Der König Hat Eselsohren

12日目その1(Jazzfäst in Eupen(オイペン・ベルギー))

目が覚めて、時計を見ると9時だった。

起き上がった拍子に、ごんっっと頭をぶつける。
まさにお約束だ(笑)

バスのエンジン音はおろか、物音がしない。
傍らの小窓に掛かったカーテンを開けてみると、すでにどこかの駐車場のようなところに停まっている。
通路側のカーテンを開けてみると、カーテンの開いているベッド、閉まっているベッドと色々だが、とにかく誰かいるのかいないのか、よくわからないほど静かだ。
たとえ下の階でも、人がいれば声がするはずだ。

もう、みんな外に出てるとか?

再び外を見てみると、スタッフのひとりが歩いていくのが見える。
とりあえず、二度寝とか言ってる環境ではないので、今度は化粧水で顔を拭き、さらに美容液を塗り、乳液を塗り、最低限、日焼け止めを塗って外に出ることにした。
他にどうしようもないんだから、諦めるしかない。
午後、ホテルにチェックインするまではこのままだ(笑)

下の段のカーテンに埋もれているスニーカーを探し出しているところへ、Rüdeがやってきた。
おそらくまだ他に寝ている人がいるのだろう、小声で「おはよう」と言って、一緒に下の階に下りる。
冷蔵庫からBionadeを出してくれたので、それぞれバスの外でラッパ飲み。

「よく眠れた?」
「う~ん…よく寝た(笑) でも、毎日はやだな」
実際、起きる時点まで、全くもって目が覚めないほど、爆睡だった。
だから5時間くらいは寝てるだろう。
「でも、俺達はいつもこうだから。狭くって」
「私にとっては十分だけどね」
「俺達は大きいからね(笑)」

「でも、顔は酷いことになってる」
「そうかな」
や、だってすっぴんの上に、どう考えてもボロボロだ。
「昨日と顔違うでしょ」
「そんなことないよ、同じだよ(笑)」
良い意味なのか、悪い意味なのか…f(^ー^;

さっき外を歩いていたスタッフも戻ってきたので挨拶する。
そこへ今日のバックステージ・パスを手にしたMarcがやってきた。
「はい、これがCREW(クルー)で、これがMUSIKER(ミュージシャン)」
と手渡してくれる。って、まったく同じものですが(笑)
つーか、CREW扱いなんだ、自分。スゲー。
「何か食べよう」
と、貰ったばかりのパスを手に、4人でバックステージ・エリアのケータリングに行く。
ステージからは、トンカン、トンカン、という音が響いている。

ケータリングには、まだ全部の食事が揃っている訳ではなかった。
その上、あまりお腹も空かないし、バナナを1本だけ取って戻ってくると、
「それだけ?!」
見ると、Rüdeはごく普通の食事をしっかり盛っている。
「う~ん、最近、朝は大体果物が中心だから。お腹もそんなに空いてないし。いつも朝からそんなに食べるの?」
「うん。ほら、昨夜みたいに、俺達、夜はあまり食べられないから、その分朝食べる」
そ、そうか。夜中のあのサンドイッチは、彼らにはたいしたことないのかもf(^ー^;

ひととおり食べてしまうと、スタッフは仕事があるので席を立ったけれど、そのまま2人でずっと話し続ける。
「日本語で、Sportfreunde Stillerってどう書くの?」
わざわざ、ケータリング・スタッフから、ペンと紙まで借りてくる。
『シュポルトフロインデ・シュティラー』と書き、さらに3人の名前も書いてあげると、
「これは漢字じゃないよね?」
なので、自分の名前を漢字、ひらがな、カタカナで書いた上で、日本語には漢字の他に2種類の文字があって、外国の名前などはそのうちの一つで書くこと、ひらがなとカタカナはそれぞれ50文字あること、漢字は大体1万から1万5千字くらいを使っていること、ひらがなとカタカナは表音文字だけれど、漢字はそれぞれに意味があること、同じ漢字でも中国語だと読み方が1種類だけれど、日本語では数種類になること、などなど、ドイツ語の文法を直して貰いつつ、わからない単語をフォローして貰いつつ、説明する。

