自分のネガティブ感情の双璧ともいう存在であった
怒り
と
嫉妬
先程ブログに書いた通りに
ツートップのうちの怒りが消えて
さらに
ツートップのもう片方の嫉妬も消え去った。
怒りに身体を支配されると
罵詈雑言劇場へと突入していた。
車の中とか
頭の中の世界とかでね
ひたすら
ひたすら
自分を責めたり
他の人を責めたり
出来事を責めたり
していた。
みっともないことだとは思いますが
どこか
ストレス発散というか
悪口言っていい気分になるところもあったんだよね。
しかし
嫉妬、別名ジェラシーに関しては
怒りのように
嫉妬を感じてある意味スッキリしているなどということには絶対にならない
自分の周りで評価される人を目にすると
ムラムラ、メラメラと
ネチネチって感じのたとえがいいかもしれない
全身を
なんとも言えないムラ・メラ・ネチって気が
覆い包まれるイメージ。
ある意味罵詈雑言を楽しんで叫んでいるような怒りの状態とは
似ても似つかわない
結構ダメージも受けるんだよね。
みんなが「よかったね」みたいに声をかけている中
声をかけられないでいる自分を感じると
「はあああああああ」って気持ちになる。
こんなの嫌だなって思って
次同じような場面が来たら
自分から褒めようと決意をしても
身体が動かず。。。。
そもそも
すごく失礼な言い方になってしまうけれど
何が評価されたのか
そのポイントがいまいち自分には理解できない
だから
その段階で
褒め言葉を発してしまうと
自分に正直になっていないことになる
そこは感じていたんだよね。
自分自身に目を向けると
結構
人から評価される場合が多い。
存在や素振りや行動、声の出し方から声量まで
結構目立っている部分が多いのもあり
お世辞も混ざっているとは言え
結構褒められたりする。
だから
ここも不思議なんだよね。
自分が褒められているにも関わらず
人が褒められるのを見ると
心が騒ぐ。。。。。。。。
活躍しているのを見てもね
心が騒ぐ。。。。。。
この状態が変わったのは
ひらめきが突然降ってきたからなのです。
幸せはみんなのもの
自分自身を見ても
結構、幸せを感じる場面は多いのね。
幸せってたくさんあるんだ!
と気づいてきて
ある時に
ふと思ったのね。
自分の中にも幸せがたくさんあるのだから
自分の周りにも幸せはメチャクチャあるのではないか!
そう気づいたら
心が軽くなったのです。
誰かが何かを評価されているということは
その人は幸せを味わっているのです。
その人が幸せを感じることで
私の幸せが減るわけではありません。
だったら
その人が感じている幸せに対して
自分もいい思いを出せばいいだけだと思ったのです。
世の中に幸せが増えるということなので
うれしいことですよね。
誰かが評価されているということは
幸せが一つ発生したということなんだ
こういう幸せがどんどんと増えていけば
世の中もどんどんと素敵になっていくだろう。
なら
相手の感じている幸せを自分も感じて
その幸せをもっともっと大きくしていくように
働きかければいいんだ。
こう考えたらね
自分からどんどんと
「よかったね」とか「すごい」みたいな言葉を
本心から喜んで言えるようになったのです。
幸せは独り占めなんてできません。
それよりは
幸せの花が膨らんでいくようにしていこう
世界に喜びや幸せを増やしていこう
と思いました。
こんなふうに考えてみたら
嫉妬という言葉が
自分の中から消えていました。