
"Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives" (Official Trailer)
Uncle Boonmee
マルホランド・ホテルという難解な映画が何十年も頭から離れないで、BBCラジオでMark Kermodeの「Uncle Boonmee」に関して映画評論の話を聞いていたら彼の解説は明快で疑う余地はない。デビット・リンチとアピチャートポン・ウィーラセータクンを比較しての細かいやりとりは聞き取れなかったが、編集された動画ではなく番組の録画なので彼の感性がよく伝わってくる。
アピチャートポン監督の手法はいつも静的でカメラを一点に備えてのロングショットと機材がよくなったのを除けばあのタイ語声調のボサノバが耳を離れないように、彼の映画はタイ語を勉強をする時に最初に覚えないければいけないソースア(虎)とか、隠者のソールシー(森の修行者)など肌と音で感じるアミニズムの意識のアンテナを研ぎ澄ますとより理解が深まるかも。
彼の父親は医者でバンコクから地方へ移っている。それが私が暮らしていたタイ中部の県なので、地方の病院を舞台にした作品が多いのだろう。ホテル部屋でも長く太陽に燻された匂いと窓から眺めると裏庭には水牛、そして歯磨き粉付きの歯ブラシ、そして紙石鹸のようなアメニティは彼の映画の主人公の揶揄でもある。彼の地元はコンケンでメコン沿のカンボジア国境で育ったというが、毎日バンコクポストやネーションを読んでいるとコンケンはあまりバンコクの中央集権とは異なる政治意識らしい。これは華人の数に関係しているのか、華僑が多かった私の過ごした町はまるでバンコクの中枢にいるように政府の動きがよく判るのは華僑資金の多い場所に情報は多く集まる原則だ。勿論、華人でも作家の開高健がベトナムで出会った教養ある大人との出会いで漢詩を筆談で試されることも多々あったので、路地の一角でドサ周りの京劇を鑑賞するのが好きになった。
タイの病院というのは地方都市に国立総合病院が一つしかなかった頃、多分時間塾とGPSの座標はかなり近くで暮らしていたと確信しているので、彼と話をする機会があればニアミスはともかくかなり絞れるがそんなことをしても意味はないし時間の無駄で、彼の作品に触れるのは自分の大切な過去である。季節によって全く消えてしまう蓮が美しい大湿地(ブンボラ・ペット)やボートで複雑な小川を行かないと辿り着けない寺院がある。死体を粉々に叩き潰しながら火葬の準備をする儀式の様子は形而下の本性を曝け出す。
この映画でLDEのネオンが飾られたカラフルな葬儀の祭壇、「フェリーニのローマ」もそうだがまず教会でファッションショーで雨季のローマを盛り上げているが、アピチャートの葬儀祭壇はスクリーンと同じで静的だ。今では寺院のお神籤はコイン販売だし、ギャンブルのようなお布施のマシンは普通になった。村の農夫から日本人を見るのは第二次大戦以来だと告げられ、驚いて現実に戻るが、町に戻っても埋没して沈殿したくなる欲望が抑えられなくなってランダムで選んだタウンハウス群の一室に閉じこもって冷房漬けで何もしない浦島太郎の日々が始まったばかりだった。
Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives reviewed by Mark Kermode
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます