Catch the words

from Shizuoka/name is "slide"

夢の間の詩

2014-11-20 | Weblog
11月20日、木曜日。
午前1時01分。
曇っているのかな?目の前の窓からは星が見えません。
昨日は1日良い天気だったのだけどなぁ。


また今年もこの日がやってきました。
今日は、恵比寿講の日ですね?
大好物な、おさくらごはんと甘酒がいただける日ということで楽しみです。


子供の頃は、時々は
食べていたようにも思うのだけどな。
小学校では給食にも出ていた気もする、あっさり味のおさくらごはん。
あっさり味が好きなので
味覚にもちょうど良いおさくらごはんです。


近年は、恵比寿様たちに
お供えをする家庭も少なくなったのかもしれませんね?
我が家は、ずっとやっていますけど
僕が幼い頃は生きた小魚を供えていたことがあったけど
今は、もう調理された魚となり
簡素化したようです。


祖母は、恵比寿様のことを
おいべすさま、と言います。
祖母の言葉、昔ながらな感じで好きです。


昔ながらなものが元々大好きです。
古い町並みや、そういった昔から続いてきたものなど
素朴だし、温度があるしステキです。



昨日は、元気がなさそうだった植物に水やりをしました。
姉②からもらったオーガスタとガジュマル2つがずっと気になっていて
冬場は水やりは控えめで良いということだけど
天気が良く、午前中は特に暖かかったので
戸外でホースからのシャワーでシャワー…ッと


植物の頭のてっぺんから水やりをして
埃とりも兼ね、一石二鳥。
少しは元気になってくれたかな?


やけに眠いです。
書き始めてから3時間経過…(>_<)
何度もうたた寝をしてしまいました。
水やりやそうじなど動き回っていたからかな。
瞼が降りてきてしまいます。


そろそろ就寝しなくてはです。
では、おやすみなさい。^^
良い日を!












『夢の間の詩』

おやすみなさいを言う前と
おはよう、今日も元気でと願う前に

くすぐったいくらいの蕾は囁き
くねくね曲がった坂は頷き
隙あらば
未来はいつもの空と優しく微笑み

昇った先には何があるのか
想像しようと目を閉じれば
詩は不思議そうに
星に願いをかける

おやすみなさいを言った後と
おはようを誓った後

どんな時だって
君の笑顔が
いっぱい咲いていますように






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ぼくら

2014-11-19 | Weblog
11月19日、水曜日。
午前11時06分。
青と水色の空。


昨日も今日も暖かいです。
日向は暖かで、風はあまり吹いていない
穏やかな好日です。


やっぱり天気が良い日は心地好いですね。
空を見ていると、平和だなと
みんなきっと幸せの中にいてくれているのではないかな?
と、思えるからこういったの空の日の光は
好きです。^^


昨晩は、いつもは遠くに眺めるお気に入りのビルの足下まで
仕事帰りに巣タコらさ…


…最近、僕の持ち主に似てしまった
ヘッポコ携帯の誤変換に物申したくもなるのだけど(時間がない時はね…)
でも、クスッと笑える時があるので
ヘッポコ携帯の誤変換はけっこう気に入っています。(シンパシーか?)


話題が逸れてしまいました。m(_ _;)m


お気に入りのビルの足下まで仕事帰りにスタコラサと
ビルと街を眺めにいってきました。(車で)
随分、遠回りの、買い物しながらのちょっとしたドライブです。


久しぶりの街、飲み歩いているサラリーマンさんとか
仕事帰りっぽい女性とか
スケボーの練習している男性とか
手ぶらでブラブラしている男性とか
速足で歩いているスーツにコート姿のおじさまとか
夜分とはいえ、さすが都会。(僕の住むあたりに比べれば)
いろんな人々が街の中を、それぞれの考えや思いや毎日を背負いながら
歩いている風景がありました。


それぞれに、ひとりひとりに家族がいて
友人や親戚や、知り合い、がいて
仲間がいて同僚がいて
背景には、住む家や、地域があって
考えや思考、思い出があって、未来の展望があって、今現在の思いがあり
誰一人として同じ人はいない。


そんな街を、
広くい果てのない空から
ゆらゆら瞬く星たちが見下ろしている。


そんなことを思っていたら
僕たち私たちがみんな
仲間…というより
きょうだいのような気がしてきて
同じ町(街)、同じ県、同じ国、同じ地球にいることが
家族のように思えてきた瞬間、
世界がいとおしく思えるから不思議だ。


