今日はカッセルでDocumenta(ドクメンタ:5年に一度開催される現代美術祭)。
10時過ぎにホテルを出て、ruruHausでチケットを買う。
で、そのまま、チケットなしで見られそうな展示を見る(笑)
さらに入り口近くでの催しをしばし聴く。
これで結構時間をとってしまい、Fridericiumに入ったのが11時。
昨日、ようやく、今回のドクメンタの特徴などなどをネットで調べたので、差別やら環境やらをテーマにしたアジア・アフリカなどからの出品なだけに、確かに、アートを鑑賞するというよりも、コミュニケーションの手段やきっかけとしてのアート、といった感じ。
アートって何だろう?と改めて思うと同時に、唯一確信を持って思ったのが、AIには作れないものということだった。
たとえば、レンブラント風の絵をAIが作ることに成功!なんて話題になったが、AIは所詮、従来のものから離れることはできない。
完全に離れたものを作っても、それは作品としては認めて貰えないだろう。
今の自民党と統一教会の関係が明らかになる前に、同じ内容で小説を書いたって、絵空事過ぎて受け入れられない、という反応だったろうことと同じように。
もちろん、全ての作品は、先人の作ったものから完全に離れて作られることは、まずできないんだけど、AIは絶対に従来のアーカイブから離れることができないのとは対照的に、生身の人間は、多少なりとも従来のものからの飛躍・跳躍が起きてしまう。
そう。
現代アートは、AIには絶対に作ることができない。
なぜなら、そこに何かを表現したい人がいて、それを(できるかどうかはともかく)理解しようと向き合う人がいるからだ。
もっとも、AIが自らの存在について疑問を抱くようになった暁には、別の局面が現れる可能性は否定しないが。
Fridericianumを一通り回った時点で12時半。
何か軽く昼食を、と思ったけれど、良さげな店が見つからず、しかもそんなに空腹でもなく。
そのままWilhelmshöheへ行くことにした。
特別興味があったわけではないんだが、たまたま予定した日程で、今日がWasserspieleが開催される日だったんで、それは行かないわけに行かないだろう、とf(^_^;
どういうわけかGoogle-mapではちゃんとした経路が出なかったのだが、ガイドブックをある程度頼りに、Wilhelmshöhe駅のさらに先、公園のところの終点までトラム1番で行ってみる。
つーか、ここで降りる人、みんなWasserspiele見る人だけど(笑)
Besucherzentrumでどうやって行くのか一応訊いてみたら、通りの向かい側に来るバスに乗っていけば行ける、と。
実際、しばらく待ってきたのは、Wassespieleが開催される日だけ運行される、23番Herklus行き。
そこからヘラクレス像の脇を通り、最初に見所になりそうなところまで降りていく。
その後も、ずっとみんな同じ経路をたどるんで、、ついて行けばいい(笑)
町中まで戻ってきて、そこそこ疲れてはいたけれど、Documenta Halleへ。
ここにいる間に、結局18時を過ぎてしまった。
かなり疲れているし、なんと言っても、明日に体力を温存しなければ、わざわざドイツに来た甲斐がないんで、今日も夕飯とワインを買って、ホテルの部屋で一人飲み。
マジで、ドイツでは、1日1食か2食で十分だと思う…。