皇家の所領は、鎌倉時代から徐々に減り始め、戦国時代末期になり幾らか任命権等の権限が復活していたが、

徳川家康から秀忠にかけて、天皇の所領は数万石まで減らされ、さらに天皇は政治に一切口出し出来ず、文芸に専念せよと命じられる始末でした。

遂には、徳川は外戚を狙って秀忠の娘を天皇の中宮に迎えるように圧力を掛ける。

後水尾天皇は、これまで、様々な徳川家の圧力に対して、数少ない抵抗手段である譲位を幾度もほのめかして来た。

結局は、娶ることになり、間に生まれた内親王(娘)が7歳になると、本当に譲位してしまった。

その後、長く院政を行い、多くの子供も造り、長生きした。

 

終わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ワールドクルーズ 1 大自然と絶景を味わう

2024-12-19 07:23:20 | 旅行

これから世界一周の船旅を連載で紹介します。

これは妻と私が2023年1月から5月まで、コスタ・デリチョーザに乗船した記録です。

ワールドクルーズには、たくさんの素晴らしい体験がありますが、

今回は、主にクルーズ船上から楽しめる絶景と寄港地で見ることができる大自然を40枚の写真で紹介します。

クルーズは128日間かけて大洋を航海し、35ヵ国を訪れ、68日間寄港していましたので、撮影した膨大な写真やビデオが残りました。

今回は、初回なのでそれらの中からエッセンスを味わって頂ければ幸いです。

今後、追々、様々な情報をお伝えします。

 

「2023年コスタ・デリチョーザのワールドクルーズの航路、国名では無く寄港地名が書かれています」

出発はイタリアのトリエステで、終着はベニス、時計方向、赤の矢印に沿って船は進みました。

赤線は赤道を示していますが、実はこのクルーズ航路には非常に優れた特徴があります。

多くのワールドクルーズは赤道に平行に、地球を東西に一周する航路が多い。

しかし、この航路は広大な太平洋を横断しない分、終日航海日が少なく、二つの大陸沿いに細かく寄港しながら、

北半球と南半球を巡ります。

また大自然(ジャングル、珊瑚礁、氷河)が残る地域と多くの発展途上国を訪問する点でも、私には魅力でした。

だがクルーズ客の中には、オーストラリア、南太平洋やアジア東部に行かないことに不満を持つ人もいました。

 

以下の写真は訪問順に並んでいます。

象徴的な光景を選んでいますので、訪問地の多くは割愛しています。

 

「クロアチアのドブロヴニク、夕陽が高い城壁を照らしている。下船して」 

出航の翌日に、最初に訪れた。

通常の空路とバスで巡るツアーでは城内の滞在時間は2時間ぐらいがだが、

このクルーズの場合は6時間あったので、十分堪能できた。

 

「イタリアのシチリア島のCatania、港の遠方、朝焼けに映えるエトナ山。船上から」

今回のクルーズで寄港したヨーロッパの都市を挙げておきます。

多くは古代から中世の面影を残しています。

Italy :Trieste, Dubrovnik, Catania, Naples, Savona, Civitavecchia(Rome) , Bari

France :  Marseilles(AIX EN PROVENCE)

Greece :  Katakolon(Olympia)

Cyprus :  Limassol

Portugal :   Azores(Ponta Delgada, Praia da Victoria), Lisbon

Montenegro : Kotor

英国海外領土 : Gibraltar

 

途中寄港した、キプロスとイスラエルは省いています。




「スエズ運河。船上から」
パナマ運河も通過しました。

「ヨルダンの茫漠とした乾燥した大地と高原」

ここは紅海の港アカバからツアーバスでペトラ遺跡に向かう途中の景色です。

 

「そそり立つ断崖を縫うように枯れ沢の道を行くと、奥に赤色のエル・カズネ (宝物殿)が見えて来た」

 

「紅海の西側の砂漠に沈む夕日、船上から」

途中寄港した中東のオーマン、インドのムンバイ、ゴアは省いています。

 

「モルディブのリゾートアイランドの一つに宿泊した。ビーチから」

今回、世界の珊瑚礁を見るのが目的の一つでした。

訪れてシュノーケリングを行った所を挙げておきます。

インド洋: Maldives、Seychelles、Mauritiusの各島の珊瑚礁で。
カリブ海: Honduras(RoatanのTHE FRENCH KEY BEACH)、最も透明度が高かった。Mexico(ユカタン半島の海洋公園Parque Xel-Há), ここは淡水が流れ込む河口で、サンゴは見なかったが魚は非常に多かった。