街をスタコラサと通りすぎ
お気に入りのお寺の前で心の中でご挨拶をして
明日食べる物を買いに行ったのでした。


久しぶりの都会(小さめだけど)に行き
お気に入りのビルの足下から始まる
小さな小さな心の旅は、
血の繋がりだけでない家族もあるのかもしれないと
ふと、思ったのでした。


お気に入りのビルにももちろん
『いつも綺麗な姿(灯り)を見せてくれて、ありがとう』
…と挨拶してきました。


夜分、ビルに挨拶をする人間…
こんなこと書いていると何だかな。
僕って、本当にへんな人間ですね?(ノ_<)


今日は、午前中、姉①と姪①がやって来ました。
姉②もそうだけど
いろいろ気に掛けてくれて
とてもありがたくて、いつも感謝かんしゃ…です。
姪っ子に会えるとやっぱり、嬉しいな。(甥っ子もね)(^_^)

これからお昼いただきます。
良い日を!











『ぼくら』

隣の人が笑っていたら
一緒に笑い

落ち込んでいたら
どんまいどんまいと肩をポンポンして

泣いていたら
そっと静かにそばにいて

がんばっていたら
僕もがんばる、応援する、元気をもらう

星の彼方から見たら
ぼくらは家族

だって、満天の星空を見たら
きっとみんなたぶん
一緒のことを思う

綺麗だなって
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夢の国の夢

2014-11-18 | Weblog
11月18日、火曜日。
午前4時12分。
星瞬く空。


昨日は、朝方は日が当たっていたのに
昼の間はぐずついた天気でした。
ぽつぽつとした、小雨の中でもかなりの小雨が
初冬の町を潤すのでした。


でも、僕が帰る頃には
雲の間に星空が見え始め
雨上がりの星空を見上げることができました。
さっきカーテンの隙間から見てみたら
すっかり晴れて、星がゆらめくように瞬いていました。
筆舌尽くせぬ美しさだなぁ、でした。


11月18日の今日は何の日は、僕の頼りない記憶によると…
世界のアイドル、ミッキーマウス君の誕生日!^^
…ではなかったかな?


もし合っていたなら
ディズニーランドはミッキーのバースデーイベントがあるのかな?
ミッキーは何歳になったのだろう?


確か、デビュー作が『蒸気船ウィリー』だったような気がするけど
カラーでなくモノクロの短編アニメーションだったと思うけど
何年前の作品だったかな?


カラー作品で初の長編アニメーションが
1937年の『白雪姫』だった記憶があるけれど
ということは
もっと昔の映画になりますね?
(上記の記憶が間違っていたらすみません)


白雪姫が77年前だから、少なくとも80年以上は経っていることだろな。
おじいちゃんだね、ミッキー。
いつまでも若い、永遠の世界のアイドルだ。


ディズニーランドは大好きです。
昔から、気付けばミッキーマウスが好きで
小学校時代は誕生日プレゼントにミッキーグッズをいただいたりして
大人が使っても良さそうなステキな鉛筆は
大人になっても持っていたっけ。


当時は、白目のない
初期の頃のレトロな雰囲気のミッキーが好きだったのですよ。
時代によって、ミッキーの顔つきや
目、白目の割合などがちがうので
どの時代のミッキーが好きかそれぞれに好みがあると思います。(多分)


今は、どの時代のミッキーも好きだけど
子供の頃はレトロ感のあるミッキー大好き小学生でした。f^_^


ディズニーランドは永らくずっと行ってないので
行けたら感激だろうなぁ。
どのくらい行っていないか
覚えてないくらい行ってないな。(>_<)


記憶によれば…いとこ家族と我が家の家族と
一緒に行ったのが初のディズニーランドでした。
初めて乗ったアトラクションは…『カリブの海賊』だったかな?
ちなみに、初めて食べたものは
『魅惑のチキルーム』(まだあるかな?)の隣のレストランのランチでした。
ショーを観ながらの食事も初めてでした。
楽しかった思い出です。(思い出に感謝です!)

それからというもの
友人M(今は大阪在住)や
友人S(今は東京在住)や
友人K(今は東京在住)や
姉②(今は静岡県在住)や
再び家族(ずっと静岡県在住…)と
行っては夢を見させて頂いたディズニーランド。m(_ _)m


13,4回は行っているかと思います。
当時、まだ静岡県に住んでいた友人Sと一番多く行ったと思います。
僕と同じくミッキー&TDLが大好きで
アトラクションの好みも似ているのです。


もうずーっと…行っていないから
最近、ディズニーランドはどんな風景になっているのか興味津々。
今も昔も変わらずに、夢を見せてくれているのだろうね?


