Catch the words

from Shizuoka/name is "slide"

ばしょ

2007-11-16 | Weblog
いつまでも黙って想うことは、きっと発展的とは言えないのだろう。
想うことをやめて、真っ新になる。
又は、想う対象になりうる人物を探したり、出会ったり、気付いたりすることが
発展的というのだろう。

ということは、今僕は、発展的とは違う場所に佇んでいるということになる。
佇むことは、悪いこととは思わない。思わないが、それはどんな佇み方なのか?
その姿勢によっても、発展的なのか否か?
どちらかに相当するだろう。

無理に忘れようとすれば、ある期間は忘れたという中で、のらりくらりと生きていくだろう。
しかし、後になって何かが噴き出してくるような気がするのだ。
無理をして押し込めば、何処かから何かがはみ出す。
はみ出す、空気穴がなければ、器は壊れてしまう。

と考えれば、黙って想いながら佇む。
これは発展的でない、とは言いきれない。
寧ろ、思う存分想い、踏ん切りが付いたところで真っ新になる覚悟で佇む。
これも有りなのではないか。
これも発展的と言ってもいいのではないか?

なんてね。
考えてみたところで、真実ははっきり言って分からない。
ただ、忘れたくないから屁理屈をこねているのかもしれない。
要は、忘れたくないってことだ。
まだ、想っていたいってことだ。

まぁ、それだけでもはっきりと分かったところで
戻ろう。


いつもの場所へ


コメント
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