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ウンテル・デン・リンデンですよ!舞姫ですよ!森鷗外ですよ!!
って、とりあえずその名前だけは憶えているけど、よく考えると森鷗外の作品って他に読んでないんじゃん?f(^ー^;
ともかく、夏期休業中のオペラ座や、かの有名なフンボルト大学を見ながら、そのまま西へとどんどん歩いていくと、ついにBrandenburger Tor(ブランデンブルグ門)が!!
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昨年、この広場でドイツの3位祝勝会があったよ!! ←最初に思い出すのがそれなのか…orz
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でも、今でこそこうして気楽に来られるけれど、まさに18年前にはここが東西の境目だったんですよ。
ここまでず~~~~~っと歩いてきて疲れたんで、門のそばのカフェでしばらく休憩してから、いよいよ門をくぐります。
ここまでずっと旧・東独地域だったけれど、この向こうは旧・西独。
子供の頃、どっちがどっちだかよくわからなかったんだよね~、なんて言うのもすっかり昔話の域ですなぁ。
しかし、ここにはまだ第二次大戦と、その後の東西対立の跡が色濃く残されています。
ベルリンの町の中で、かつて壁があったところには、地面にその跡が残されているし。
このそばには、壁を乗り越えようとして射殺された人達のための慰霊の場所も残されている。
これはさすがに痛々しくて、写真を撮ることができなかったけれど。
そして、
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Denkmal für Ermordeten Jüden Europas(ホロコースト記念碑)。
展示の方は行列ができていたんで入るのをやめたけれど、やっぱり本物を目の前にするとぎょっとするというかなんというか。
それぞれの石の大きさがまるで棺のようで、他の人達みたいにその上を歩く気分になれません。
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しかも、高さは違うものの、それぞれが規則正しく並んでいるはずなのに、その下の地面が平らでないために、それぞれの並びが微妙に波打っていて、妙に不安定な感じがする。
日本の場合は、こんな風に積極的に政府に殺されたということはなかったけれど、今の政府は非戦闘員が多数犠牲になっていることを実感できていないのではないかと思うと心配になる。
そういう自分だって、家族・親族は、空襲で焼け出されてはいるけれど、戦闘でも空襲でも直接死んだ人がいないじゃないか(ただし父の従兄弟は後年原爆症で死亡)。
その程度の戦争体験ですら、同世代には持たない人が増えている中、自分は何ができるんだろうかと思った。