 

「Seychelles の本島Maheを観光ツアーバスで巡る。峠から見下ろす」

ここでもシュノーケリングを愉しみました。

途中寄港した、マダガスカル本島とNosy Be島,  レユニオンは省いています。

マダガスカルはジャングル、美しい海、カメレオン、キツネザルが見所です。

レユニオン島など、この地域の島々には、かつての移民や植民地の姿を見ることが出来ます。

 

「 Mauritiusの本島からILE AUX CERFSに渡海するツアーのボートより、本島を望む」

ここでもシュノーケリングを愉しみました。

 

「南アフリカの港Durbanから奥地のズールー族の村をツアーバスで訪ねる途中の景観」

今回のクルーズで、世界中のジャングルをマガがスカル、インド洋の島々、南アフリカ、中南米で見ることが出来ました。

 

「南アフリカの港Port Elizabethからツアーバスで行ったADDO ELEPHANT PARKから」

はじめてサファリを体験した。

 

「南アフリカのケープタウンからの海岸線を走る。バスから」

 

「クルーズ船から、出航して来たケープタウンを振り返る、テーブルマウンテンが見える」

 

「ナミビアの砂漠、ツアーバスで」

 

「大西洋に浮かぶ St. Helena島、ナポレオンが流された島」

正に絶海の孤島でした。

 

「クルーズ船から夜空に浮かぶ三日月を見る」

深夜、最上階のデッキに上がり、ライトの少ない所を選ぶと、様々な星座や星を見ることが出来ます。

日頃見ることが出来ない南十字星など。

 

「ブラジルのリオデジャネイロ、SUGARLOAF MOUNTAINの山頂からコルコバードのキリスト像を望む」

途中訪れた、ArgentinaのBuenos Aires、UruguayのMontevideoを省きます。


「アルゼンチンのPuerto Madryn港からツアーバスで、 自然保護区のPUNTA TOMBOに向かう途中の大草原」

 

「アルゼンチンのペンギンの自然保護区PUNTA TOMBOの遊歩道より」

ペンギンは海岸線だけでなく、むしろ奥の灌木の間にたくさんおり、私が訪れた時は、合計数万から数十万羽かもしれない。

季節によれば、広大な敷地内に200万羽のペンギンが見られるそうです。

 

「アルゼンチンのUshuaia、船上から」

ここは南アメリカ大陸最南端にあるマゼラン海峡を更に南下した所にあり、南極観光の拠点になっている。

海峡の小島にはペンギンやオットセイが生息している。

 

「Ushuaiaからツアーバスで来たフエゴ島国立公園」

原生林と一部氷河に覆われた山塊が極寒の風景を形作っている。

ウシュアイアの写真2枚はアルゼンチンとチリのパタゴニアになります。

パタゴニアとは凡そ北緯40度以南の南米を差し、これからの8枚は、チリパタゴニアの絶景を紹介します。

クルーズ船が1週間をかけて素晴らしい氷河、温帯雨林、多島海を進み、遠くに幾つもの火山が優美な姿を現します。

 

途中、マゼラン海峡の風が強くて、クルーズ船はチリのPunta Arenasに着岸することを諦め、次の目的地に向かうことになりました。

そのおかげで、下の氷河をゆっくり見ることが出来ました。

 

「氷河が海に落ちています。厚みは数十mあるでしょうか」

 

 

「切り立った氷河の峰々」

 

「チリのPuerto Chacabuco港からツアーバスで来た。豊かな森林と湖が心を和ませてくれます」

 

 

「多島海をクルーズ船は滑るように進む。雨がりの雲間から陽光が射した瞬間です」

 

「太古の時代には氷河に覆われていたはずの多島海を進む」

 

「独立峰の火山が見える。幾つも見えた」

 

「夕闇に包まれるパタゴニア」

 

 

「チリのPuerto Montt港からツアーバスで来た湖。遠くに火山が見える」

こここはパタゴニアの北限で、自然豊かで風光明媚なところです。

 

「船上から眺める夕陽」

128日間、ほとんど晴れていたので毎日見られたのですが、水平線に沈むだけでは無い、様々な背景に映える朝陽と夕陽を楽しみました。

世界一周してわかったのですが、海の色が異なったり、海藻が流れていたり、特に雲の形の違いには驚かされました。

 