「日本語は、聞いたり話したりするのも難しいかも知れないけれど、外国人には読み書きが難しいと思うな。でも、いったん憶えちゃうと便利だけど」
そこから文学の話になり、村上春樹のこととか、誰かドイツ人作家の本を読んだことがあるかとか、色々と話す。

さらに家族の話から、宗教や歴史の話まで。
どうやらRüdeは、日本のことや、その周辺のことについて、ネットで色々調べたらしい。
「それでも、色んな人が色んなことを言ってるし、表面的なことしかわからないだろ」
確かにそうだ。
でも私の語学力では、その表面的なことすら説明しきれない。
Rüdeは、ドイツではナチスのことや何かがあるけれど、日本ではどうなの、広島や長崎のこともあるし、というので、長崎で被爆して、長らく経ってから後遺症で突然亡くなった親戚がいること、自分の両親も東京で空襲に遭ったりしていて、その辺のことは子供の頃からずっと聞いているから、自分の家族がどう思っているか、と言うことを頑張って説明した。

でも、宗教や歴史の話、特に第二次大戦が絡んだ辺りは、私自身、きちんと色々なことを知って、自分なりに考えておかなければならないと思って、なるべく色々な本を読もうと心がけていたところではあるけれど、なかなか時間がなくて追いつかなかったところだ。
知識が足りなくて、日本語ですらちゃんと自分の考えを説明できないような状態なのに、ドイツ語で十分に説明なんて出来ない。
もっと日本のことについて知らなければならないし、それをきちんと表現できるだけのドイツ語力も必要だ。

さらには、もっとドイツのことについても知るように努力しなければ、と反省する。
もちろん、ドイツ人が日本について知っていることよりも、日本人がドイツについて知ってることの方が多いようにも思うし、こうしてドイツと日本を行き来することで、多少は知識を持つようになったとは思うけれども、向こうが単なる一ファンの存在がきっかけで、そこまで興味を持ってくれているのに、どうしてこっちが興味を持とうとしないのか…orz

もちろん、堅い話だけではなくて、昨日からの続きで、家族のこともさらに訊かれた。
しかも何故か、うちの兄の話を聞きたがる(笑)
なので、昨年ようやく普通に就職したけれど、それまではずっとアルバイトの身の上だったこと、そのせいで、うちの親は兄よりも私の方ばかりを頼りに思っていること、
「だから、私が月に1~2度帰るのは当然だと思ってるんだよ」
「普通はそうじゃないの?」
「東京と福岡くらい離れていると、年に1~2回帰るのが普通だよ。私は仕事で月に一度帰るのと、そのほかにライブとかで帰ってるけれど、それはそんなに普通のことじゃないよ。
でも、うちの親はそれが当然だと思ってるし、もっと帰ってきて欲しいと思ってるし、結婚して欲しくないと思ってるし、ドイツにも1人で旅行して欲しくないと思ってる(笑)」
「それは大変だね(笑) でも、うちにも娘がいるけれど、娘はずっと手元に置いておきたいなぁ」

あ~あ、先が思いやられるなぁ(笑)

「それに、ホントは、今ベルリンにいる両親も一緒に、みんなで暮らしたいんだ」
さらに、綴りはわからないけれど、娘の名前はリノというんだと言って、「リノがね、…でね、…」みたいに口まねをしてくれる(笑)

「Peterはよく行き来してるんだけど、スペインにスタジオがあってね。そこへ行ってレコーディングするんだ」
「なんでスペインなの?」
「そこはすごく静かで、環境の良いところで、そこに2か月くらい滞在するんだ。でも、今は子供がいるから、ホントは行きたくないな」

薄々感じてはいたけれど、彼らの魅力は、おそらくこんなごく普通の人だと言うことだろう。
ミュージシャンであるということを除いて。
それが彼らの音楽にも表れているから、具体的な歌詞がわからなくても、何か通じるものがある気がする。
実際、こうして言葉の壁があって、言いたいことを十分表現できないけれど、本当にただひたすら、言葉だけが阻んでいるんであって、気持ちの上では友達と話しているのと何ら変わらない。

「ライブがないんだったら、ず~っと会えないね。私もドイツに来ないかも知れないし」
「どうして?」
「来るきっかけがないから」
2、3月にライブがなかったら、ドイツではなく、フロリダのJudithのところに行くかも、と2月にJudithと話したな~と思い出した。


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