なかなか行けないところだけど
日本にディズニーランドを作ってくれて
感謝です!
いつかまた行こう。











『夢の国の夢』

昨日のことのよう思う僕は
幸せの中へと帰ることができる
誕生日にもらった鉛筆で喜んだ日も
昨日のことのように思い出せる

年越しの瞬間はお城の裏手で
花火を見上げ
ミッキーはミニーと
いつまでも仲良しで

めくるめく現実の中で見る夢は
今なお、鮮明な夢
それぞれの夢のシーンには
大切な人々の笑顔が今もなおずっと
終わらない夢






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星の音

2014-11-17 | Weblog
11月17日、月曜日。
午前5時57分。
星空。


この時間帯、夏の間はもう空は朝の気配が濃厚になり
明るい空になっていたように思うけど
最近は冬らしくなりました。


気温も下がり冬物を着るようになったし
この間、山と山の間に久しぶりに見た富士山は雪をかぶっていたし(少し)
いつの間にか冬に足を踏み入れていますね?


冬の寒さは苦手だけど
冬は冬の楽しみがあります。


『冬の楽しみって何があったかなぁ?』
と、考えてみるに…一番に思い浮かんだのは
『星空』。


昨日は、日曜日とはいえ、しがない労働者をしていた僕だけど
重い物を持つ機会が度々あって
帰り道は『腰が何かへんだな、疲れたな』だったけど
家へ帰り、ふと星空を見上げると
星が澄んだ空気の中で瞬いていて本当に綺麗でした。


冬の星空は、やっぱり
寒さなんて忘れてずっと見上げてしまうくらい
綺麗です、
星座の形がささやきかけてくるようです。


中でも、オリオン座の左下のひときわ明るい星や
スバル、
そのすぐ近くの、V字の星座…何ていう星座だったっけか?
存在感がスゴイありますね?


もちろん、他の星座も存在感がそれぞれあるけど
オリオン座の存在感もとてもあるのだけれど


オリオンの左下の星とスバル、V字の星座さんは
さらに存在感抜群な気がします。


あの中に流星を見たら
感動するのだろうなぁ。
一時期、流星をよく見た頃があったけど
近頃はさっぱり見ていないな。
以前より、夜空を見上げる回数がぐんと減ったからかな?
以前は、温かい飲み物持参で
モサモサの庭の片隅で星空観賞していたものです。


当時の星空観賞は、あんまり長くいるからか
微動だにせずじっとしているからか
ほんの稀に、狸だかハクビシンだかがそばに現れたりしてね
猫も時々現れたりしたけど


人間(僕)が立っていることに気付かずにいるのですよ。
人間の方が気付いて
『あ、狸だ』って思って
ずっと見ているのに
全く気が付かなくてウロウロしているのですよ。


わぁ…狸だ、とずっと眺めているうちに
ハッ!(゜ロ゜;
…としたような顔で狸が僕に気付き
慌てて逃げていく姿がまた可愛くてね…
星空と狸と両方みられてラッキーでした。


でもさ、野生なのにそんなんで大丈夫か?
と、いつも心配になったっけな。(>_<)


危機感ゼロで
モサモサの片隅をクンクン匂いをかぎながら(エサを探しているのかな?)
ウロウロしている狸たちは
茶畑の狸同様、とっても可愛かったな。(*^_^*)


まぁ…こんな僕に危機感を持つ生き物も
あんまりいないかもしれないけどね?
星とちがって、存在感は全くないのだろう、ウムム。(-.-;)


そんな星空観賞は最近ははさっぱりだけど
ちょっとだけの星空観賞だったら
ほぼ毎日、星は見上げています。


やっぱり、綺麗だもの。
自然と視線は空へといって
春に会いに行くあの垂れ桜のような
吸い寄せられるような美しい存在は、愛でずにはいられないですもんね?
まるで、心の中の、Museです。











『星の音』

垂れ桜に会った時は
女神様に会いにいったような感じ
星空を見上げる時は
ささやきを聴いているような感じ

水琴窟のように
星屑が僕らの町に舞い降りて
耳を澄ませば
煌めく音が鳴っている

星の音が肩に舞い降りてきたら
女神様はずっと向こうの季節の中で
流星を撒き散らしながら
幸福そうに、微笑んでいる

星の音を僕らに
聴かせてくれる







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葦と子羊

2014-11-16 | Weblog
11月16日、日曜日。
午前3時13分。


窓から空チェックを忘れてきてしまった…けど
5時間前は、見惚れて立ち止まるくらいの、満天の星だったから
多分今も
見惚れてしまう星の世界が広がっていると思います。


部屋にいる時はだいたいラジオをつけているのだけど
さっきまでラジオを聴いてまして
気になったのでその話題をお借りして(>_<)
ブログに書かせて頂きます。(^人^;)


あがっていた話題は、誰もが持っているであろう
『コンプレックス』
…でした。
古今東西、老若男女、みんな今も昔も
心の中に持っているのだね?