途中訪れた、San Antonio港を省きます。ここらチリの首都SantiagoとVALPARAÍSO に行った。

 

「チリのArica港、船上から早朝の港を望む」

 

「チリのArica港からPutre村へツアーバスで向かう途中の景観」

ツアーバスは、アカタマ砂漠の北に位置するArica港から、砂漠を抜けてやがてアンデスの荒涼とした高地に入って行きます。

かつてアンデス高地の民が海岸の民と交易したルートを走ることになり、湧水の目印にした地上絵が砂山に点在しいます。

 

「Putre村は雪を被ったタアパカ火山帯の中腹部に抱かれるようにひっそりと佇む」

Putreは標高3500mのアンデスの高地にある村です。

この村はこの写真の下側にあり、アルパカがたくさん飼われています。

火山の標高は、5000~7000mにもなります。

 

途中訪れた、ペルーのCallao(首都リマ)とエクアドルのManta、パナマ運河とパナマのCristobal、コスタリカのPuerto Limonを省きます。

エクアドル、パナマ、コスタリカで熱帯ジャングルと動物達に会うことが出来ました。

 

「ホンジュラスのRoatan島のTHE FRENCH KEY BEACH。シュノーケリング中」

サンゴは少ないが身近に群れている魚が見え、透明度が高いので遠くまで見通せる。

 

途中観光した、メキシコのCozumel(遺跡とシュノーケリング)、米国フロリダのFort LauderdaleとPort Canaveralを省きます。



「ニューヨークのマンハッタンの朝」

途中観光した、米国のNewport(Providence)、ポルトガルの Azores諸島の二つの内の一つの島を省きます。

「ポルトガルのサン・ミゲル島のPonta Delgada港からツアーバスで訪れた崖の上より」

 

「ポルトガルのリスボンの夜明け。船上より」

途中観光した、モロッコのTangierは省きます。

 

「ジブラルタルの山頂の展望台より」

 

「朝霧に覆われたフランスのマルセイユ付近」

途中観光した、イタリアのサボナ、Civitavecchiaとローマを省きます。

 

「モンテネグロのKotorに着岸している船上から入り江に連なる他のクルーズ船を望む」

 

途中寄港した、イタリアのBariと最終帰港地のベニスを省きます。

 

これで130日に及ぶ、世界一周のダイジェストは終わりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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独裁を見分ける事の難しさ

2024-12-17 19:12:39 | 政治

1.はじめに

 スウェーデンのヨーテボリ大学に本拠を置く「民主主義の多様性」研究所は、ここ10年以上、世界で独裁化が進んでいると警鐘をならしている。

残念ながら私達日本は、狂気に満ちた独裁者に率いられた複数の国家に囲まれている。

私が不安なのは日本の国民が、これら周辺国が独裁国家なのか、剛腕な指導者が率いる国家に過ぎないのかを的確に見分けることが出来ているかです。

 

見分けるポイントは三つある。

  • 独裁とは何を指すのか?

 広辞苑では、独裁とは独断で物事を決める事。また、特定の個人・団体・階級が全権力を掌握して支配する事とあります。しかし現実世界では、一人の独裁者が目立つと言うよりは、選挙を通じた上で国会(与党議員団)が独裁的な振る舞いをしている場合が多い。

 

  • 独裁を見分ける方法はあるのか?

 国のトップの振る舞いから、彼が独裁者と判別出来れば良いのですが、これが出来ていない事は歴史が示しています。

独裁の特徴は、独裁者(組織)から多大な恩恵が与えられている限定された支援者が、独裁者を中心にした組織の存続を強力に図ることにあります。逆に言えば、恩恵を与えられのが国民の半数以上にのぼれば、独裁と言うよりは、ポピュリズムか民主主義と言えるでしょう。明らかに後者は独裁者にとって経済効率が悪い。

 独裁を見分けるポイントは、独裁者から支配層に、魅力的な恩恵が行き届いているかを知る事に尽きる。この恩恵(報酬、賄賂、口利き、権威等)は、通常、隠れて行われます。つまり独裁化が進んでいる社会は、腐敗が蔓延しています。日本のように議員が露骨に行っている国は先進国では珍しい。

 

  • 独裁はなぜ危険なのか?

