本国で資格取り、日本で看護師に…8割が中国人(読売新聞の記事より)
高校生の頃、オフィス・ビルの掃除のアルバイトをしていました。
ほとんどが中国人の出稼ぎの若者だったのだったのですが、その中に「何(カ)」さんという人がいました。
確か中国の北の方の出身で、背の小さいおとなしい感じの青年でした。
何さんは途中から入ってきたのですが、他の中国人とは一切触れ合わずいつもひとりでいました。
不思議に思い、ある時本人にそれとなく聞いてみたことがあります。
すると、福建省出身者の彼らとは言葉が通じない上、仲間意識もあまりないのだとのことでした。
中国のことも今ほど報道されていない頃でしたし、物を知らない高校生の僕には面白く感じたのを覚えています。
とある小休憩の合間、まだ入りたての何さんがビルの外部階段からぼーっと外を眺めているのを見つけました。
上層階で眺望はあるものの、彼の視線の先には住宅街がどこまでもただ続いているだけです。
いってしまえば日本中どこにでも見られるよくある郊外の風景でした。
それでも熱心に眺めているので、面白いものでもあるのだろうかと一緒になって眺めていました。
と、隣にいた何さんが「どこまで家ある。すごい」と目を輝かせて言いました。
こんなよくある風景でも、彼が見慣れた故郷の町並みからは、きっと信じられない光景だったのでしょう。
その言葉を聞いた時、ほんの一瞬だけ僕も何さんの目を通して、その街の様子が見えたような気がしました。
今より前のことですが、中国の町外れの風景や人々に昔の日本を見るようなノスタルジーを感じた年配者もいると聞きます。
戦後の復興期の日本人は何さんのような好奇心に満ちた純粋な目をしていたのかもしれません。