昔、吉川さんと布袋さんのユニットでありましたね?
()よかったなぁ
…なぜこの変換になるのかね?(>_<)
もとい、
格好良かったなぁ。(懐かしいな)


ほとんどの人がコンプレックスを何かしら持っているのではないかな?
全くないって方はいないのだろうな。
…と思う、誰もみな
心の中で付き合っていくもの、コンプレックス。


人それぞれに、それぞれの種類のコンプレックスがあると思います。
ある人は原動力にし、糧にして
ある人は悩み
眠れぬ夜をすごすのかもしれません。
どっちのコンプレックスの持ち方もそれぞれに正解だと
僕は思うけど。


かくいう僕も、以前は、コンプレックスの塊でした。σ(^^;)
特に、青春時代の多感な頃は
未来など得体の知れないもの
こんな世界、どこに希望を持てるっていうんだ?
…なんて贅沢なことを思っていました。


コンプレックス=劣等感。
コンプレックスという言葉、あまり使い慣れていないので
劣等感で書かせて頂きますね…φ(..;)


昔の僕はまさに劣等感の塊、
『ショートカット頭を叩いてみれば劣等感の音がする』
それくらい、劣等感だけの自分でした。
19、20歳が特に酷かった。


自分には、誇れるものなど何もない。
顔も、性格も、スタイルも、髪も、センスも、頭脳も、心構えも、世間に対する姿勢も
嫌で仕方がなかった。
劣等感=自分、だったなぁ。


色に例えたら、モヤモヤとした霧のようなグレー。
僕の青春時代は
人間失格の気質漂う、灰色一色だった気がします。


…が
頭の天辺から足の先まで劣等感だらけの自分でも
自分が自分を受け入れ難く居心地がわるい世界だったとしても
それが結局のところ
『自分』、『我』なのでした。


それこそが自我。
払拭もできない、否定もできない
それが等身大の自分。
まずは、その事実を認めることがまず大事かもです。


しばらくの間、劣等感という難敵に悩まされ
あまりに多すぎた僕の劣等感は青春時代を
暗い色で随分と無駄にしたように
思うのだけれど…


青春時代は風のようにすぎ
今は、劣等感というものは
生きていくうえでは必須だと思うように
いつの間にか、感じるようになっていました。


…ということに、ラジオを聴いていて分かりました。
気づきたてホヤホヤです。
気付かせてくれたラジオさんに…
ありがとう。o(^-^)o


青春時代は遠い日となったけど
今でも劣等感は未だにもちろん幾つもあります。
もしかしたら、一生持ち続ける『コンプレックス』もあるでしょう。


…が
今はそれよりも大事なもの
考えなければいけないものがいっぱいあります。
劣等感で悩む時間も余裕もなく
かっこつけている暇もない
考えても悩んでも辿り着かないものもあるけど


あんなに重苦しく感じていた劣等感が
今は、劣等感を持てる自分で良かったと思えるのです。
なぜそう思うのか
うまく説明できなくてもどかしいけど…(>_<)


優越感に浸っているより
僕には劣等感があってちょうどいいなんてね
思ったりしました。
劣等感がなかったら、こうしてブログも
詩も、絵も
書いて(描いて)いなかっただろうな。


僕がまっとうな人間でいるには
劣等感と
詩を書くことが必要だと感じます。


だから劣等感(コンプレックスは)
幸せの要素のひとつだと
思います。


だから、コンプレックスに悩む人は
そのグレーは
必ずしも『負なものではない』と
言いたいな。


そんなこと助言できるような人間でもない
みすぼらしい僕だけど。
でも、ほっとけない話題でした。
劣等感は、負ではない。
自分へ辿り着く道の『出発点』だと
思うなぁ。^^


※話題が話題だけに長くなってしまいました。m(_ _)m










『葦と子羊』

人間とは考える葦であり
人間とは悩める子羊であり
いまだ
僕ら私たちは
遥かなるゴールを目指す
永遠なる旅人

劣等感を撒いて
ありのままの自我を握りしめ
その手で放つまで






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