 独裁がなぜ危険かと問われて、多くの方は直ぐ返答出来るでしょうか? 剛腕な経営者(ワンマン)が事業を発展させる事は多々あります。しかし、歴史的に独裁者とその組織は自分の末路が悲惨なものだと自覚しているので、徹底抗戦の過程で、国民を見捨てでも生き残ろうとします。なぜなら魅力ある独裁者の地位はいつも狙われているからです。独裁化の進行具合でその程度は変わりますが。

 

 

  •  日本について

 独裁者とは言えないが、腐敗した政治の一例を挙げます。かつて民主党の前原議員は在日外国人から34万円の献金を受けたことで辞任しました。これは外国人の献金が禁止されているからでした。ところが、現在の評価で年間数百億円近いを金額を10年以上、外国から極秘に提供してもらい、かつ催促していた首相が複数居たのです。明確のは岸と佐藤元首相です。彼らは兄弟であり、故安倍首相の祖父でもあります。米国政府(CIA)は自民党が優勢になるように資金援助と選挙工作を行っていたのです。また旧統一教会は、かつて自民党に当時60億円を提供し、選挙協力を行っていました。この腐れ縁が岸から安倍へと引き継がれていったのです。自民党の名誉の為に言うと、大平と三木元首相は、米国の資金援助を断ったようです。

 膨大な選挙資金を必要とする社会にあって、勝ち残って来た政党は議会の独裁化を拒否出来るでしょうか?抜けられない罠にハマったも同然で、金をかき集め、バラマキいて集票するようになるでしょう。

 

解説書の紹介

「秘密資金の戦後政党史: 米露公文書に刻まれた「依存」の系譜」 名越 健郎著、 新潮選書、2019/12/24発行

 ジャーナリストが、主に米国の公開文書の徹底調査から、戦後の日本政治の暗部を明らかにしています。

「戦後史の正体 「戦後再発見」双書1」孫崎 享 著、創元社、 2012/7/24発行

 元外務省・国際情報局長が、「米国からの圧力」を軸に、日本の戦後史を解説しています。

「CIA秘録 その誕生から今日まで 上・下」ティム ワイナー著、 文藝春秋、2008/11/12発行

 諜報機関を20年以上に亘り取材した調査報道記者が、CIAの姿を全て情報源を明らかにして書いた。

 

注意すべき事

 岸の経歴や安倍の振る舞いから、彼らが信用に足る人物で無い事は明々白々だったはずです。確かに実力や人気があり、大きな変革をやり遂げた事も事実です。しかし彼らの手段を選ばない行いは、民主主義とは相容れません。当然の事ながら、安倍氏の目指したものは、最大の支援者(経済界など)への恩恵にあったのです。これが続けば、腐敗と独裁化は進んでいたでしょう。国民は、この事に気付かなければなりません。これは今回の兵庫県知事選挙でも言えます。見てくれやイメージで知事を選ぶは愚の骨頂です。放置すれば、簡単に腐敗と独裁への泥沼へと逆戻りするでしょう。

 

 

  •  中国について

 私は、中国の歴史に惹かれ30年以上にわたり多く訪ね、また友人もいることもあり、独裁化を信じたくない気持が強かった。以前は、経済の発展に連れて民主主義へと向かうだろうと希望を持っていた。また、2019年10月の中国外縁部の旅行でも、私は悪い兆候を感じることはなかった。

 しかし現在、習近平がトップになってからは酷くなる一方で、希望は断たれたと考える。彼の政策は精神的なものに偏り、コロナ対応の厳格な都市封鎖が招いた倒産ラッシ、そして不動産バブルの崩壊を招いた。さらに問題は、香港の雨傘運動への強権対応や情報統制が益々進んいることです。結局、政策が拙く、不満が鬱積し始めているのに、それを強権で抑えようとしており、酷くなっている。マスコミや書籍の情報から察して、今の状況は習近平の独裁がかなり進行していると言える。

 

解説書の紹介

「中国は、いま 」 国分良成 編、 岩波書店、 2011/3/19発行

 著名な日本の学者と専門家による多岐にわたる中国分析、習近平登場前なのが残念です。

「習近平帝国の暗号 2035」 中澤 克二著、 日本経済新聞出版、2018/3/9発行

 新聞記者が、中国総局長として北京赴任の経験を通して書いた。

 

注意すべき事

 日本の右翼は以前から中国嫌いを牽引しているので、店頭に並ぶ人気の中国関連の本の多くは「中国を悪」と断じている。中々、中立的な立場で書かれている本を見つけるのは困難です。中国を正しく評価している稀な日本人コメンテーター(学者)がかつて一人いたのですが、香港の件で、中国側を擁護しているのを聞いて失望した。注意しなければならないのは、独裁国家から情報を入手しなければならない立場の人は、この国を悪く言えないのです。このような例は他にもあります。

 

  • ロシアについて

 プーチンを独裁者と見做している日本人はどのくらい居るのだろうか? それもかなり危険だと?

