先行上映の間、何か特別に上映されるらしい、ってんで無理してまで行ってみたら、カンヌでの映像でしたf(^_^;
な~んだ。
そんなに慌てて行かなくても良かったよ。
や、でも、そうでもしないと見に行きそびれる。
それにしてもあれだな。
世間で話題になる是枝作品って、いつも深刻な内容の映画だな(笑)
で、メディアで取り上げられるのも、いつもその重いテーマと子役の演出…f(^_^;
子役と素人さんに対する演出の仕方は、いつもおんなじなんですけどね。
でも他の人には広がらない。
で、世の中には、薄気味悪い名子役の演技が蔓延してる…。
でもって、今回はまた、子供たちが実に自然に笑ったり泣いたりしているわけで。
ラストでは、劇場のあちこちからすすり泣きが聞こえてきたりしているわけで。
まぁ、皆さん、もらい泣きがお好きですね(毒)
「感動しました!」なんて言われた日にゃ、ケツまくっちゃうよ!
「血のつながりか、一緒に過ごした時間か」というのがテーマ、みたいにメディアでも言ってるけど、それはちょっと違う。
どこかで見た映画評で、どっちつかずの結末が残念、監督の考えを見せて欲しかった、みたいなことを書いているのがあったけど、何を見ているんだろう?
これは、「永遠の命題に挑んだ映画」ではなく、「永遠の命題を映像の形で示した映画」といった方がふさわしい。
それが証拠に、それぞれの家族の状況が実に両極端にカリカチュアライズされ、登場人物のほとんどは、記号的な存在でしかない。
一流企業に勤め、都内のマンションに住み、一人息子の教育に熱心(?)な主人公に対し、かたや田舎の小さな貧しい電器店のいい加減な親父。
ただし、あまりに血筋に偏った背景にならないように、主人公夫婦はともに、出は悪くはないが上流ではないように調整されている。
途中、なぜこんなにも極端な家庭の間で取り違えられたのか、という説明に当たる内容が挟まれるが、実はこれも主人公の抱える背景による影響を中和すると同時に、もう一つの命題(血の繋がらない母と子)を垣間見せるためのもの。
まるでチェスの駒のように、きっちりと役割の決まった人物が予定調和のように居並ぶ中で、唯一欠けていた駒=主人公が、自らの父性を初めて感じる=父になることによって、ついに「血のつながりか、一緒に過ごした時間か」という命題にたどり着く…。
だから、この命題に対する本当の悩みや葛藤は、実はこのラストシーンから始まるのであって、ここで監督の答えが示されるわけがないのだ。
観客が涙を流すとしたら、主人公がようやく感じた愛おしさとその苦しさに、共感するくらいしか考えられないのだ。
この映画のすごいところは、みんなが当たり前に出発点だと思っているのが、実はたどり着くのが大変な地点なのだ、ということを描いてしまったことだ。
それにしてもねぇ。
あっちこっちで、演じるに当たって、福山が「父親っぽくなくていいんですか?」と尋ねた話が出てくるんだけど、そんなのどうでも良くってさぁ。
それよりも、あの~、リリーさんって子供いたっけ?f(^_^;
あの、子供がホントになついちゃってる感じ、あれはスゴいっすよ。
だって、元々は漫画家兼コラムニストじゃん?
立場的には蛭子さんと一緒なのに、なんであんなにうまいんだ、あの人!!(笑)
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