Catch the words

from Shizuoka/name is "slide"

台風とドングリ

2013-10-16 | Weblog
自然の力って本当にスゴイ、ゴォーゴォーという風の音が町の中を渦巻いている。
竜巻に注意と近所の人が言っていたとかで、
まだ明るいうちに雨戸が閉められ、我が家は昼から早々に台風対策が施されていた。
今回は雷がゴロゴロ…ドッシャーン!…がなかったのでひと安心。



幼稚園にさえ通っていない頃だったか、
少し高台の裏手に墓地があるようなところなのだけど
祖母に連れられドングリを拾いにいったことがあったっけ。
『これ、食べられるの?』なんて聴きながら拾っては、
まん丸いドングリ、細長いドングリ、割れてしまっているドングリ、スタイル抜群のドングリ
鈍色のドングリ、つやつやのドングリなどなど。
ドングリにもそれぞれの個性があって、拾っていて楽しかった思い出がある。

ちなみに、ツクシをとっていても『これ、食べられる?』とよく聴いたものだ。
脳ミソの足らない子供だったのだろうか…
きっと、リス並みの脳ミソだったのだな。(今もそうかも)


台風の音を聴いていたら、そんな思い出が甦ってきた。
この思い出は、ずーっと思い出すことなんてなかったけど、不思議なものだね?
『これ、食べられるの?』と質問する子供と『食べられるよと』答える、おばあさん。
そんな昔の或る日。
台風とドングリ、はて、どういうわけで思い出したのだろう?(自分に疑問)


あの頃は祖母も若かった。
まだ黒髪で、時々、和服も着ていた気がする。
ワンピースも着て色んなファッションをしていたような。
今は、すっかり総白髪の祖母だけど、よく見ると黒髪がちらほらと生えていたりして、
そんなものを見ていると『もっと長生きしてね』と思う。
天国の人の分も長生きして、その癒しの雰囲気をもっと振りまいてほしいなんて思う。
雷が鳴ると落ちない呪文をこっそり唱える祖母、家族が言うのもヘンだけど
可愛いのだ。


ドングリの高台、今はどんな景色になっているのだろう?
さすがにドングリ拾いながら
『これ、食べられる?』って、もう言わないとは思う。
言わないけど…でも思ってしまいそうな気はする。(←成長なし)


ドングリレシピってあるのだろうか?
ドングリ、久しぶりに拾いにいってみようか。
ドングリまなこの犬と散歩に行きたいな。


となぜかそんなことを思う台風の音の中。
今は強風が吹き荒れているけど、カーテンを開けたらすっかり青空の朝でした。


これから台風の中というところは、いろいろと気を付けて下さいね!














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クレマチス

2013-10-13 | Weblog
うっすらとしているようであるけれど
でも色濃く
見える気がした

門に絡みついたクレマチスが囁いた
ぷっかり浮かんだ雲を見て
今は我慢の時
心の奥、たった一つの物を信じる時

目を開けて眉間の彼方から眺めたい
空も海も
雲の流れも鳥の鳴き声も悠々と

なぜ気付かぬ
なぜ築かぬ

と、花は静かに咲いている
この星の命と一緒に

まずはミクロの世界から
この星の一番隅っこ
街の雑踏すり抜けて、自分の色を確かめて















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風吹く窓

2013-10-09 | Weblog
細い路地に入って少し歩いて行くとシチューの美味しいお店があって、
姉と行った時はシチュー、母と行った時はハンバーグ定食を注文した。

お店の二階の窓からは、色んな屋根が見えて
地味な風景といえば地味なんだけど、半分が優しい色の空でホッとした記憶がある。
硝子窓は開いていて、ハーブが数種類窓辺に植わっていてね、
風がそっと吹けば緑色の葉が小さく揺れて
その頃はまだ父親が亡くなってまだ悲しい時期だったというのかな
ピカソの『青の時代』みたいな頃だったからか(ピカソを例に出すのはおこがましいけど)
ハーブの繊細な葉が小さく揺れる風景は
途切れ途切れに感じがちな時間を、柔らかく繋げてくれたような空間で
居心地が良かった。
印象深い時間だったから『ハンバーグ定食』という題で
詩を書いたこともある。

僕らの他には、年配のご夫婦が一組いたけどすぐ帰って行ってしまったから
その後はまるで貸切状態の静かな部屋。
街中の騒々しい車の流れなんてないような。

ハンバーグ定食を頼んだその日から、その店には行っていないけど、
最近思い出して久しぶりに行きたくなって
でも、行きたいのだけどこれがなかなか行けない。(>_<)

あれから数年経って、僕は二階のあの席にもし座ったら
窓から見える屋根や
揺れるハーブを見て何を思うのだろう、なんて思う。
シチューやハンバーグ定食が食べたいというよりも
ただ景色が見たいのかもしれない。
いつもと違う窓辺の景色を見て今何を思うのか、自分自身を知りたいのかもしれないな
…なんて思ったけど、ただやっぱり定食が食べたいだけなのかも。^^;

毎日似たような日々だからか、そんなちょっとした窓辺の景色の違いが
とても良い。
そんな小さなことがとっても大きい。

人って、毎日生まれ変わるらしいのだけど
そう思うと
毎日同じ景色で心が肩凝りみたいに固くなってきてしまってるとしたら
こんな心の琴線に触れた景色というものに触れると
いつものちょっとした渋滞も
行き交う人々や車も新鮮に見えるかなってね、また行きたいお店なのだ。

似たような毎日はそんなことになりがちだけど
音楽を聴く時は
同じ曲でも、何度も何度も聴いても魅力は減らない。
そう思ったら、音楽ってやっぱり良いなって心底思って
改めて
音楽に敬礼したくなる。いつもそばにあって鳴っていてほしいものなのだ。

今日も明日も、音楽を聴きながら、色んな景色と色彩見ながら呼吸をしていよう。


最初は詩を書こうと思っていたのだけど
日記になりました、トホホm(_ _;)m


おやすみなさい








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鳴る方へ

2013-10-06 | Weblog
確かめる
いつもの好きな景色を

なくてはならないものは
その音の灯
耳を澄ませているからもっと
見せて聴かせて

麗し夜風
同じ時代で生きていることを
もっと感じよう
どこにも行かずに絵を描こう

自分の心に正直であろうとするなら
好きな景色を確かめながら
その音の灯
鳴る方へ















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ブロッコリー

2013-10-05 | Weblog
星が光り始めた時間
ジャーっと炒めるフライパンの音
姉の手料理

目の前では甥っ子がドライカレーをお代り
あまり辛くないドライカレーは子供向きなのだけど
辛い物が苦手な僕には、僕向きでもある

マヨネーズとオイスターソースで和えた野菜
野菜が苦手な甥っ子もブロッコリーを頬張った
子供が美味しそうに食べている姿というのは
愛らしく平和だ

お腹が減ったら、いただきます
いっぱいになったら、ごちそうさま

海の物も山の物も
お日様の光をさんさんと受けた命をいただいて
今日も明日も呼吸をする
僕らは毎日

当たり前のように星が光り
当たり前のようにお腹を満たす


いつもいつも、ごちそうさま
いつもその愛、いただいてます













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