ロシアに詳しい作家の佐藤優や鈴木宗男議員は、プーチンを凶悪な独裁者だと見做していないようだ。そういえば、故安倍氏も同様だった。ほとんどの人は北朝鮮の金正恩を独裁者であり、習近平も同様だと答えるはずなのに、なぜだろう。両国は共産主義国だが、ロシアはゴルバチョフが共産主義を壊した後の共和制国家だからと考えているからか? 

 隣国だが、社会や政治の詳しい情報は伝わって来ない。しかし独裁国家かどうかは、社会が腐敗しているか、情報統制が進んでいるかでわかる。情報・言論統制が進んでいる事は日本のマスコミが伝えている。社会の腐敗状況は、普通の観光旅行ではわからないが、書籍や幾つかの情報から伺える。公務員に賄賂を渡さなけらばならないとか、ビジネスに権力者への口利きと賄賂(マージン)が不可欠だと言われている。

 彼が初めてトップになる時、彼はエリツインとの交代劇を手際よくこなした。この裏で、オリガルヒ(国営財産を奪取した人々)、KGB(ソ連国家保安委員会)とマフィアが暗躍していた。これを理想家のゴルバチョフらでは制御出来なかったが、冷酷な彼でこそ成し得た。さらに彼は強運に恵まれていた。彼は若い頃、経済先進国のドイツに派遣されたKGBだった。ついで帰国後はヨーロッパの玄関口であり、マフィアに牛耳られていた古巣のサンクトペテルブルグで出世の糸口を見つけることになった。彼が大統領になると、幸運なことに世界のオイル価格が上昇し、国家収入が潤い始めた。さらに彼は持前の残虐さと冷徹な思考力で、多民族国家の欠点をうまく取り繕う事が出来た。チェチェンの内紛への大規模な軍隊出動、チェチェンのテロ攻撃のでっち上げによるテロ殲滅、クリミア半島占拠などで彼の剛腕さが国民に絶賛された。またロシア正教会の総主教を取り込むなどを図った。

 彼の独裁者ぶりを垣間見る事件は後を絶たない。ウクライナ侵攻を非難するオルガリヒの不審死は20件ほどあるだろう。プーチン氏の料理人と呼ばれたプリゴジン氏もあっさり暗殺された。いずれも証拠は無いが、実に神が頃合いよく味方するものだ。

 

解説書の紹介

「プーチン ロシアを乗っ取ったKGBたち(上・下)」キャサリン・ベルトン著、日本経済新聞出版、2022/12/17発行

 ロイター通信の調査特派員が、モスクワ特派員の経験と徹底した調査で、プーチン独裁者誕生の背景から、現在までを詳細に解き明かしている。また、ヨーロッパやトランプ籠絡にも肉薄している。素晴らしい本です!!

「プーチンの世界 」フィオナ ヒル 共著、新潮社、2016/12/12発行

 プーチンの行動パターンや思想に広く迫ってはいるが、彼の現実の独裁的な行動の説明を避けている。特に彼を取り巻く暗黒面の社会背景(マフィア)や彼の非難されている悪行(暗殺、濡れ衣のテロ、侵攻)には、まったく触れていない。わざと語らないようだ。これは著者らが、プーチン主催のバルダイ会議の常連だからだろう。上述の本は読むべきだが、この本は役に立たない。

「ミトロヒン文書 KGB(ソ連)・工作の近現代史」山内 智恵子著 、ワニブックス、2020/8/27発行

 亡命KGBが、1918~1980年代前半のソ連情報機関の対外工作の記録を書き写した膨大な文書を下です。対外工作の凄さが伝わり、今も続いていることを予感させます。現在はさらに巨額の資金が使えるのですから。

 

注意すべき事

 私が見る所、日本にとって最も危険なのはロシアでしょう。それは独裁者が核保有国を牛耳っているからであり、彼の立場がヒトラーに益々似ているからです。ロシア社会が完全に独裁者の意のままに染まりつつあり、国民もプーチンも破局の袋小路に突き進んでいるように見える。ロシアはオイル価格が減少に転じれば、産業力が弱いので、経済は昔の状態に戻り、プーチンは飽きられるでしょう。プーチンは保身に走り、国民や世界の危険を顧みない賭けに出るかもしれません。それに比べ中国社会は、産業も人的な交流もまだ世界に開かれており、ロシアほど酷くないと考えています。

 けっして、見たくないからと言って、現実から逃避せず、凝視する姿勢が必要です。

 

 

  • ヒトラー時代のドイツについて

 ヒトラーは狂気の独裁者であり、世界を不幸に陥れた人物であることは、トランプや一部の極右以外は認めることでしょう。私が指摘したいことは、独裁者が初めから国や世界を不幸に陥れることを目指したかどうかは問題では無く、独裁が進み、それが裏目に出ると破局へと進むことが多々あると言うことです。国がファシズムや独裁へと進む場合、人々は民主主義を捨て去ってでも強権による統治を望むようになっています。そして初めは小さな動きでも、やがて雪ダルマが坂道を転がると巨大になり、遂にはぶつかり粉々になります。

 ヒトラーは、失敗したミュンヘン一揆後の潔い態度が人気を博し、やがて率いたナチ党が議会で多数を占めます。彼は首相になると、国会放火事件を共産党のせいにし、彼らを排除し全権委任を得ます。そして大統領の信任を得て総統に成り上がり、独裁を完成させ、3年後には隣国への侵攻を始めました。こうして第二次世界大戦は始まりました。

 彼は自分が成り上がる為には手段を選ばなかった。彼の勢力拡大に役立って来た突撃隊の粛清(116名の暗殺)、そして国会放火事件の当時の犯人はナチス政権下でのでっち上げだった。ヒトラーの親衛隊SSはヒトラーの意を汲んで壮絶な悪行(ユダヤ人虐殺など)を率先して行うようになりました。独裁やファシズムが進むと、ドイツだけでなく日本でも、多くの国民が意図的に国家への支持を表明し参加するようになりました。独裁には、巧みに国民を煽情し行動への参加を促す力があります。

 

解説書の紹介は省きます

色々、書籍はありますが、市井の人がどのようにナチスの体制に飲み込まれていたかを知って頂くことは重要だと思います。

またヒトラー政権誕生時から、危機意識を持ち、反対していた地下組織の存在や、数多くの人が狂気のヒトラー暗殺を企ては死んでいたことも知って頂きたい。残念ながら圧倒的多数の人は、時代に乗り遅れまいとして、片棒を担ぐことになった。

 

 

6.米国について

 次期大統領のトランプが独裁者かは判断が難しい。しかし可能性は非常に高いと言えるでしょう。米国の制度では大統領は独裁者になり得ないと思うのですが、彼の法を無視した長年の行いと共和党の軟弱な態度から、最悪の道もあるように思える。近年、州の独立より大統領の権限強化が重視されるようになっている。

彼に独裁者の兆しを見ているのは私だけでしょうか? 

彼を含めて、米国には独裁化への不安要因が多数ある。

 

先ず彼について

・彼は遵法精神が欠如している。彼のビジネス、裁判歴、大統領時代。

・彼は恣意的で非科学的な政策を行う。地球温暖化否定、コロナやワクチンの誤った対応、数多くのノーベル学者が反対する経済政策など、きりが無い。

・彼は独裁者に憧れている節がある。プーチンやヒトラーなど。

 

米国の状況

・社会は長年の経済政策により経済格差が進行し、8割の国民は30年間ほど実質賃金が横這いだったが、最近のインフレで低下に転じているようだ。

・規制緩和により報道の公平さが無くなり、人気を得るために過激で偏向した番組が流れようになった。さらにSNSが助長している。

・40年ほど前から、二大政党の対立が激化し一層酷くなっている。

・保守的なキリスト教の勢力が強くなり、人権擁護の政策に敵対するようになった。

・中南米からの移民が増え、白人の人口を越える事態になりつつある。

・このような衰退と混乱の背景に、国民は分断を煽られてしまっている。

 

上記状況を考慮すれば、ヒトラーとトランプの発言の共通点に頷けるものがある。

ヒトラーは「共産主義者を入れない、ユダヤ人(絶対的な悪)を排除する、ドイツ帝国の復活を目指す」

トランプは「移民を入れない、ディープステート(闇の政府)と戦う、米国を再び偉大な国にする」

どちらも敵愾心を煽り、単純な排除策を提案し、復古主義を謳う、実に単純で分かり易い。

現在の米国は、当時のドイツほど酷い状況では無いはずだが、米国民は不安と不満を煽られて追い込まれているように思える。

 

解説書の紹介

「トランプがはじめた21世紀の南北戦争」 渡辺由佳里著 、 晶文社、 2017/1/11発行

 米国移住の日本人エッセイストが2016年末のトランプ大統領誕生の米国社会と選挙の問題点を分析している。

「恐怖の男: FEAR トランプ政権の真実」ボブ ウッドワード著、日本経済新聞出版、2018/12/1発行

 米国の代表的なジャーナリストが、恐怖のトランプ大統領を扱わざるをえないホワイトハウスの苦悩を描いている。

「炎と怒り トランプ政権の内幕」マイケル ウォルフ著 、早川書房、2018/2/25発行

 米国ジャーナリストが、トランプがいかに「無知」で「臆病」か、トランプ一族と側近たちの確執を描いている。

「忠誠の代償 ホワイトハウスの噓と裏切り」ロン・サスキンド著、日本経済新聞出版、 2004/6/1発行

米国記者が、ジョージ・W・ブッシュ政権の財務長官の機密文書や証言などからホワイトハウスの実態を暴露している。しかし、この小ブッシュと比べてもトランプの酷さは特筆ものです。

 

 

  • 最後に

私達が現在、最も注意しなければならない事はなんでしょうか? 

年金の不安、金融危機、日本経済の衰退、地球温暖化の進行と色々考えられます。

しかし私が現在最も注視しているのは、日本の衰退が進んでいる事と周辺国の独裁化が進み、世界大戦へと進むことです。

今回は、皆さんに周辺国の独裁に注意して頂ければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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海外旅行の薦め 70ヶ国を巡って 

2024-12-16 09:19:49 | 旅行

皆さんに、海外旅行の素晴らしさと、旅行によって得られた見聞をこれから折に触れ、紹介したいと思います。

今回は、私の海外旅行遍歴の要点を紹介します。

 

私は見知らぬ国に行き、初めて見る自然や町、人々の暮らしを感じている時が、最もアドレナリンが出ます。

私は世界約70ヶ国を訪れましたが、多くは定年60歳を越えてからです。

最初の海外旅行は、30年以上前にヨーロッパや中国への視察旅行が始まりでした。

定年後は、安い長めのツアーで多くの国を訪れるようにしました。

やがて、自分で計画し2週間から1ヶ月間ほどの海外旅行を個人で行くようになりました。

しかし最近は、体に楽なクルーズが気にいっています。

 

海外旅行の目的は、見知らぬ世界を一つでも多く見たい事に尽きます。

その為には、事前に歴史や社会経済文化等をよく調べ、帰国後はブログに書くために、またよく調べました。

このことで世界がより見えてくるようになりました。

しかし数年前から、人生が残り少ないと感じ始め、旅行の形態を変えました。

2018年と2019年は、模範的な国としてスカンジナビア3ヵ国と成長著しい中国をそれぞれ2週間かけて自分で計画し個人で見て来ました。

2020から2022年までは、コロナで行けませんでした。

2023年正月からは、満を持して4ヵ月間のワールドクルーズに初挑戦しました。

2024年は、最も進んだ国であるアメリカとカナダを一人で1ヵ月掛けて巡りました。

ここ6年間の旅行は、世界を見る視点において非常に得るものがありました。

2025年は、南太平洋クルーズ、2026年はシンガポールとバリ島に行く予定です。

おそらくこれで、私の海外旅行は終わる予定で、約70ヶ国を訪れることになります。

 

 

地図の説明

青線はコスタのワールドクルーズで120日間、35カ国、70日間の寄港日がありました。発着はイタリアのベニスです。私はこの珍しいコースが気に入りました。

緑線と緑円は、今後予定している南太平洋クルーズと東南アジアの旅行です。

北欧の赤線は、スカンジナビア3ヵ国訪問です。

中国大陸の赤枠では、これまで中国の多くの大都市と奥地の都市を7回、台湾も2回訪れました。

北米の赤線は、カナダのバンクーバー1都市と米国8都市を見て来たルートです。

紫線、紫枠、紫円は、2017年以前に訪れた訪問地です。

 

 

 

 

 

 

 

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そろそろ投稿を始めます! 斎藤知事再選から見える民度の先に・・・

2024-12-12 07:30:07 | 政治

最近、腹立たしい事が多い。

その一つが、兵庫県知事、斎藤氏の再選です。

巷では、再選が成ったのは、マスコミ報道が嫌われ、SNS時代の到来が勝利を呼んだと言われている。

また若い人が、政治参加に興味を持ったのは良い事だとも指摘されている。

一方、斎藤知事を批判する人々には、好き嫌いで判断する古い愚かな人々との烙印が押されているようだ。

私は、二つの点で、現状が嘆かわしいと思っている。

一つは、斎藤知事を支持する人々が、煽情され易い、底の浅い人々であり、各地で汚職議員が再選され続ける状況と何ら変わらない、日本の政治文化の一端を表しているだけだと言うことです。

今一つは、斎藤知事が、公のトップとしては不適格だと言うことです。

**説明します**

斎藤知事の問題点

A. 百条委員会の答弁で、道義的責任を聞かれ、平然と「道義的責任について、分からない」と答えていた。

 一般の人は、答えに窮するかもしれないが、市民に奉仕すべきトップが、道義的責任の意味を答えられない。これは、他の報道の情報も総合すると、彼は「市民の権利とか自治体の役割」を真剣に考えていない事を示している。このことが「パワハラやおねだり」に繋がるのだろう。このような彼れであれば、予算カットで辣腕を振るって実績数を誇っても、市民の為にはならないだろう。

 

B. 彼のパワハラとおねだり行為は、自己中過ぎる。

 残念な事だが、急成長する企業にパワハラ社長(ワンマン)が多くいるのは常識でしょう。元明石市長も、パワハラを追求された。確かに、不適切な作業を注意するのに、激昂してしまう事はあるだろう(無くすべきだが)。しかし、斎藤氏の行為は、おねだり行為を含めると、実に独りよがりの本性が現れている。倒産させる二代目ワンマン社長の最悪パターンです。少なくと県庁は民間企業では無い、市民が選べるのなら、もっとまともな人格の持ち主を選ぶべきです。パワハラが事実かは、数が多いアンケート数から言って間違いないだろう。

C. 内部告発者への対応が社会への最も危険な行為であり、このような彼をトップにすることは絶対避けるべきです。

 日本の政治・社会文化で、非常に遅れている部分が「内部告発者」への対応です。日本人は世界中で、最も社会への帰属意識が高い民族です。これが民主主義の進展を遅らせている要因の一つだと考えます。日本では、これまでトップや権力を持っているものへの不正の告発において、告発者はほとんど虐げられて来た。法律も改正されて来ているのですが、まだ良くなっていません。このことは日本の社会や組織が腐敗しても、これを内部から是正する手段が無いことを意味します。まして外部からの指摘に対しては、社会や組織が一丸となって潰しにかかる。

結論 彼は知事としては不適格です。

 斎藤氏は若いにも関わらず、自己中心的で、古い社会通念と官僚的意識に染まった人物だと言えます。今回の一連の騒動を通して感じられるのは、彼には罪の意識が希薄だと言うことです。

 

他の問題点

・ マスコミとSNSについて

 これからはSNSの時代で、従来のマスコミは腐敗し、デマを流しており、信用できないと言われている。確かに日本の報道の自由度の劣悪さは、先進国の場外にまで落ち込んだ。だが、当然ながらSNSは、それを上回る偏向を生み出す可能性をいつでも孕んでいる。一方マスコミには、商品のブランドと同じ価値(品質保証)である記事の正確さを、年々積み上げて来た。この違いは重要です。このことを市民が噛み締めないと、いつか恐ろしい結果を招くでしょう、トランプやヒトラーの誕生に比肩されるような。

・ 選挙制度は、最近の脱法的で、煽情的な選挙活動を反省して、改正していく必要がある。ただ米国のように、あらゆる規制を緩和する方向は避けるべきだ。

・ 一つ気になる現象がある。

 斎藤知事の再選を批判する人々を、攻撃するコメンテーターらに故安倍氏を支持した人が多い事です。リベラルは斎藤批判、保守は斎藤支持に見えるが、この理由が分からない。今回、斎藤知事を選んだのは若い人が多いと言われているが。

 最初に斎藤を知事に推したのは、自民党と維新であった。この議員達は、4年近くも、斎藤知事の問題に蓋をしておき、暴露記事が切っ掛けで、あたふたと辞任に追い込んだ。実に彼ら自身で杜撰な議員であり、役立たずを表明している。この嫌な雰囲気を払拭する為に、自民党や維新等を間接的に擁護しているのだろうか? 不思議だ!

 

どちらにしても、実につまらない選挙であり、日本の現状と未来を象徴しているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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